アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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吉村葉子の本――『パリ近郊の小さな町—―イル・ド・フランスの魅惑』と『パリ20区物語』 アリアドネ・アーカイブスより

吉村葉子の本――『パリ近郊の小さな町—―イル・ド・フランスの魅惑』と『パリ20区物語』
2018-08-04 09:38:56
テーマ:文学と思想

 
 吉村さんの本には独特の調子がある。十数年来パリに暮らして、エトランジェとして、――流行の言い回しを借りれば、旅するように暮らし、暮らすように旅する極意の達人かとも思え羨望すること限りないのだが、他方では、日本人の意識はしっかりしていて、彼女がフランス人との間に結んだ交友関係も、切断を自覚したうえでのお付き合いであったか、と思わせる。つまり日本人とフランス人は共通の意思や趣味趣向を持ちながらも、やはり根本的な次元では民族的、風習的、慣習的な違いがあると云う自覚の上に立ってお付き合いすること、かかるある種の断念がフランス人の眼には、程よい距離感を伴った敬意とも敬愛とも、インテリジェンスの表明ともとられて、かかる経緯を筆にする彼女の文章に独特の陰影を与えているものと思われる。
 もしお会いするような機会があったならば、聴いてみたいのは須賀敦子さんの本を読んだことがあるのかどうかと云う点である。似ているというのではないけれども、外国と云う環境のなかで孤独に生きていく姿勢、自分とは異なった対象に向き合う姿勢に共通するものがあるのだ。つまり、好奇心や知的な比較分析と云う作用ではなく、まずは日本人であることを一旦棚に上げて相手を理解しよう、と云う姿勢である。日仏の文化観の相違などは後で良いのである。そうして相手の事情が分かり異邦の土地に自らを置いて暮らしていくうちに、自ずから滲み出てくること――つまり日本人であること、と云う意識が透かし絵のように朧げに浮き出てくる。それらの多くは、日本人がかって失ったもののなのである。つまり彼女のエッセーの特技は、日仏の価値論的比較を一度も遣ることなしに、異国を語りながら日本について語ると云う技なのである。

 『パリ近郊の小さな旅――イル・ド・フランスの魅惑』についても『パリ20区物語』についても、観光案内ではなく、観光スポットの周辺で彼女が経験した、細やかなパリジャンならびにパリ近郊の田舎町に暮らす伝統的な人々との喜怒哀歓を歌った物語である。ここに、歌う!と敢えて書いたが、彼女の本にはささやくような、呟くようなトレモロの詩がある。彼女のように教養があって、手先が器用で、向こう見ずな性格と冒険心があって、伝統ある日本社会のなかから出ながら、同じ伝統あるフランス社会のなかに暮らして、ひたすらにフランスと云う国と民族性を理解しようとする一方で、相手にはそれを期待できない、まるで片思いのような在り方が日本とフランスの間にはある。しかしそういう劣等感の如きものを少しも意識することなく、堂々と本場の一流の人びとと伍していく度胸には、愛嬌と哀歓と哀愁、そして幸せの隙間の寂寥というものがある。
 以下に目次を挙げて置くーー
・パリ近郊の小さな旅:フォンテーヌブロー、バルビゾン、ミイー・ラ・フォレ、ブォー・ル・ヴィコント、プロヴァン、モー、ブーロン・マルロット村の日々、シャンティ、サンリス、オーヴェール・シュル・オワーズ、サン・ドニ、ソー公園、サン・クルー、リュエイユ・マルメゾン、 サン・ジェルマン・アン・レイ、マルリー・ル・ロワ、ヴェルサイユ城、ヴェルサイユの街、ジヴェルニー、レ・サンドリー、ランブイエ、エンタブ、シャルトル。
・『パリ20区物語:ルーヴル美術館、レ・アル、クロック・ムッシュを求めて、マレ地区散歩コース、ユダヤ人街、カルナヴァレ博物館、ピカソ美術館、パリ市庁舎、ノートルダム寺院、ムフタール市場、植物園とモスク、サン・ジェルマン・デ・プレ、リュクサンブール公園アンヴァリッド、マドレーヌ寺院、シャンゼリゼの切手市、ロマン派博物館、サン・マルタン運河、ボーマルシェ大通り、カフェ・シャルボン、アフリカ・オセアニア民族博物館、新国立図書館、モンパルナス、カタコンブ、白鳥の散歩道、16区の素敵なマダム、パッシー・オートゥイユ界隈、最も縁遠い区、モンマルトル、蚤の市、ピュット・ショーモン公園、日本通り。

 彼女のフランス文化への敬意の表明は、例えば「シャルトル」を読んでみられるとよい。また旅行記とはかけ離れているけれども、パリ近郊に別荘を持つというパリジャンの生き方を描いた、別荘地購入からそこで暮らした日々を描いた「ブーロン・マルロット村の日々」などは、いかなる紀行文学でも得られなかった極上のフランス文化至情の日々なのである。その背景には彼女の、歴史、文学、絵画と美術史、音楽やアンティークに対する並々ならぬ知識の集積がある。

 彼女のHPに掲げられている言葉を紹介しておく。

わたくしは学殖なきを憂ふる。常識なきを憂へない。
天下は常識に富める人の多きに堪えない。
日本の小説家で誰が好きかと聞かれたら、迷わず森鷗外と答えましょう。でも今、鷗外は書店さんにないので、アマゾンだよりなのが残念です。