アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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鏡のなかの私 アリアドネ・アーカイブスより

鏡のなかの私
2019-05-02 22:27:04
テーマ:Yahoo!ブログ移行


 鏡のなかの私とは、ブログのなかの私と言う意味です。
 ブログのなかの私は、いちめん私とそっくりでありながら、いちめん私より少し立派です。ーー例えば当ブログに度々訪問されてコメントを残していただいている、”ゼ”さんのように、自分の欠点や悪口は書きませんし、本心を晒したりしません。
 これには私なりの言い分もあって、自分を偉くみせようとか、本心は隠していたいとか、自己韜晦癖に秀でているというわけでもありません。長年、文学を修練する過程で、自己に関わることで文学鑑賞の楽しみが減ってはならないと言う思惟の経済学、趣味の吝嗇が大きな理由の一つになっているのではないか、と思います。
 しかし、これだけでは説明しきれませんね。
 ブログという鏡を通して対面する、多少歪んで見えるところの私、せせらぎに映し出された私、それは実際の私よりも少し理想化されているだけ自分にとって、こうありたいと願う私でもあります。
 そういう私は、もしかしたらこの世で出会いたいと願った友の理想型の痕跡を求めていたのであったのかもしれません。というのも彼は感じが良く、話していて疲れさせず、聞上手で、驚くほど品が良いのです。こういう友がいたならば、と思わざるを得ない面があるのです。感性や物の感じ方が大変に似ていて、世の中の苦労や裏面を知らないだけ彼は純粋で、頑固で、一途で、過激です。
 ブログのこの10年間を共に生きてきて、今後も付き合いをして行きたいと願う私なのです。

 ひとはこの世に生を永らえ、そして一人死んでいきます。肉体は我が伴侶、反対に肉体の方から見れば魂こそ親しい伴侶だということになります。ある時は私は肉体になって魂を客人として迎えます。ある時は私は魂となって哀惜をこめて肉体を想いやります。しかしこの世での最後の邂逅、この後仮初めの肉体だけでなく魂もどうなるかは分からないのです。近年の多くの学説は霊魂の永続性を否定しています。
 二人だけでは寂しいですね。世の終わりの宴にもう一人、自分よりも少しだけ賢い友を含めて二人三脚で別れの水盃を酌み交わす事ができたら!その分少しだけ恐怖は和らぎ、少しだけ死の背後の闇夜に燈が瞬間灯り、少しだけ愉悦と団欒の時が流れたかのような気がいたします。願うだけのことならば、こんなほんの少しだけのこの世の慰めであるならば許されても良いような気もいたします。