アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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白州正子展のこと――あるいは近江という国について アリアドネ・アーカイブスより

白州正子展のこと――あるいは近江という国について
2009-05-10 14:08:57
テーマ:歴史と文学

5月10日 日曜日 晴れ 白州正子にどういうことで関心を持つようになったかは今となっては定かでない。その後たいてい彼女の本を携えて旅に出ることが多かったので最も長期間に渡って愛読した作家の一人であるといういことは言えるとおもう。わたしは昔から近江という国が好きで、旅先の八日市で財布を落として回復するまでの心細い青春の日のドタバタ劇をも含めて、その関係で読むようになったのだろうと思う。近江を教えてくれた作家に現代では、水上勉秦恒平らの薄気味悪い本がある。それと溝口健二の「雨月物語」湖畔の宴で京マチ子が舞を踊る部分は妖艶にして虚無の極みというものを表現していて出色である。

それで近江という国は長いこと、この行き暮れるような心細い感覚をずっと私の中で保っていた。湖北の余呉湖を訪れたのも雨上がりの11月の夕暮れどきだった。つるべ落としのような日没の闇のなかに余呉の集落と杉の立木は没し、あてもなく訪ねた民宿はどこも予約で一杯で、追い返すわけにもいかず最後の家で物置のようなところに案内されて一泊したのを憶えている。翌町目が覚めると霧が静かに湖面を渡っていた。余呉を巡る時間は、死に等しいほどの静寂があった。後に三橋節子の本を読んで、病魔に侵された彼女が最後に訪ねた場所であることを知った。余呉は死者につながる入口にあたる場所なのであった。いいえ、近江という国自身が、にお(カイツブリ)の国、死者の国なのであった。湖北の菅浦あたりでは琵琶湖の奥まったところに水深の深いところがあって、そこでは戦乱や水難で亡くなった人々の亡骸がいまでも折り重なって堆積しているという伝説が、まことしやかに語られていたほどである。

近江の悲劇的歴史は、すでに壬申の乱や廃京を悼む人麻呂の挽歌に始まり、西軍の敗将石田光成や桜田門に散った井伊直弼に至るまで、敗者の記憶に満ちている。京や奈良が都であれば、当然都落ちという事態になれば近江が舞台となるのは理の当然なのであって、木曾義仲が今井四朗との粟津での美しい離別の場を演出するのも湖畔を望む松と葦の茂った視界のなかであった。のちに松尾芭蕉は一句を読んで、木曾殿と背中合わせに永遠の眠りにつくことの理念を語っている。奥の細道の中には、ほかに師匠をおもう一途な心が近江路の中間で邂逅するという劇的な、師弟の別れと出会いの物語も伝えていて印象深い。また別の句で、なぜ逝く春を惜しむのは近江の人とでなければならなかったのか、不思議である。

白州正子の近江好みが日本の敗戦と少し関係があるらしいことに気づいたのはずいぶん後のことだった。随筆集「ひたごころ」におさめられた近衛を哀悼する一文は、哀しみを越えて一種凄惨な趣である。正子に能舞台で舞を舞う姿をとどめた写真が一枚あるが、戦後の出発点にたった彼女は間違いなく修羅能の舞手の一人だった。寂とした静寂のなかで、たうたうと鼓は鳴り白い足袋先は舞台を滑ったのかと思うと、随分付き合いにくい人だったであろうと思う。あるいは自己の修羅性をあそこまで表現できる人は案外外目には穏やかで優美さを演じた人であったのかも知れない。

東京都南多摩郡鶴川村。実は青春の郊外電車の車窓で何年間も目の前を通り過ぎた土地であった。水田となだらかな雑木林の丘の連なり!愛読していた庄野潤三の家庭小説の舞台となった武蔵と相武の国境の風土。当時正子はエッセイストとして有名であったが偶像視され私生活まで話題となることは少なかった。今回展示場に足を踏み入れて重厚な豪農の家屋を改修したふたりのついの住み家を初めてみて、たしかに感激はあった。日常使われていたらしい什器備品類の一つ一つを訪れながら、正子さんはこんな風に人をもてなしそこには至福の時というものが流れたのかと思うと、たしかに感無量とはなった。涙がはらはらとこぼれた。それはたぶん彼女に案内されて経めぐった過ぎ去った遠い日本行脚の膨大な時間であった。


この真に貴族的なるものよ、たった一人で行け。私たち地上のものには目もくれず、天を仰いで一人行け。

 落日のようにおごそかに、
 落花のようにうつくしく。

                                「三田文学」復活第5号、1946年より

これは、近衛と時代に放った追悼の鏑矢の如きものであるが、その闘志たるや鬼神もかくや、とばかり思わせるものがあって、今となってはこの言葉を正子に送ることが、哀しい。


<データ>
白洲次郎と正子の世界展
2009年3月7日(土)~5月10日(日)
会場:福岡アジア美術館
主催:RKB毎日放送西日本新聞社
後援:福岡県、福岡教育委員会、福岡市、福岡市教育委員会
特別協力:旧白洲邸、武相荘
企画協力:東映株式会社
特別協賛:株式会社 やまやコミュニケーションズ
「”従順ならざる唯一の日本人”白洲次郎と、独特の審美眼で数々の名随筆を残した白州正子。
この稀有な夫婦の超一級のセンスとライフスタイルは、混迷を続ける私たちに、
今なお、尽きることのない憧れと尊敬、そして心地よい爽快感を与えずにはおきません。
第一部――かくれ里「武相荘」では、この個性の違う二つの魂がその共通の生活拠点とした「武相荘」を再現。
第二部――白洲次郎「風の男」の世界では、次郎の誇り高きセンスを様々な貴重な展示品とともに紹介。
第三部――白洲正子「美の巡礼者」の世界では、正子の権威や世評に頼らず、自らの美意識に忠実に日本文化や美意識を見つめ続けたその精神を、浮き彫りにします。そして、
第四部――「次郎と正子の20世紀」では、「比類なき夫婦」が生まれるまでの爽快なクロニクル(年代記)を興味深く紹介します。」(同ポスターより)

白洲正子「ひたごころ」2000年9月14日 初版一刷り ワイアンドエフ株式会社