ヴァージニア・ウルフ『存在の瞬間』1976年――黄昏のロンドン・31 アリアドネ・アーカイブスより
ヴァージニア・ウルフ『存在の瞬間』1976年――黄昏のロンドン・31
2019-05-04 11:07:41
テーマ:文学と思想
五つの生前未公開、あるいは部分公開(私的集まりでの朗読)などの文集が含まれている。
⑴ 「思いだすまま」
⑵ 「過去のスケッチ」
⑶ 「ハイドパーク・ゲート22番地」
⑷ 「旧ブルームズベリ―」
⑸ 「私はスノッブでしょうか」
先の先の記事でも書いたことだが、ハイドパーク・ゲートにおける旧ステーヴン家が複雑な家庭を営んでいたことは彼女の小説だけを読んでいたのでは分からない。
少し解説しておくと、ヴァージニアの父レズリーは二度の結婚を経験し、二度目のつまがヴァージニアたち四兄弟姉妹の母であるジュリア・ダックワースである。複雑なのは再婚の相手であったジュリアは寡婦であり、先夫との間にできた三人の子供たちを引き連れて来たこと、つまり成婚と云う個人的な出来事が、二家の合体の様相を帯びていたことだろう。さらに亡くなったスティーヴンの先妻にはローラと云う子供があって、精神に異常があった。
これがダックワース家の家族構成を複雑にした。四人も子供があればそれぞれに容貌も性格も違うものだが、二つの家が合体したとなると、尋常なことではなかっただろう。しかし過日の私のように小説だけを読んでいては分からないのである。
この本を読んで思ったのは、作家ヴァージニア。ウルフとは違ったもうひとつの女性像である。天才的な芸術家である以前に、彼女は知的にものを考える、つまり対象なり出来事をあるがままに記述するのではなく、それを言語化することをとおして問題化する、つまり思想家としての素質があったのではなかろうか、と思い当たったのである。「過去のスケッチ」を読むと特にそう感じる!
「存在の瞬間」とは、啓示や霊感と云うよりも、彼女の場合普段の日常性がひび割れる経験である。そのひび割れた隙間から、彼女のエピファニー的ともいえるプラトニズムの経験が甦る。経験をそれが生じたままに写し取るのが芸術家であり、それを言語化し対象化するのは思想家である。ヴァージニアはその両方の素質を持っていたことがわかる。
前者に於いて彼女の才能は先鋭化し、極限まで進み、二十世紀を代表する押しも押されもせぬ大家となったが――『自分だけの部屋』や『私はスノッブでしょうか』などにみられる自由闊達さ、溢れるばかりの知識と見識の披露、辛辣でイロニー漂う語りの洒脱さ、などをみると彼女の自信のほどが垣間見れよう!――後者のは才能十分には開化を見なかった。
彼女の自殺については小説家としての行き詰まりのほかに、彼女の純粋芸術論から帰結する非芸術的な要素の排除が、彼女の実存に言葉を与えなかったのではなかろうか。彼女の芸術的言語は他者の経験を十分には生み出せなかったのではなかろうか。
余談だが、この本を読めば『自分だけの部屋』のキャッチフレーズ、年収500ポンドと鍵のかかる部屋のもう一つの意味がほの見えてくる。
それは一家に二つの家族が同居していたことからくる性の秩序の乱れである。ヴィクトリア朝的に厳格な倫理観で雁字搦めに固められたはずの家庭で、母親の連れ子であるジョージ・ダックワースが妹であるヴァージニアや――もしかしたらヴァネッサの寝室を夜ごとに訪れる!――部屋には鍵がかかる構造とはなっていなかったのである。
ヴァージニア・ウルフは「ハイドパーク・ゲイト22番地」に平然と書く。
「そうです。ケンジントンやベルグレイヴィアの淑女たちは、ジョージ・ダックワースが哀れなスティーヴン姉妹にとって、父や母、兄や妹であるばかりでなくて、彼女たちの恋人であったことを知るはずもありませんでした。」
大家の風貌の裏面にシャーロット以上の怒りを秘めて!