令和元年! アリアドネ・アーカイブスより
令和元年!
2019-05-02 08:49:48
テーマ:政治と経済
わたしは、「令和」を歓迎いたしません。
「令和の時代」を、令和の御代を歓迎いたしますが、
令和と云う字面を歓迎しません。
そもそも令和の命名は、歴史理解の大いなる誤解に戻づいています。
大宰府の宴で令と和を寿いだと言われる大伴家持、並びにその息子の家持をはじめとする一門は、古豪の名なにし負うその名に懸けて、藤原の「一強体制⁉」にあくまで抗し、律令制と皇親政治の理想に戻そうとした、古代豪族の風格を保った一族の筈です。
(藤原一門が目指したのは法治国家としての律令制の解体であり、大土地の「私的私有」としての荘園制でした。)
旅人が大宰府にいたのも、中央政界から遠ざけるためでしたし、後に息子の家持が東北の僻地で陣没するのも、無惨にもその屍が掘り起こされて辱めをうけたことも、藤原氏の大伴一門に対する根深い憎悪のなさる技であったことは明らかなのに、史実を百八十度無視して、厚顔無恥にも歴史を語り騙る、その手口が、まさに知性無視、言語音痴の安倍政治の終わりを集約し象徴する、かのような出来事でした。
令和おじさんなど、とんだ御笑い種です。彼が、万葉集のなにを知っていると云うのでしょうか。あのきんかんあたまの中身はなんですか。
「和」が、聖徳太子以来――和を以て貴しとなす――、皇室を象徴する最大級の敬語であることは明か。
それにしても「令」とはなんでしょう。
律令、という呼び方にも現れるように、規則や罰則で人を操り管理する遣り方です。命「令」と云う呼び方に明らかです。誰が誰に命「令」しようとしているのでしょうか。
「令」が「和」に命令するのですか。
また「令」とは、法令、条令、と云う言い方にもあるように、二番手のもの、とても王者に相応しい言語、言辞ではないのです。皇室に相応しい言語、言辞であるかどうか考えてみてください。
その証拠に、巷、俗世間では、令夫人、ご令息、ご令嬢、などなどと言う言い方をします。所詮はスノッブの言語ですね。
皇室に命「令」し、スノッブと一緒くたにしようと云うのですか。不敬ではないですか。
陛下、皇后妃殿下はこうした事情を重々ご承知の上で堪えておいでです。嘆かわしいことです。
言葉と文化への無理解は、そもそも「象徴」の本義ですし、「象徴」としての天皇への無理解に基づいています。それは彼らが「象徴」のもとに何を理解しているかをお尋ねになれば彼らの教養と見識の程度がお分かりになると思います。
わたくしは文化立憲君主制の立場から申し上げているのです。
皇室には古来、「宣命」と云う言い方がありますが、宣命と云う形式を多用した孝謙、称徳天皇の麗しの女帝の御代を懐かしみます。どなたか叱ってくださいませ。(道鏡事件は仕組まれた罠、誤解だと思います。)