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夏目漱石の正価 複製文学論をふくむ アリアドネ・アーカイブスより

夏目漱石の正価 複製文学論をふくむ
2015-06-12 11:51:40
テーマ:文学と思想


・ 鷗外、漱石と並列されて呼称される二人の「文豪!」、個々の文学研究もさりながら、「文豪」と云う語感に混じり合う神格化、神話化の作用がここで取り上げたいテーマである。

 鷗外は兎も角として、夏目漱石が神格化、神話化と馴染まないのは、在野にあって社会の中枢的ヒエラルキーや価値観に対して抵抗的な姿勢を示したと云う作家の履歴も関係しているだろう。国民的作家に神格化はなかったのか。

 漱石の神格化、神話化の可能性については、戦前と戦後と分けて考えるべきであるが、第一番目に取り上げたいのは、漱石の神話化が自由と平等を標榜した戦後に於いてこそ顕著であったことだろう。こと漱石に関していうならば、江藤淳から最近の柄谷行人姜尚中まで、イデオロギーの差異に関係なく高い評価を得ていることである。なにゆえ漱石の評価はかくまで高くなったか。

 これには戦後の政治的独立と経済的な拡張と膨張政策が関係していると思う。
 1945年の周知の天皇の敗北宣言以来、精神・物質その両面に於いて全てを失ったかに思えた戦後の日本人にとって、とりわけ文学が果たした役割は大きなものがあったと思う。戦時中に、文芸や芸術が白眼視されたと云うことも関係しているだろう。何となれば敗戦後の二十年ほどは文学とファッションを区別することが困難な事態があったからである。文芸の復興は国民の復興と同義だったのである。そうした文学に対する過剰なとも思える期待の中で、オピニオン性を象徴する過去の記念碑として夏目漱石と云う作家は国家意思と共同性によって利用されたのではないかと思っている。

 例えば1956年の『夏目漱石』で颯爽と昭和の文壇に登場する――その頃は文壇!というものがあったのだ!――新進批評家・江藤淳のあり方などもそうである。読んでみると解るのだが、特に上手い小説の書き手であるとも思えない漱石の偉大さは、偉大にして旺盛ななる生活人であったことによる、と書いてある。文学論を期待した読者としては、人生論や教訓を読まされたようで腑に落ちないのである。

 江藤の漱石評価の論述の仕組みは都会の秀才らしく手が込んだものである。夏目漱石の偉大さを言うに、作品論ではなく近代日本に文学を文学として基礎づけようとした文化文明の開拓者の如きものとして評価しているというのである。これではまるで、哲学を語ることを断念し、「哲学」ではなく哲学を「語ること」に自らの意義と活動領域を限定した往古のカント先生のようではないか。インマヌエル・カントの偉大さは別に考えるにしても、文学を文学たらしめるもの!とは、何とも壮大な意図ではないか。しかもこの壮大にして雄大な企画を成したのが当時二十歳を過ぎたばかりの慶應の学生だったところにセンセーショナルなものがあった。

 それにしても当時の文芸メディアと云うものが、二十歳過ぎの青年の説教師めいた言説を前に、恭しくも厳かに御神託を聴いたと云うのだから変わった時代だったのである。と云うよりも敗戦後のあらゆる自信を喪失し心身ともに打ちのめされていた当時の日本人にとって彼の果たした役割は、まるで古代の疲弊しつつある呪詛や呪いを理知の光で粉砕し、活路を見出したテーセウスのような役割を彼の中に見たと信じたのであろう。

 こうして戦後の夏目漱石の評価と云うものは、漱石の権威を意図的に特異にも語ることによって、言説者の威信をも高めると云う、皮肉な言い方をすれば新人のメジャー化のセオリーのようなものとして定着したかのようである。
 戦後の、そして「戦後」後の日本が、今後もなお国威発揚と掲揚の、発露とも云うべく国家的動意が底流として潜在する限り、漱石の神話化、その「戦後」後的なあり方は今後もなくなることはないだろう。その一方で、過剰な神話化作用の陰で、なかなかに正当な文芸評価が、活動が始まらないと云うのも変わらないあり方としては今後も活発に残存することであろうか。

 それでは江藤淳云うところの一流の小説家である前に明治大正期の後進日本を背負った一流の文明批評家とされた夏目漱石の、掛け値なしの正価と云うものはどの程度だろうか。
 『三四郎』と『彼岸過ぎ迄』に始まる二つの中期三部作を経て『道草』、そして『明暗』の中絶に至る作家としての夏目漱石の軌跡は、おおよそ、その文学論的な目論見を想像するに、英文学者としてスタートした文学的素養の出自の潜在性をも合わせて評価するに、ウィリアム・シェイクスピアジェイン・オースティンの戯曲や小説の如きものを理想として考えていたのではなかったか、ということが想像できる。

 ウィリアム・シェイクスピアの世界とは、青臭い倫理観や形式的で心情的な道徳が、冷酷で冷徹な現実の前に無惨にも破壊される物語であり、あるいは、たまさか運が良ければそれに要した労力とは到底見合わないけれども、小さな幸せを手にすることもあると云う、なんとも無惨で無味な教訓のない、お話なのである。シェイクスピアの舞台を見終わると、たいていわたしは神も仏もあるものか!と云う暗澹たる気持ちになったものだった。

 ジェイン・オースティンの古典的な形式美を持つロココ的ロマネスクの世界とは、好意をもった男女が身分とは関係なく愛し合うのは普遍理性の光に照らしても良いことだが、経済的な基盤がないところに真実の愛も育たないと云う、なんとも無惨な人生認識の観照的態度なのである。
 彼女に言わせれば過大な人生の要求に応えることは理不尽な暴君に仕えるようなものであって、人生には「本当の愛」とか「人生の本当」などと云うものはない、かかる人生の不可思議さとその所以をそれなりに程々に評価しつつ、冷静に穏やかな人生を送ることを推奨する、と云うものである。これがドーヴァーの向こう側の世界で戦われたフランス革命に端を発する、一連の出来事、ルソー主義に対する反措定であることは明らかだろう。

 かかるシェイクスピアやオースティンの、大人の、如何にも成熟した人生に対するイギリス上流階級の観照的態度をもって、漱石は「則天去私」と名付けたばかりなのである。彼自身が「則天去私」を実践したわけでもなければ、それを応用した作品を書いたわけでもない、という江藤淳の記述は本当だろう。好意的に言っても、「則天去私」風の小説を書こうとして中途で病魔に倒れ討死にも似た死を死んだ、と云うところが正当な評価ではないかと思う。

 むしろ漱石の真価は洋行帰りと云うことにあった。一旦、日本の外側に出てみて、欧米人並みの教養を身に着け、あるいはそれ以上の知識と洞察力をも身に着け自らのものとして体質化し、高い立場から小さな全体としての日本を顧みると云う姿勢、そこにこそ漱石の真価があったと思う。同様の経緯をもったもう一人の森鷗外とは違って、洋行帰りの保守主義者にならなかったところにも漱石の真価がある、と思う。

 しかしここから『普請中』の鷗外のように、同時代の思潮を見下して、おれは西洋を内側から経験したのだから、日本の今後の経緯もだいたいわかる、と自信過剰に陥るのも問題だろう。鴎外だけを非難するのも当を得ていないのであって、漱石に於いてですら先進国を既に見終わったその目で見た時に、日本がどう見えたかと云うことは、江藤淳らが激賞するほどのものであったかと云うと、わたしはかなり疑疑問視している。

 ひとつは、『草枕』や『三四郎』と云った中期の作品の評価が定まっていない。
 『草枕』は、首都東京から見れば西の果ての九州は熊本と云う県庁所在地の学校に赴任した漱石が、如何に東京人の目で地方を見、洋行帰りの物知りの目で見た時に実際の明治の現実が見えなかったか、と云う風に読むべきなのである。これを本人の言説を信じて低回趣味などと云っては身も蓋もない話である。
 夏目漱石の目に九州の一県庁所在地の都市が低回趣味風に観えたのは、激動の明治期の青年時代の疾風怒濤の時代が終わりその若き理想の時代が潰え去って、戦後の間延びした平和の相対的安定期を俳諧風盆栽趣味の平安と勘違いしたと云う似に過ぎない。
 語り手は、熊本の城下からひと山もふた山もある峠を越したところにある海沿いの鄙びた温泉地に、一人の狂女を見出すのだが、この狂女にして旅館の若奥様・奈美こそ、『三四郎』のわが偉大なるヒロイン里見美禰子さん先駆的形態なのである。
 夏目漱石の限界のひとつは、かかる美禰子さんの系譜にある女性像を追求を通して実像としての近代を描き得なかった点にある。なぜなら漱石が美禰子さんのイリュージョンとともに見失ったことにこそ、日本の不可視化されたものとしてのイコンとしての「近代」が、沸々として姿を見せていたからである。

 『草枕』の那美さんとは、漱石が詳しく書いていないので分からないけれども、廃藩置県から自由民権運動の終息に至る、いわゆる明治の青春の美しき象徴としてあり得ていたのではないかと想像している。
 彼女が気が狂ったのは、それほどまでに人を狂わせるほどの理想を人は持つこともあるし、時代は時に経験する、ということなのである。
 明治時代初期の地方は、『坊ちゃん』に描かれたような奇態な人種が生息する異界ではなかった。明治の青春は地方に於いてすら様々な可能性のあだ花として咲き乱れ、冷徹な機械文明の歯車によって摘み取られていったのである。その考古学的現代史の痕跡が、明治期のエリートの目には未だ当時は見えなかったのである。
 今日読んでも『草枕』に感じる懐かしさの感じは、エリートと歴史のすれ違いの必然と理りを描いて余韻嫋嫋たるものがある。

 『三四郎』もまた今日ただしく読まれているのかどうかをわたしは管見に無知なので、知らない。
 『三四郎』を理解するポイントは、三四郎と云う青年の鈍感さである。地方出の、これから人生と都会に出ていく白紙のような青年の純朴さを描いて教養小説風に仕立てであるが、本当は怖いミステリーなのである。

 『三四郎』の怖さは、白昼堂々と幽霊が出現すると云うドラマ設定である。幽霊とか亡霊とかは語弊があるけれども、「近代」と云う名の亡霊のことなのである。佐々木、広田、野々宮、主要な登場人物のみながそうである。最大の妖怪は里見美禰子である。小説は東大の三四郎池のほとりに立って――当時、三四郎池の名前はなかったが――築山の向こうに里見美禰子の偉大なる姿を遠見するところから始まる。

 田舎青年小川三四郎の前に媚をしめつしつつ折あるごとに冷徹に突き放す謎の女性に今風の奇態さの解釈を見るのだが、それは半ば文明開化のファッションでもあった。それ故に田舎出の三四郎はわけのわからない魅惑や蠱惑を感じて惹きつけられていくのである。

 こうした都会の媚や蠱惑の延長線上に、上記の亡霊たちが続々と登場する。その仕組みが最期まで分からないところにこの作品の怖さがある。
 一例をあげるならば都会と人生の案内者、呑気な遊び人佐々木与次郎にしたところで、単純な享楽人とばかりは言えないのである。実際にこの小説の中で最も重要な台詞、――「恋することは可哀想と思うことと同義である」は、小説を最後まで読んで初めて「近代」を経過せずには言えない台詞であること、のんびりとした青年の表の表情が最後は表情を消した仮面と化し、仮面の背後には暗澹たる素顔を彷彿とさせる、というところでこの小説は終わっている。

 そこで読者は、佐々木青年に言えることは、広田先生にも、学究野々宮にも言える、つまりこの小説に出てくる三四郎以外の人物全てに云えるのではないかと云うことに思い当たるのである。
 読み終えてみれば三四郎以外は全て亡霊だったと云うお話である。漱石が尊敬していた作家にヘンリー・ジェイムズがいて、彼の代表作のひとつに『ねじの回転』というのがあるが、語り手以外は誰も信じることが出来ないと云うあの心理的に追い詰められた感じによく似ているのである。つまり『ねじの回転』を読み終えて感じる恐怖は、語り手以外は亡霊でなければ幻想であった、という実感なのである。

 作者が書いていないので何とも言えないのだが、読後の恐怖の中で、恐怖感は畏怖と云えるものにまで高まる。里見美禰子とは本当は誰なのか。彼女は小説の終わりでは三四郎を散々翻弄した挙句に彼女の身辺にいた経済力の確かな男と結婚してしまう。まるでエッセンスが抜かれたジェイン・オースティンの世界のようでもあるが、『三四郎』の確かな読後感は、自由奔放な生き方をした明治の青春時代を生きた女性の履歴を彷彿とさせて余韻嫋嫋として終わるのである。

 彼女は、初見の三四郎に向けて、「迷える羊」であると呼びかける。「迷える羊」はむしろ彼女の方なのである。決して語られなかった彼女の履歴にこそ、明治の青春の余香が纏綿と煌めきつつ流れている。

 三四郎は散々美禰子の思わせぶりに翻弄されたと云う風に信じさせられているが、それは三四郎の勝手な思い込みに過ぎないので、実際は、成熟した女である美禰子が子供のような三四郎に魅かれる理由はほとんどないのである。あるとすれば恋愛感情を抜きにした友情のようなものである。

 それではどんな形の友情だろうか。同志愛あるいは姉弟愛に近い友情、しかも性的なものを抜きにした友情であったとわたしは思っている。
 恋愛と友情の違いは、知性抜きでも愛は成り立つが、友情の場合は、学識や教養があるとか云う「もの」としての知識のレベルではなく、人格と対面する臨床と云う意味で、なにほどか知的な行為なのである。

 里見美禰子は、純朴な三四郎を青春の哀惜の目でもって見る。出会った時から彼女の側だけには郷愁があった。迷える羊とは西洋との出会いを意味する相言葉であり、西洋を経験し、その経験が十分生きられないまま屈折し、中途で曲がり切った、というような感じなのである。いままさに交差点を曲がり切って、三四郎の視界から美禰子は姿を消そうとしている。美禰子の媚とか思わせぶりとか思われたものは、彼女流の挨拶の儀式なのであった。

 『三四郎』は、男女の関係が、性的なものを抜いて、知的に描かれた日本近代文学の稀な一例であると思う。
 里見美禰子、里見八犬伝、かかる連想は、美禰子を中心に放射状に延びて、悲劇的に飛び散った近代の痕跡を求めて、もう一つの物語が始まらなければならないところであった。

 佐々木与次郎青年についても漱石は最初にヒントを与えている。
 三四郎は本科であるのに対して佐々木は予備科であると書いてある。今日からは分かりにくいけれども予科であった西田幾多郎の屈折した心情の理解を通じて、わたしたちはその一端を想像することができる。格差が如何なるものであったかは、差別意識を動因として偉大なる西田哲学が組み上がったその規模の大きさをみても解ろうと云うものである。かれはエリートたることを約束されない青年の候補なのであった。彼のノンシャランな態度にこころの屈折を読まなければ嘘だろう。

 そうした目で見ると、志を得ない万年平教師で終わりそうな広田先生の書かれざる過去の人生履歴も気になるところでもある。
 彼が独身を通しているのも意味深長である。人の良さそうな永遠の学究野々宮は美禰子のフィアンセとも思われながらあっさりと断念してしまう。諦めのよすぎる点に彼の甲斐性のなさを云々する以前に、何かいわく言い難い人生の悲哀というか、寂寥を感じてしまう。

 『三四郎』が持つ懐かしい感じは美禰子の眼差しであると同時に、近代を経験したもの同士としての眼差しであり、近代は小説の言説的空間に正確に反映されることはなく、痕跡だけが進歩の意匠の背後に埋め戻されて、三四郎を東京と云う都会に案内すべく集まった登場人物たちは、結局は生ける近代の亡霊であった、というのが話の落ちである。

 それでは漱石に於ける近代の痕跡はその後どうなったか。
 わたしたちは『こころ』にその後の最終的な結論を見ることが出来る。
 この世界でもまた『ねじの回転』と同じようなミステリアスな感じ、雰囲気が立ち込めている。今回はおどろおどろしい。
 誰を信用していいかわからないと云うのは『こころ』のテーマでもあるが、それ以上に主人公と読者が一読して感じる臨場的な所感なのである。

 『こころ』では近代の痕跡は、『三四郎』や『それから』のように印象派風の優雅で上品な形は取らない。『こころ』の影の主人公Kとは、呪われた存在である。近代としての呪詛を完成させること、それが『こころ』の不気味とも云える成り行きである。

 明治期以降の日本人が近代化の洗礼を受ける過程で、『三四郎』の登場人物たちのように、優雅にもロマンティックにも受け流すこともできた。しかしそれが叶わないこともあった。例えばそれがKで、彼は若き日の先生のたちの人間関係の気まぐれに翻弄され、自らを死に追いやってしまう。Kについても漱石の記述の怖ろしさは、もしかしたら自分もそうしたであろうな、と思わせるところにある。

 Kの自殺の特徴は、自殺と云えばよくよくの理由を想定するのだが、恋とか愛とか惚れたとは腫れたとかの詰まらない理由である。
 よく考えればそうである。近代を経験することで、近代と云う体験の中に何か自己処罰の誘惑のような元型、呪いの鋳型のようなものがあって、近代を好む好まぬに係らず何かネガティブなものを刷り込まれてしまうのではなかろうか。漱石の『こころ』には、倫理的な作品であるように見せかけながら、危険な傾斜がある。

 わたしが『こころ』をある意味で怖ろしい小説のひとつであると思うのはそうした理由もある。

 『こころ』の薄気味悪さは、ちょうど『三四郎』の広田先生の後身を思わせる、特に魅力的であるとも思われない中年の男と語り手の若い男の間に、言葉を交わさなくても通じ合うような濃密で陰湿な感情が流れ始めるところから厳かに始まる。

 その後話の展開で語り手が案内される小石川の先生の家は死の家で、やがて先生の遺書によって明らかにされる秘密が、公然とした出来事であるのに、あたかも知られざる秘密であるかのように演技する、一団の人たちがいる。
 演者たちには秘密を演技しているという意識が無く、だから後ろめたさというものが無い。秘密を秘密のままに、決着がつくまでは押し通そうと云う意志が、ドラマの語り手以外の人間たちには何か、個人的意思を超えた共同性のように通底しているようにも思われるし、その平安を装った仮面が持つ恐ろしさは、仮面と素顔の区別が最終的にはつきにくいという点にある。
 わたしたちは仮面と素顔の区別がつきにくい状況というものを、後知恵的に、精神病理学の知識として知っている。いはば人格と云う輪郭が崩壊するのである。

 最後に、先生は危惧された通りの死を選んだかのようである。その一部終始が「遺書」として残され、呪詛は人から人へ感染するかにも見え、語り手の「私」は言葉によって覚悟を掴んだかどうか分からないまま、この謎に満ちた小説は終わる。

 奇妙なことに『こころ』が発表されてからゆうに半世紀以上も経って村上春樹の『ノルウェイの森』の中に、類似の、常套的な同様の形骸化された反響を見出す。
 村上春樹夏目漱石はまるで似ていない。しかし『ノルゥエイの森』と『こころ』の結論の部分が与える読後感には似たものが感じられる。『ノルウェイの森』もまた、近代の経験と再洗礼と自己処罰の衝撃を描いたものだったからである。

 漱石の『こころ』には死の誘惑と果敢に闘う先生の姿が戦場の硝煙の中にちらちらと散見される。そして力尽きたのかいつしかわたしたちは彼の姿を見失ってしまう。
 村上春樹の『ノルウェイの森』の特異さは、――江藤淳風に言えば生活者としての漱石が生涯の意思をかけての死闘であったものが、ファッションとしてもいまなおリアリティを持つ、という点である。
 コカ・コーラやポップと同じ感覚でKに関わる物語が語られるのである。言い換えれば近代の呪詛というセオリーに添って語れば文学の素人が語っても一定のリアリティが生じるという言葉の世界の不思議さがある。
 
 Kに関わる物語が今なおリアリティを持つと云う意味は、『こころ』の執筆を通じて苦闘した、文豪夏目漱石の取り組んだ思想、すなわち死に飢えた資本主義とは古代の一神教の神のように、嫉妬深く猜疑心が強くその妬みのこころは無限の犠牲を欲しがるということ、すなわち大量の命を安価ならしめ、システムを維持するためにそれを蠱惑的な媚態でもって血で贖えと命ずる古代の物神が、いまなお、戦争と平和の差異を時代を超えてリアリティを保っている、ということなのである。

 『ノルウェイの森』の末尾部分ではわたしたちは奇妙な風景を目撃する。
 主人公のワタナベ君が憎からず思っている「緑」に電話ボックスから話しかけるのだが、言葉が上手く通じないのである。ビートルズの愛こそは全て、というようなことを語ったようにも思うのだが、むしろあなたは誰なのと聴かれてしまう。
 正確には、「あなたはどこにいるの?」と聞かれたのだが、それがワタナベ君にはアイデンティティの証明を聞かれたような気持ちになる。
 僕って誰だろう、と初めてワタナベ君は自らに問う。どこの誰でもありうるような空白としての私、エブリーマンとしての私、その存在の問いかけが分からないのでワタナベ君は電話ボックスの外に広がる闇の中に何とか答えを見出そうとして虚しく辺りを見回す、というところでこの印象的な小説は終わっている。

 『こころ』はそうではなかった。遺書として事件が言葉の空間に移設された時に別の秩序が生じるはずである。語り手の「私」はまだそのことに気づいていないけれども、少なくともエブリーマンとしての私であるよりは、固有な私に変化する契機を漱石の小説は秘めていたはずである。

 海の向こうではベトナム戦争終結して随分経っておびただしい死者たちの骸が記憶の彼方に消えていく時代であった。
 漱石フランツ・カフカですらもファッションとして、呪詛としての近代のセオリーを踏まえて描きさえすれば時代のリアリティが言葉の陳腐と形骸を支え、リアリティを与える時代なのだった。村上春樹は良い意味でも悪い意味でも、あの日あの時、時代のリアリティを捉えていたのである。

 村上春樹が時折見せるいらだちは、ホップアートと複製芸術の時代に、一定のリアリティが疑い得ないものとして村上の文学にあるならば、オリジナルでなくて何が悪い、複製文学で何が悪い、という居直りの問いかけであるようにも思われる。