アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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スペインの夜と霧――小岸昭「マラーノの系譜」、芝修身「レコンキスタ」を読む。

スペインの夜と霧――小岸昭「マラーノの系譜」、芝修身「レコンキスタ」を読む。
2009-05-04 11:17:21
テーマ:歴史と文学

我々大多数の日本人にとってスペイン、あるいはイベリア半島の存在は遠い。過去天正期にキリシタンの不況の不幸な歴史を通じて、けして重要でもあれば深刻な痕跡を日本史上の残したにもかかわらず、南欧の二つの国の歴史は、私達日本人の経験とはなり得なかった。それは同じ南欧の、イタリア、ギリシャという近代史において近代の周辺性という類似の経過を経たにもかかわらず、二つの超歴史国?の持つ、一方はローマとルネサンス、他方は西洋的精神の規範と精華としての古典古代的技芸の普遍性のゆえに、はるかに漠然とした印象しか与えることができない。

それにしても無知を承知で言うのだが、スペインという国についての印象はけして良くない。歴史的に近い方からいえば、スペイン市民戦争の記憶はいかにも自由の抑圧として感受されるし、何としてもヨーロッパで最後まで残ったファスズムの国家である。最近では国家の反動性とその外見を観光国家のファサードで覆った国家である。イエズス会フランシスコ会の布教活動自体が大航海時代の世界史的偉業に反して不明朗な二重性を与え続けている。それから何といってもスペインが歴史上に遺した汚点、異端審問所の設置と、多民族国家の後のバルカン的事象に先行する血の浄化運動、すなわちムスリムに対してなされた、あるいはユダヤとロマ人に対してなされたポグロムの印象は、イベリア半島のの文化と歴史的な重要性の認識にも関わらず、この国の深い夜と霧を思わせてなかなかに素直に取り組めないで来たのである。

そういうわけで大して熟考したわけでもなくとり上げた上記の二書は、残念ながら私の恣意的な疑問に答えるものとしては適当とは言いかねるようだ。

芝終身の「レコンキスタ」つまり聖戦としての国土回復運動は、711年の西ゴート王国の崩壊から1492年のグラナダ陥落すなわちイベリアからイスラム勢力が一掃された歴史的事象までを論じ、従来の西欧的なものの考え方、つまり十字軍史観を批判的に検討しつつより多くイスラムの観点に準拠した叙述となっている。レコンキスタつまりキリスト教勢力の南下政策を宗教的使命としてではなく、一部封建制の領土拡張主義、あるいは略奪や簒奪の「産業化」というドライな経済産業史観、人間の物質的な欲望を中心として人間の行動を説明しているので、はなはだわかりやすい。そのような意味では、スペインに対する啓蒙書としての役割を期待できる。

スペイン・ポルトガルの二国は西欧社会の中で唯一イスラムというもう一つの巨大文明圏との交渉を少なからぬ時間、800年の長きにおいて経験したという意味では特異な国々である。それは「交渉」という外的な言い方では不適切で、まさに他民族が共存した時代が800年近く続いたというまぎれもない事実なのである。多民族・多宗教の葛藤と共存の歴史は近世・近代・現代に持ち越され、近代史にかかわる文明の周辺的後発性という構造上の問題につながっていくのだが、この書でえられた結論とはスペインにおけるレコンキスタとは北方ヨーロッパ社会から持ち込まれた聖戦意識とは程遠いものだったというのである。この結論からはこの後すぐに起きる1391年以降のポグラムや1、480年の異端審問所の設置といった極めてイデオロギッシュでもあれば歴史預言的な事件との関係を説明する現代史的観点がやや不足しているように感じられるのは書の性格としてやむを得ないことなのであろうか。

他方、小岸の「マラーノの系譜」は1391年のポグラムから100年後の1492年のカトリック両王フェルナンドとイザベルによってなされたユダヤ教徒追放令からフランツ・カフカが経験し予見した今世紀のポグラムまでを論じた、これ自身大変すぐれた歴史的エッセイである。

マラーノつまりユダヤ的存在としてのニ重性を意味完結した学問的対象性の叙述としてではなく、経験しつつある現在として、旅と文学的なドキュメントとして記述する小岸の臨場感は素晴らしい。ここに描かれた対象は多義を極めてわたしの力量をもってしては簡単には要約し難い。――マラーノとしての幻のポルトガル国王ダン・アントニオ、当時のマラーノネットワークの中心的存在・騎士アルヴァロ・メンデス、エリザベス女王の覚えめでたい典医にして不運な平和主義者ロドリコ・ロペス、シェイクピアの戯曲に描かれたヴェニスの商人シャーロック、ユダヤ的精神美を寿ぐ美貌の女性マリア・マネス、苦難の果てに自由都市アムステルダムの同胞社会に辿りついたものの、キリスト教からもユダヤ教からも二重に疎外されたマラーノ的精神の象徴、後のフランツ・カフカを予感させるウリエル・ダ・コスタ、マラーノ的精神を文学作品と市民社会の中の在り方として韜晦しつづけるフェルナンド・デ・ロハス、そしてマラーノ精神の一つの論理的帰結としてのマラーノ星座、高邁なスピノザとドイツロマン派を代表するハインリッヒ・ハイネ、そして20世紀の預言的作家フランツ・カフカとである。

マラーノとは何か。西暦1492年のスペインにおけるユダヤ人国外追放令当時、ユダヤ人のとりうる道は三つあったという。一つは住み慣れた祖国を脱し海外に移住する道である。二つは国是に添ったキリスト教徒として生きる道。三番目は外面性としてのキリスト教徒と内面性としてのユダヤ精神を使い分ける道である。どの道を選んだにせよ彼らを待ち構えていたのは筆舌に尽くし難い過酷な運命であった。そして苦難にみちたこの三つの道からも疎外された第四の道というべきものがありえた。ダ・コスタやスピノザ、ハイネ、そしてフランツ・カフカが選んだ道である。それは自らが選んだ道というよりは、歴史的限界状況の中で、強制的に強いられた道でもあった。

フランツ・カフカがその芸術的形象的認識によって予見したものとは、戦前においてはスターリンやナチズムの統制下に措かれた密告社会、ベルリンの壁崩壊以前の東独において典型的にみられる東欧を普遍的に覆った密告のシステムを考えると理解しやすい。事情は日本や欧米の先進社会においても少しも変らない。そのやり方が洗練されて目立たないだけである。

第四の道、それは社会学的な考察の対象であるのではなく、個が共同体の内部で構える構えという意味では、思想の問題、文学の問題であった。勿論組織とは、それ自身の自己保存を図るかぎりにおいて、かっての生き生きとした理念を忘れ形骸化の道をたどるものである。組織なり共同体は一方ではその外延性において客観的・社会的意味を担い、それを文化と称する。文化とはそれ自身時間の地層を成し、それは善悪の判断以前に先験的な人間の条件をなす、それを伝統なり慣習という。組織なり共同体は他方で、その内包性において主体的自我を形成する。批判的主体たる自我の前には、外的な組織なり共同体あるいは社会ですらも、物象化した姿としてしか現れないのである。ここに近代的個人の悲劇がある。近代芸術の悲劇とはかかる批判的主体を基礎において成立、単に芸術的表現であるだけでなく、単に認識であるのでもなく、神なき時代に寄る辺ない個人に最後の拠点を提供したところにある。

                          ◇◇◇

最後にどうしても、幻のポルトガル国王ドン・アントニオについて語りたい。高貴なアヴィオス王朝の末裔にして流浪の国王ドン・カルロス。どこか我が国の後南朝の物語を思わせる。「フェリペの独裁主義に背をかえして離散のただなかに還ったアントニオは、同時に外なる世界との新しい繋がりを獲得していく。あらゆる反対を武力で押さえ、近隣諸国を己の支配下においていくフェリペの帝国主義的領土化の運動に、アントニオは、マラーノであることによって、権威からの、全体主義化からの離脱という、人間の自由な運動を対置するのだ。そして彼は、ピレネーを超えた西ヨーロッパ世界に活動の場を移して、反フェリペ運動に挺身しながら、最終的にはマラーの王国の建設を夢見るのである」

これが「国中で一番きれいな娘」ヴィオランテ・ゴメスが1531年2月16日に生んだ男の子の話である。貴種流離譚に仮託して語りそして語られているのは、アントニオに夢を託し支えづづけた少なからぬ人々がいた、ということなのである。そしてこの事情は今日においても少しも変らない。アントニオの不運さと人類の未来にささげられた懐かしい生き方は、どこか日本武尊の遥かな歴史的記憶への回帰を思わせ、市民戦争の記憶とともに、物語としての一抹の震えるような感動を与え続けるのである。