アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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清順の美学その2・上—―『ツィゴイネルワイゼン』 アリアドネ・アーカイブスより

清順の美学その2・上—―『ツィゴイネルワイゼン
2018-05-22 17:15:53
テーマ:映画と演劇

 『ツィゴイネルワイゼン』1980年と『陽炎座』1981年、無内容で無理想と云う意味では、彼がものしてきた日活時代のヴァイオレンスものと変わりはない。
 前者は、自殺願望の男をめぐるお話である。その男を気遣う友人がいて、かっては二人は士官学校ドイツ語学科の同僚である。
 二人にはそのうち妻になる二人の女性が出てきて、一方は山陰地方の旧家の出の日本風の美人でる。彼女は自殺願望の男が心中未遂事件で殺してしまった漁師の妻に似ているし、彼女を海中に喪ったのと引き換えに見出した瓜二つの港町芸者にも似ている。つまり心中未遂事件に始まる三人の女は、中央にいる芸者を除いて死の影に浸されてある。
 士官学校でドイツ語の教師をしているもう一人の男にも妻がいて、自殺願望の男とはなにやら怪しい雰囲気が立ちこめている。他方、ドイツ語教師の方も親友を気遣い家をたびたび訪問するうちに、放っておかれている妻と何やら怪しげな空気が立ちこめて、誘惑されたのか、それとも男の幻想なのか分からないような関係が描かれている。幻想風の映画なので、事実がどうであったかはどうでも良いのである。その妻が貞淑さを演じる半面、無意識階に締め出されたものが幻想としてこの世に出てきたと考えればよいのだろうか。
 こうした二組の夫婦の入り乱れた関係が描かれ、やがて自殺願望の男は不慮の事故で死んでしまう。生前より男には奇妙な願望があり、それは骨に対する趣向である。先に死んだほうが生身を割いて骨を相手に射しだると云う、冗談とも本気ともとれる約束をして一方の男は死ぬ。他方自殺願望の男の妻は子を残して死んでしまう。
 男が死んだあと、生き残った方は男の骨壺をどうしても改めたくなるが、そこには普通の骨があるばかりだった。生き残った方は残された子供のことが気になっていたのだが、乳母として紹介されたのは、あの港町で心中未遂で死んだ漁師の妻と瓜二つの舟芸者であった。舟芸者は正式の妻とは処遇されていないようだったが、しっかりと妻の座に居座ったつもりでいる。その彼女が少しおかしくなったのは男が死んでからである。男が生前貸していたという書籍類を引き取りに、ドイツ語教師の家を度々尋ねる。理由は、この世に残した執心が例のドイツ語教師の妻に聴けば分かると云うのだが。自殺願望の男はドイツ語教師の妻に執心を残しているかにみえる。疑心暗鬼に駆られた男はそのことを妻に問い質すのだが、二人だけであったことはないと云う。要は事実関係がどうであるかと云うよりも、幻想と妄想の物語であるのだから、そういう雰囲気があったと云うことだけを確認できれば良いわけである。
 最後は、死者の魂はなき幼子の形姿を通して男の骨が欲しいのだと語る。死出の旅立ちを意味するような花で飾られた和舟と手招きする童女の無表情を描いて映画は不気味に終わる。
 結局、愛するものの骨を欲しがると云う不気味な物語は、異性愛の物語であると同時に同性愛の物語でもあるようだ。二人の男の間の秘められた愛が、様々に異性愛の形に形を変えて変奏され、最後は本性を顕す。それだけの映画であるような気がする。
 映画は、独特の怪異と怪奇の色彩美に溢れ、二人の日本人女優、大谷直子大楠道代の美を如何なく引き出している。私たち古典的世代は銀幕の背後に欧米の美女のイメージを憧憬とともに思い浮かべたものだが、それど同質の美が清順映画に於いては描かれている。日本人の女性と云うよりも、日本人の女優はこんなにも美しかったか、と云うのが見終えた後の感想である。
 映画の醍醐味の一端に触れた、と言える。