アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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偽造歴史家アーヴィングの背景――体制間の秩序の狭間を生きるものたち アリアドネ・アーカイブスより

偽造歴史家アーヴィングの背景――体制間の秩序の狭間を生きるものたち アリアドネアーカイブスより
2019-06-09 07:38:45
テーマ:歴史と文学


 映画『否定と肯定』を見て分からないのは、アーヴィングと云う歴史家である。イギリス人である彼がなにゆえ、アウシュビッツはなかった、と云う意見を持つようになるのか。アメリカまで出向いてリップシュタットの講義を妨害するまでに執拗に拘るのか。リップシュタットの同書において彼の固有の見解が否定されたことによる個人的な怨念や恨み、と云うだけでは解けない。(実際にはリップシュタットの同書がアーヴィングの著作への誹謗中傷に満ちていたとすることで名誉毀損罪として告訴する、と言う前代未聞の出来事から映画は始まるのだが。つまりホロコーストの犠牲者という通常は同情されて然るべき弱者を更に追い詰めると言う、強者の論理のあからさまな主張を法の精神がどう裁いたのか、という点にこの裁判の新しさがある。言い換えれば表現の自由や思想の自由を手段として用いる法の精神を逸脱した法の解釈はどこまで許されるか、と言う問題である。日本でも政府と沖縄県の間で辺野古埋め立てに関する逸脱した法解釈が、公然と、あからさまに、国家的規模で争われている。)

 「偽造歴史家」アーヴィングのような、一群の固有な偏りを持つ戦後の群像が繰り返し登場する背景には、戦後の反アメリカ主義があるのではなかろうか。つまり戦後のイギリスの立ち位置は戦争には勝ったけれども、国際社会における位置は沈めるタイタニックのように徐々に低下しつつあった。つまりアメリカと組んでドイツと闘ったのは誤りではなかったのか、と云う意見は昔からあった。何となれば現代の王室はドイツのハノーバーから来ているし、ヨーロッパの王室は互いに親戚関係にあり、国家間の関係も日本などの東アジアの状況とは違う。映画『日の名残り』でも描かれていたように、イギリスには最後までドイツとの講和を夢みたもの達はいたのである。
 こうした夢みるもの達の一部が戦後、内に秘めた反米感情を反転させて、ホロコーストはなかった、と云うようになった。ホロコーストがあったかなかったかではなく、アメリカと結んだ戦後の国際間の政治‐経済的な枠組みの在り方が間違っていた、イギリスの地盤低下を齎して悔しい、と言っているのである。欧州の問題は欧州で、アメリカを交えることなく話し合いで解決できたなら、イギリスの繁栄もこうではなかっただろう、――しかしヒトラーは、そもそも話し合える相手であったのだろうか?
 相手の動機を見抜く場合に一番手っ取り早い方法は、誰が何処で何をどういう方法で得をするのか、と単純に経済的な動機を考えてみることである。偽造歴史家アーヴィングたちの物語は、アメリカを中心とした世界平和秩序と経済機構の中で、得をしなかつたものたち、つまり既得権を侵害されたと感じるもの達の物語であった、と突き放して言えばそう云うことなのだろう、と思う。彼らの既得権がどういうものであったかは私にはわからないけれども。

 もう一つ言っておきたいのは、アーヴィングと云う歴史の改竄者を成立させるためには、一定量の同調者たちが背景にいた、と云う点であろう。この点は、昨今のわが国のビジネス右翼なりネット右翼の問題とも関連するので、少し述べておきたい。
 アーヴィングを支持したものたちの一部は、アーヴィングのように過去に既得権の果実を味わった者たちとは必ずしも言えない。むしろ戦後の状況の中で感じる不全感が、秘められた反米主義がそのままでは出らずに反転した形で民主主義や人権思想への反逆と云う形をとる。
 なぜ、体制の果実を必ずしも十全には享受共有できず、心理的には不平不満域との境界域に追いやられた彼らが左翼思想にはいかずに、反転した右翼的なものの考え方の持ち主となるのか。この逆説を如何に解くか。
 この解のひとつは、悪への趣向である。民主仕儀や人権思想を信ずることができなければ、人は何かを信じずには生きられないという形で彼らは悪の信奉者となる。悪とは犯罪を意味しない。むしろ秩序感覚と云ってもよい。彼らは決して現状に満足してはいないが、より確かな悪の感覚に秩序が持つ最後の安定感を夢みる。悪への趣向と云うよりも、正確には切実な秩序感覚の現れと言うとべきだろう。
 ところで秩序感とは何か。ひとは体制の一員となることで秩序を万全の思いで感じることができる。ところが社会機構の劣化や階層間の変動や変質が生じた結果、微妙な境界域と云うものが生じると人間の行動は単に一律的なものではなくなる。境界域に押しやられたもの達は、正の行動律として安定した階級への復帰を希求するもの達も要れば、秩序そのものを根底から覆そうとするもの達も出てくる(保守と左翼)。さらにはこの正負いずれにも属さず、悪の観念が持つ安定性ゆえにそこに秩序感覚を見出そうとする、別種の行動者たちが出てくる。この者たちこそがアーヴィングを支持したもの達の一部の社会的背景としてあったのだ、と思う。
 つまり境界域に追いやられて秩序感を享受しえなくなったもの達は、悪の原理に取り入り、そうすることで排除の論理を自らの上に体現し、体現することによって自らのアイデンティティのアリバイ証明を、つまりは自らを境界域から脱したものたち、エスタブリッシュメントの一員と信ずることができたのである。
 アーヴィング問題の複雑さは、彼らの背景が持つ社会階級的二重性である。彼を支持する基盤の第一は過去の特権階級に属するもの達の一部、既得権が侵されたと考えるもの達の一部である。これは反動性心理と云うものを理解する場合の分かり易い行動心理と論理である。
 支持基盤の第二は、社会変動の波間に階級と階層間の境界域に追いやられたものたちの一部が持つ、反転した秩序感覚!と云ったらよいだろうか。怨恨が反転して秩序志向となるのである。人権や道徳が信じられないのであれば、悪の感覚の中に秩序を見出そうとする負の心理機構が存在する。悪はしばしば考えられているように犯罪や背徳行為への意思とは関わりがない。むしろ犯罪や背徳行為とは正反対の位置にある、ある種の倒錯せる秩序感覚の反転した姿なのである。なにゆえ体制からは疎外されたもの達が体制を否定するのではなくむしろその先兵となって体制の補完機構一部となり果てるか、の謎は、そう云う風に一部とけるのだと私は信じている。
 現下の安倍政権やトランプ政権の支持層が、従来の既得権益型や体制順応型だけでなく、体制域からはみ出そうな境界域層からも支持を得ている秘密の理由もある程度は説明できるかと思う。

 他を排除することが自らの保全を保証する唯一の方法となる。これはいじめ社会の心理機構と同様なのであって、自らが排除されないためには率先して悪の論理の信奉者となる、もっと切羽詰まった状況では、他を告発する密告者となることで悪の歓心を買うことができるしアリバイも証明できる、と信じることになる。何度も言うようだがここに言う「悪」とは犯罪や背徳感情への傾斜とは異なる。犯罪や背徳とは正反対のもの、主観的にはまっとうな、客観的にはやや固有に倒錯し捩じれた「秩序」感覚を志向する意志のことである。これは過去に全体主義共産主義圏で支配的な思想となった国家的規模の抑圧の政治システム、負の社会的人間機構でもあった。


(偽造歴史家アーヴィングの後日談)
 思うにこういう生き方は指弾の対象とするよりも私には悲しき人間の性とさへ思われる。生きていくと云うことは哀しい。
 アーヴィングの言動はこののち、裁判で敗訴することによって莫大な補償金を課せられ破産宣告へと追いやられる。この映画が描いたようにところ変われば法も変わるので、アーヴィングはオーストリアに入国した折に法律により拘束された。ドイツ-オーストリアではホロコーストについてありもしないデマを公言するものは法令によって罰せられる、と云うのである(侮蔑罪と云う法律があるそうである)。アーヴィングは今も昔も自分は必ずしもホロコーストの存在を否定していたわけではないとか、現在の自分は反省して過去の言動を改めていると抗弁したが言い逃れはできなかつたようである。アメリカとイギリスの法制度の盲点を突いて法廷闘争を企画した痴れ者が、ゲルマン系の法律の特異性を知らずにか犯罪者として拘禁される、と云う皮肉な結末がこの映画に描かれなかった後日談である。