アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

清順の美学その2・下—―『陽炎座』 アリアドネ・アーカイブスより

清順の美学その2・下—―『陽炎座
2018-05-22 22:38:53
テーマ:映画と演劇


 次は『陽炎座』1981年である。構成が複雑で荒唐無稽である割には、終わってみれば単純なお話である。回帰と幻想の絢爛たる映像美の世界と云えるが、内容的にはさほどのものはない。
 主人公は、新派の作家らしい青年である。彼のパトロンに大金持ちがいて、彼に二人の妻がいるらしい。いるらしいと云うのは、彼が若かりし頃ドイツ留学時に向こうで手に入れた最初の妻と、その妻がどうやら死んでから籍を入れた後妻とである。あるいは、後妻が籍を入れた段階では先妻はまだ生きているのかもしれず、そう云えば、後妻が病院に入院しているらしい先妻を見まいに行く処から始まっていたはずだ。何れにしても、不気味なお話である。
 後妻と云うか二番目の妻は、どうやら心中への願望があるらしく、パトロンの男もまた、退屈しのぎに主人公である新派風の青年を嗾ける。二番目の妻に心中願望があるのは、主体性を奪われ、国籍も個性も奪われ、人形のように育てられた先妻の怨念が転移しているのかもしれない。人間として愛されず、本来の金髪を黒髪に染めさせられて、限りなくドイツの娘であることを忘れさせられた人形妻!
 大金持ちが金銭と権力に物を言わせて、女を玩具のように扱う、と云う扱い方は二番目の妻に於いても変わらなかったのかもしれない。後妻は、心中の相手に新派風の青年を金沢への旅へと誘う。金沢に向かう夜行列車のなかには、件の大金持ちもいた。すべては金と権力の掌中にあるかのようにみえる。シルクハットと紋付き袴を交互に身に付けるちょび髭のこの男は終始高笑いをする癖がある。厭な奴である。
 しかし金沢についてみると、女は姿を現さない。女は現れなかった代わりに奇怪な趣味を持つ風来坊風の男と出会い、彼に誘われるままに、奇妙な人形師とかれを崇拝する秘儀集団の儀式に参列する。そこでは博多人形のような気品ある人形に設えられた、秘められた秘部を人形をひっくり返してみると云う、極めて病的なもの達の集まりだった。そこで人形師が語ったことは、行方知らずになった彼の弟子であり息子であった青年の末路である。なんでもこの世のこととは思われない美女に誘われるままに水底を渡ればそこに背中合わせに座した二人の男女がいた、と云うのである。ひとりはこの世のものとも思われぬ美女であり、もう一人は自分自身であったと云うのである。そこはひとつの台の上で演ぜられる心中の劇の最終幕だった、と云うのである。
 それから程なくして、昼日中に鳴り響く鳴り物に誘われて田舎芝居の場へ誘われる。そこは村落で催される自動歌舞伎の舞台なのだが、見ているうちに舞台で演じている童女に擬えて全ての登場人物が出てくる。先妻の亡霊が甦り新派の青年を誘惑する。先妻はこの世に残した執念を、後妻は玩具として扱われた無念さを、心中と云う行為の心意気によって世俗を超えようとする。つまり心中願望とは、金や権力に物を言わせる男社会へのアンチテーゼであったことが明らかになる。何のことかとがっかりされるかもしれないが、これが本来の泉鏡花の世界なのである。
 ただ鈴木清順の資質が、鏡花の世界の清冽さに対して親和性を持たないことは如何とも仕方がない。美しい女は描き得ても女性は描けないからである。女の意気とか意地とかは清順の美学には相応しくない。
 それだから、どうしてこの男が魔女の手練手管から脱しえたのかは説得的には語られていない。最終場面を見るかぎりでは、例の大金持ちもまた不慮の死を遂げたらしきことが語られ、先妻も後妻も死んでしまう。

 娯楽映画としては、歌舞伎のような色彩美で展開し絢爛豪華の趣きは、礼儀を正して鑑賞するに相応しい映画芸術の豪華さである。
 舞台や映像も素晴らしいし、大楠道代楠田枝里子と云う美貌では匹敵する大柄の女優さんたちの絢爛豪華さは日本映画であることを忘れさせる。一般的には一流の映画人とは評価されないお二人の美貌を引き出した清順監督の力量は評価に値する。もしこの段階で彼が日本女性の美を映像として描きとどめておいてくれなかったら、美人女優では常に欧米系の女性美の後塵を拝すると云う固定観念を脱することができなかったはずである。それほどまでに清純の描く美は妖艶にして幽遠でである。なにも恋愛だの恋だのと難しいことを言わないで、映画館に赴いてこの世離れした豪華でゴージャスな二時間余をシートに凭れて過ごす、それも映画の楽しみ方のひとつである。死とか再生とか魂とかは言わないことである。
 いずれにせよ、鈴木清順の美学を堪能するこの三週間ほどの映画週間ではあった。あともう一本『オペレッタ狸御殿』を見るかどうか決めていない。鈴木清順の映画はもういいかな、と云う気がする。

 ついでながら言い添えておくと、鈴木に関する映像作品では、彼が演じた自らの自伝的テレビドラマ『みちしるべ』が一番好きである。それを演じた清順氏も、妻を演じた加藤治子氏も鬼籍に入ってしまった。ああ、・・・・・