アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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わがくににおけるエックハルトの受容 アリアドネ・アーカイブスより

わがくににおけるエックハルトの受容
2009-04-03 23:49:56
テーマ:宗教と哲学

以下に貴重な証言であると思うのでに、日本人のエックハルト体験の一例を引く。前記上田閑照の著作集よりの孫引きである。本意を汲んで許されたい。

それはほかでもない、私の娘が、舅の私にもまことに類まれな人と思われた最愛の夫を、しかも結婚十六年ほとんど病気らしい病気をしたことがなかった夫を、わずか数カ月の癌であっという間に失ったことである。もし二人の間に子供が恵まれていたら,いくらか異なった化も知れないが、彼女は突然の出来ごとに泣き叫ぶしかなかった。ちょうど五年ほどまえである。
わたしは途方にくれた彼女に、「これから大学に入りなおして神学をやったらどうか、この方面なら大体の見当もついているし、指導もしてやれると思う」と持ちかけてみた。私にはエックハルトが念頭にあったわけで、娘がこれからエックハルトに打ち込んでくれたら何にもまして娘のためになると考えたのである。しかし当時の彼女はこのような私の言葉を聞く耳を持たなかった。だいいち彼女は私の訳したものなど手にとってみようともしなかったのだ.
ところがそれから五年の歳月が流れる中で、彼女にとって第二の危機とでもいうべきものがやってきた。それは、前の危機には比ぶべくもないが、精神の空白という意味では恐るべきものである。私は、傷は時とともに癒えると思っていた、しかし、彼女の場合、私たちのところに来て号泣するようなことは段々少なくなっものの、傷口はふさがらず悲しみはむしろ深まったように思われた。ここにいたって彼女はやっと『神の慰めの書』を私の本棚から持ち帰ったのだ。今回は、私がすすめたのではない。私はむしろ何の期待も持たなかった。
しばらくして彼女から、これを読んで強い衝撃を与えられ、感動の涙を禁じ得なかったと知れせていたとき、私は一瞬耳を疑った。なるほど私は、私自身の若い日の傷心を辛うじてエックハルトの言葉によって救われたのであり、そうであればこそあえてこれを訳出したのだが、それでもなお未だエックハルトを読んで涙を流したことはない。そうであるのに、私の娘は、今まで一度も私の書いたものを手に取ろうともしなかったのに、(私自身旧態のままで再び世に出すなど考えたこともなかった)本書を読んで激しい感動を経験したのである。
こうなると、女は強い。何が何でもこの書を再び世に出し、多くの人に読んでもらいたいと願い始めた。これは今の人々にも必ず読まれるだろうし、自分と同じような運命に遭って苦しんでいる人々に大きな希望と力を与えるに違いない、というわけであった。(相原信作学術文庫版『神の慰めの書』あとがき)

シュトラスブルグやケルンで当時エックハルトの説教を直接聞いた修道尼やペギン会の女性たちにもあらためて思いを馳せた、と上田閑照は書いている。