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遥かなる死者たちの影――『こころ』と『ノルウェイの森』 アリアドネ・アーカイブスより

遥かなる死者たちの影――『こころ』と『ノルウェイの森
2015-06-13 11:12:23
テーマ:文学と思想

1
序説的概説:夏目漱石を論じようとしていつも疑問に思うのは、なぜ漱石だけなのかと云う思いと、漱石の諸作中でも何故『こころ』だけが偏愛されるのか、と云う素朴な疑問だった。にんげん歳をとって余時間を計算するようになると、幾つか積み残した問題のひとつかでも、もう一度距離を測り直して計測してみたくなる。この小論は、漱石にかかわる二番目の問題に関わるものであり、先の記事は第一の問題に関わるものである。
 『こころ』の問題を考えながら、実を言うと日本人の死生観が関わりがあるのではないかと気づくようになった。死者それ自身と、死者のかげにあるものと、死者たちを悼みつつ見送るもの、かかる死をめぐる巴の家紋のような三項関係が『こころ』の中に顕著に見て取れる構造であることを踏まえつつ、実は夏目漱石の死生観は、古来からあった日本人の伝統的死生観の近代的変容のひとつではないかと疑うようになった。漱石が日本人の死生観を踏まえつつ、明治日本が近代化していく過程で資本主義的な生産様式を受け入れ、欧米の文化文明を受容する過程で伝統的な日本人の死生感はどのように変質して行ったか、たんに客観的に変質と云う事態が観察された言説として云々されるだけではなく、資本主義的生産様式と生産体制の中にそれが有機的な生きた意味関連として象嵌され、奇怪で奇形な形で生かされていく近代日本人の悲劇の相貌を、乃木殉死事件と漱石の『こころ』をとおして、できればラフスケッチだけでも描いてみたいと思ったのだった。
 日本資本主義は黎明期の創設の過程で、旧の江戸徳川の幕藩体制から脱皮し列強の伍していくためには少なくとも二つの事が必要だった。ひとつは土地と祖先の神々に土俗的に密着した共同体と、それに付随した伝統的な生産様式を根底から破壊し再編することだった。共同体の破壊を通じてあふれ出た住民を準ディアスポラとして――一方では知的な中産階級として他方では勤労者階級として――都市文化と産業構造の活力として導入すると云う施策と云うか、遠大な国家プロジェクトがあった。(※南方熊楠の報告によれば現人神を標榜する天皇の元での神権一体型の政権下で、あろうことか神社の森の三分の二が統廃合化され焼き払われたと云う。)後発の主本主義にとっては追いつき追い越すためには、生産の効率と合理化の徹底のためには、任意に取り換え可能なものとしての大量で安価な命が、無名的な「もの」としてあることが必要だった。(※資本主義の物質感と理解するためには素朴実在論的な「物質」であると云う理解だけでは不十分である。初期キリスト教的な「精神」が如何にしてロマネスク様式に於ける「光り輝く物質」として会堂の「壁面」を構成するに至ったか、「光り輝くマッシーヴな壁」が如何にしてゴシックの「光り輝く『空間』とその変容態としての『時間』」へと変容したかと云う、物質概念の神学的神秘性を理解することが大切である。マックス・ウェーバーが主張したように資本主義を理解するためにはキリスト教を、「精神」として理解することが必要である。)
 資本主義は、基本は自由競争を原理としているために実は格差を位置エネルギーから取り出した原動力として機能する半ば機械的システムであり、その循環的自己矛盾的自己増殖の構造は、恐慌等の、準自然的でもあれば必然的な非日常的な事態によって調整される。恐慌とは、資本主義が自己増殖する過程で内部の不均衡を調整する手段のひとつとしては海外に向かって膨張する、かかるあり方は帝国主義と呼ばれて必然的過程であるように語られた。また位置エネルギーとしての内部的格差は、国家間の格差として外延的に「外」に増幅的に反転させられる。結果として国際間の出来事としては、派兵や侵略と云う状態が常態化され軍国主義の形態をとることも、ある場合には必然となる。
 次に帝国主義は外地や植民地経営を通じて学んだ差別や非人間化の思想の構造的自己学習化を通じて、それを非人間化の構造として、増幅的に内地に反転させて利用する応用工学でもある。かかる内部/外部の相互循環過程が無限の相互参照過程となって循環し、ある場合は人権に対する譲歩的形態をとって親和的な外見をみせる場合もあれば、あるいは反人道性の相貌を露骨に主張することもある。いずれにせよ資本の論理の倫理は、両極性の極端を自己循環的に往復し、恩寵に満たされた神の相貌と悪魔の相貌を代わる代わるに交代させ、人間を両価性のアンビバレンスの前に立たせあらゆる判断を奪ってしまう。かかる賞罰相半ばする資本主義的往復の過程には、対象化された客体レベルの人民には極めて情緒的・主意的な感情を強いるのとは反対に、資本自体はいささかの感情的感傷も含まない。それが資本の不可視の、形而上学的な論理なのである。
 資本の論理とは、価値判断を含まないことで「科学」であることを標榜し、学問体系と上部構造に影響を与える。資本主義的言説は左右のイデオロギーを超越し、宗教権に代わりうるものとして自らを定立させる。資本主義が世俗に君臨するあり方が守銭奴と異なるは、あくまで忝くも有難いキリスト教的な超越の精神とその機構を踏襲しており、現下の科学万能主義の起源が意外にも中世のほの暗く如何わしい秘所であったことを雄弁にも語るのである。現代に於いて科学的であるとは神学的である、と云うことである、皮肉なことに!
 さて、本稿は以上の資本主義の黎明期における産業構造の改変に焦点を与えつつ、かかる再編成の全過程の中から、日本人の古死生観が乃木希典殉死事件を契機に、巧みに権力に利用され偽装されつつ、如何にして安価で取り換え可能の大量の労働力の確保は可能であるか、人民の命の軽さ!と云うイデオロギーが如何にして誕生しつつある歴史的側面を観察しつつも、それと必ずしも同調するわけではなかった夏目漱石の『こころ』が、不本意にも資本主義的産業構造の再編の策謀のドラマに不可避的に巻き込まれて行かざるを得なかったかの、事情と経緯を描こうと努めている。
 漱石の乃木事件に対する評価は明らかであって、彼が死の誘惑に翻弄されつつも、最終的には死を美化するものではなかったことは、『こころ』のKの自裁を描いた場面の凄惨な描写によっても一端を知ることができる。乃木の殉死と云う行為を単に美化したかっただけであったなら、狭い下宿の陰気な部屋でKが死ぬ必要などはなかったのである。
 むしろ『こころ』の畏ろしさは、乃木殉死事件の社会的事件として、外側からの誘惑はどうにか凌ぎ回避できた漱石が、Kの自裁の場面を描くに於いて、近代の呪詛ともいえる、内側の敵に直面し、死の魅惑と誘惑には抵抗する有効な術を欠いていた、という面にこそ真の偉大なる悲劇性が現れていると思われるのである。近代の呪詛とは、死すことによって、訂正できない絶対としての死の広がりゆく翼賛の陰に、必然的に「先生」の努力を無条件降伏的に内通的に取り込んで溶解させ、内側から巧妙にも良心や負い目の自覚と云う手段によってコントロールしてしまう点にある。
 近代の呪詛とは、呪いや呪詛が死が持つ絶対性に転生することによって、死者が生き残ったのものを内面から支配しようとする、死の政治学だったのである。実を言うと、宗教の人類史的発生は、如何に死すべきものとしての人間の観念を統治の形態の中に引きこむことであるかとされてきた。中性的神学の再現であるところの資本主義が死の制御と統治を使って人民を支配しようとすることは、政治学のセオリーからすれば当然であったとも云える。
ところで、日本人には、生死にかかわりなく和魂と荒魂の二つの様態がある。この世のあり方が和魂の様式で生き得た場合、来世での魂の転生もまた和魂である場合もある。この場合、この世とあの世の関係はプラスとプラスの直列の構造になる。この世で荒ぶれたあり方をした魂は、来世に於いても悪の荒魂であるあり方を継続的に追求することもある。この場合はマイナスとマイナスの直列の関係になる。ここまでは分かりやすい。夏目漱石の『こころ』が描いたのは、理性的で義理堅い魂が強い自制心ゆえにこの世に名残を残し、満たされなかった今生の思いが死の境界面で反射反転して転生した結果が荒魂となり、死の翼の陰の影響力でもってやがて生き残ったものの一人一人の内面的を拘束し、支配の論理を貫徹すると云う畏ろしき物語なのである。死者が生者を徐々に支配し始め、終には死の誘惑に引きこんでしまうと云う物語だったのである。
 しかし他方に於いて、漱石の『こころ』は、死の翼賛の陰に生きざるを得ないものが、如何に死の誘惑と闘いつつ日々の日常的時間を留保、確保しつつ、しかし最後には力尽きて敗者の道を選ばざるを得なかったかの記録でもある。『こころ』には単純な死の礼賛や賛美があるのではなく、「先生」が如何にして死の決行を一日一日と日延べし順延し、持続的持久的に闘った物語として、生の抵抗史として読むべきであろう。しかしながら漱石の意図からは独立したものとしてあるテクストとしての『こころ』は、乃木希典の殉死事件が歴史のリアリティとして築きつつある虚構としての構造をなぞるものとして国民には読まれてしまうと云う、歴史の必然性の前に立たされていた。作家や作品の意図を超えて、歴史の必然がテクストをそう読ませてしまう、と云う時代の要請が確かにあるのである。時代の要請の負の磁力が作家の意図を遥かに凌駕するのである。
 なにゆえ夏目漱石のみが好まれ、なにゆえ『こころ』のみが戦前に於いても戦後に於いても、異なった局面異なった理由からではあれ、偏愛されてきたのか、これにはそうした時代のリアリティと云うファクターを考えないと上手く説明できないのである。
 さて、乃木事件とその国民的芸術的形象化としての『こころ』が今日に於いても十分に読むに堪ええる作品であると云うだけでなく、日々新たに更新された意味内容を付与されて継続的に文学的な営為の中で甦ると云う今日の読書会の現状には、日本人の死生観に上書きされたものとしてある『こころ』の死生観に於ける三項構造、すなわち死せるもの、死の影の谷にあるもの、そして両者を死者たちとして弔うものとしての死のトライアングルが、今もなおリアリティを失ってはいないと云う隠された理由、隠された現実があるのではないのか。
 この問題を逆の方面から説明しているのが――資料として観た村上春樹の『ノルウェイの森』の場合である。この小説は激動の1960年代の終わりころを起点に描かれたもう一つの『こころ』であり、平和の中に於ける死と云う違いはあるものの、死の三項構造、死のトライアングルはここにおいても正確に踏襲されれている。村上春樹の文学的経歴から『ノルウェイの森』の問題意識を読み解くことは唐突であるが、逆にいえば三項構造と云う作法上の形式さへ踏まえていればある程度のリアリティは時代の方から保障してくれると云う、不思議な関係を見て取ることが出来る。仮に作家の個性が空っぽでもリアリティは時代背景が作品を補償すると云う関係である。失礼な言い方をすれば村上春樹は彼の小説の中で描かれた人間像とは何の関係もないのである。反って80年代の読者は『ノルウェイの森』と云う名の粗い鋳型に嵌めて自らの情念を過剰に読みこんだのである。
 おりしも、同じころ批評家の柄谷行人はその注目すべき評論『日本近代文学の起源』に於いて、個性の死を宣言した。正確には「個性」は「内面」や「告白」と言い換えてあるが、近代作家の実存の根底をなすとも思われた内面や作家的良心、さらには実存としての個性や自意識を、近代の権力構造が補完性として生み出した人工的な虚構であると断定したのである。虚構が虚構であるにとどまらず実存として補償したのは近代社会のあぶれ者としての知識人が弱者の論理を反転させて、ひとを権力とは別の意味から、内側から人間を支配する技術として告発したのである。
 実際に『ノルウェイの森』を読むと、『こころ』ほどあからさまではないにしても、死の支配の政治学と云う側面は否めない気がする。柄谷が、近代史の全過程を通じて告発した知識人の側面がカリカチュアと思えるまでに正確上書きされるように描かれている。そして柄谷が日本の近代史に見た「内面」の不在こそ、『ノルウェイの森』の最終場面で主人公ワタナベ君が恋人緑に虚しく呼びかけるあの場面に畏ろしいほど正確に対応していたのである。
 『ノルウェイの森』は、結果的に「内面」を脱落させることによって死者たちの影から逃れることが出来たというように書かれているからである。
 
2
https://www.youtube.com/watch?v=V4aJMa-Livo
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・ 直接的な影響と云うのではなくて、漱石の『こころ』と村上春樹の『ノルウェイの森』には、ある共通の構造があると思うのです。
 資質や才能も違っている二人を並べて作家論をするつもりはないのです。出来上がったテクストとして、そこにはある共通した構造があって、その構造が、作家の個性を超えた、国民の無意識の不可視化された構造として定着していて、この構造をセオリーとして守れば、まるで違った没個性の人が書いても、『こころ』のような味わいを持った作品が自然に書けてしまう、ということを言いたいのです。
( 形骸化した言語や言説に時代がリアリティを与えるのです。)

 その構造とは、こういうことなんです。
 死者たちの傘の陰に生きる人たちの物語なのです。その物語は、死者たちと、死のかげに生きる人と、その両者のドラマを経験して第三者に伝える人、と言う三項関係で説明できると思います。
 死者たちとは、『こころ』の場合は、「先生」の友人Kです。死のかげに生きる人とは「先生」、そして死のかげのドラマを伝えるのは、語り手「私」です。「私」の特異さは、「先生」から何も聞かされなくても、既に分かってしまう、と云う感受性の特異さと云うところに本作の特性があります。

 興味深いのは『こころ』の三項構造ではなく、三項構造が当時の国民の心に合致する、いわく言い難い魅惑と蠱惑の構造、死への憧憬と云う心理的刷り込みが鋳型として機能する実存の構造を不吉な遺産として残したという点なのです。

 『こころ』が書かれたのは大正時代も殆どあたまの頃です。乃木希典の殉死事件に端を発していることは公然の事実関係です。
 乃木希典の殉死事件とは、江戸幕藩体制下の忠孝の儒学的理念が、藩主や目上のものという可視的な対象から、「天皇」という不可視の対象へ変更されたと云う意味で画期を成す事件ではなかったか、と思うわけですね。対象の不可視性のがなぜ大事なことであるかと云うと、殉死と云う行為、――命を軽々しく考える思想が、内容や具体的な情念を捨象した、天皇の武士道として広範な国民的な規模に於いて、雪崩現象のように起きることが必要だったのです。なぜなら近代的な産業が安価な命を大量に必要とするシステムであることは産業革命期のイギリスで生じたことです。また近代と民主主義が内部に不可視化された仮想の敵を顕在化し、幻想の実在化を通してシステムの安定化を図る自己修復作用をもつ自動的な構造であったこと、しかもその構造が一方では革命の理念を騙りながら、他方では古代一神教を思わせる妬みの神、騙りの神であり、無限の血の犠牲を欲する殺戮機構であったことは、フランス革命後の経緯やナチズムや人民戦線方式が雄弁に語るところです。

 つまり、こういうことです。――漱石の『こころ』が書かれた時代とは、日本の近代産業が寡頭制的大企業型の資本主義に変化していく中で、戦争と云う血生臭い事態だけではなく、平和の中に於いてこそ日常の、取り換え可能の大量の安価な命が必要とされていた、と云うことなのです。(この点は1980年代における『ノルウェイの森』に於けるスズキの過剰なる死、と云う概念を通じて後で触れることにします。戦争と平和を二項対立的に論じるのではなく、通底するものとして論じることが出来なければ、あらゆる平和論は非力なのです。)
 こうして考えると、わが国の近代産業と世界戦争の関係は逆転してまいります。右翼的なものの考え方をする方たちは、いまでも盛んに太平洋戦争が挑発されて強いられた受け身の戦争だったことを強調するわけです。こんな感傷的なものの考えだから諸外国に付け込まれるのです。
 日本の近代産業は、列強と互角に体制を維持していくためには、今後、就労可能な労働力を、天皇の不可視の労働力として安価に、大量生産させる必要があったのです。乃木希典が殉死の理由として、過去に旗を奪われたことを理由としたように、理由は些細であればあるほど、竜頭蛇尾の頭でっかちの観念であればあるほど、理由づけが単純で陳腐であればあるほどよかったのです。(乃木希典を差し置いて、理由をこと挙げすることすら不純だとみなす葉隠れ武士道は極限態として登場してくるのです。)

 話が武士道の方に逸れてしまいましたが、戦時大戦下の功績は、それを産業社会の方からみれば、はがき一枚で一億の民の命を召すことが即時即刻に於いて可能な、赤札の構造だったと思います。
 日本国民は、一生懸命が「一所懸命」を語源としたといわれるように、土地と村落共同体に結びついた世界一統制された保守的な国民でした。つまり企業運営や資本主義的な生産様式などより鎮守の森の儀礼と、檀家制度の維持の方がよほど大事な国民であったわけですね。大地に根差した「一所懸命」の国民を如何にして近代産業の構造の中に囲い込み解き放つか、そのシステムが例えば赤札だったのです。

 戦時統制下の統制経済共産主義下の計画経済とともに、後発の資本主義国が如何にして短期間で列強諸国の水準に追いつけるかと云う、苦肉の策の面がありました。
 天皇と軍部の号令一下、即効的な統制経済がなければ日本の資本主義は50年以上は遅れていたでしょう。日本資本主義の立場から見れば、戦前戦時の統制経済と官民癒着型の55年体制は、高度成長期の下準備として極めて合理的なあり方なのでした。‘
 再び詭弁的な言い方をすれば、日本は戦前戦時の統制経済アナクロニズムがなければ、60年代の自由主義レースに間に合わなかったことは間違いないでしょう。現在の繁栄もなかった、と云うことになります。
 しかし戦時中の日本人の見識のなさ、無謀無知さと軍部の知能の低さですら老獪な資本主義システムは利口ですから、有意に巧みに利用しうるのです。東条と取り巻きの低能さが、日本資本主義の進行と云う面ではプラスに働くのです。

 人間は欲と経済的利害を無視し得ないとは人を使う場合の常識ですが、土地に根差した村落共同民を単なる利潤追求の私企業型社会に動員するというのは、考えるほど容易なことではありませんでした。(例えば亜アフリカ諸国ではこのように資本主義的大規模収奪は行われました。現地生産現地消費の生態系自己循環システムの中に大規模型農場経営が資本投下の論理によって経営されるのです。そのことで価格破壊と自己循環の村落システムが破壊され、結果的にジャングルと草原で暮らしていた原住民の生活が成り立たなくなると、それを一方では都市生活が強力な吸引力でもって吸い込み、他方では大資本の現地大型工場が雇用の創出を標榜しつつ、資本主義的な一元的生活様式のサイクルに国全体を巻き込んでしまうのです。)
 それで軍隊の機構が利用されたのです。軍隊の前段階としての教育機構がそのために利用されたのです。今日においても大多数の企業には社訓として企業の理念が文書化された形であ ると思うのですが、それらの文言が軍人勅語教育勅語に似ていたことは偶然ではなかったのです。

 さて、先の大戦を日本の産業構造のほうから評価すればどのように見えてくるのでしょうか。
 赤札一枚で背後の村落共同体を解体し、大量に獲得された命を戦地で無目的と思えるほど大量消費し焼尽しつくし、その無策とも無謀とも非合理ともナンセンスともアナクロニズムとも言われた日本国軍の統治機構が自己崩壊し、悪の報いを受けたかと思えばそうではなくて、戦時中の軍事機構の本質的な意味での中核的思想体験者・岸信介が戦犯を逃れて戦後を生き延びただけではなく、戦後史のちょうど大きな曲がり角において極めて大きな役割を果たすことになるように、赤札と云うシステムこそなけれ、村落共同体の徹底的な解体と、♪兎おいしかの山♬、から押し出された労働力はそのまま、戦時中の軍事機構の裏返しとしてあった機構や構造は無傷のままに、高度成長期の産業社会の中に吸収されていったという経緯が確認できるのです。

 第二次大戦を、あくまで日本の産業構造の方から評価すれば、日本資本主義は敗れたのではなく、アメリカと連携して旧い日本の産業構造を変革するために共闘の関係にあり、アメリカとともに勝利者だった、と云ういい方も詭弁としてなら可能な表現なのです。
 このように考えなければ、なにゆえ日本国民が広範な規模で進駐軍を受け入れたかの理由が理解できないのです。

 日本の産業社会は、戦時の軍事態勢が敷いてくれたレールの上に、赤札だけを利用することなく、工場の設備はそっくりそのままにいただいて、滅私奉公型の企業社会の創立にまんまと成功するのです。
 資本の論理は、軍国主義天皇制よりも怜悧にずる賢い、と云えます。

 さて、最初の方に戻って漱石の『こころ』 のところで三項構造と云うことを語ったことを思い出してほしいのです。――K、先生、私、と云うものでしたね。この関係が半世紀以上も経って、ファッショナブルな現代の聖書、ポップ的理性批判の書『ノルウェイの森』の中に正確に忠実に再現されているということを言いたかったのです。
 この場合の三項関係とは、スズキ、直子、ワタナベ君、になります。

 スズキは、光り輝く青春の横溢の中で至福の死を死にます。時よ止まれ!いま自分は一番美しい時を生きている!と云う思いの中で死を選択したのだと思います。暗黒と不信と猜疑の中で死んだ『こころ』のKとは、ちょうど正反対になっていますが、それが漱石から村上春樹の誕生までに流れた日本史の時間の意味だと思ってください。平和の中での死とは、過剰な死と云う隠喩を読み取らなければなりません。過剰すぎる死とは、背面に於いて決して語られない死の影への間接的な言及であり、登場人物たちの背景にある死者たちの影のへ無関心を象徴しています。
 ここで興味深いのは、スズキの死を純客観的に評価し得ても、わたしたちの大多数は『こころ』を読みくだした国民であるということです。愛と友情と死の陰が仄かに影を落とす『こころ』の構造が国民意識に刷り込まれた先験的な構造として、論理以前のものとして前提されてあるのです。わたしたちは無意識にススキの死を、『こころ』の文脈で想像をめぐらしてし、漱石の文脈で読んでしまう構造化された国民なのです。

 さて、死のかげの谷のお話をしましたが、『こころ』の背景には戊辰の役から国内最大の内戦と云われた西南戦争をへて日清日露の大量で安価な国民の死が不可視の背景として隠されてありました。
カーペンターに『遥かなるかげ』と云う美しい曲があります。ベトナム戦争に倦み疲れたサイゴンの町の広い空の彼方に流れた、と聴いています。
 『ノルウェイの森』の背景には、海の向こうのベトナム戦争とパリ革命、そして1960年代の平和の中における死の物語がありました。今日では信じられないことですが、半年後、一年後、生きているという実感がなかった、そんなふうに感じられる時代のモメントが確かにあったのです、この日この時の実感の中に死すとでもいうような。今日だから解ることですが、死の誘惑を受けていたのでした。死の影とは必ずしも暗黒ではなく、白昼のヴェールを纏った花嫁のすがたで現れることもあるのです。
 両者には語らずとも、かかる陰気で陰湿で危険な背景的思想生地があることは暗黙の了解と云ってよいでしょう。
 しかし似ているのはここまでです。

 漱石の『こころ』は、森鷗外と同様、近代資本主義が不可避的に持つ血に飢えた物神崇拝的側面に抗いつつ、最終的には敗北し自滅する敗者の動向を描いたものです。「先生」の死は明治天皇崩御と乃木の殉死事件で触発された連動、として記述されますが、大事なのは、乃木のような旗を奪われたなどと云う詰まらない理由ではなく、正当な理由で「先生」が数十年を持ちこたえた、と云うことに評価の基準を与えることが大事なのです。

 ですから敗北に帰結したとはいえ、持ちこたえの構造の中で遺書が作成され、かつ遺書を書く都合のために自殺の実行の日時も延期されたということになります。
 次に、出来事はもはや「先生」の語られざる内面の秘密ではなく、言語化された文書の全体として「私」の前にあるわけです。つまり出来事は、事件から言説空間の秩序に管轄移行された、と云うことになります。

 『こころ』の世界で不可視の出来事として起きているのは、「先生」の出来事とは、――古臭い表現ですが、憑依や依託と云う超論理的、超感性的な形式を通して伝搬し、――柄谷行人が言うところの日本近代型の「内面」が形成される、と云うことになります。
 「内面」が形成されるということは、「内面」の中で内的言語を使用した言説空間が独立に成立するということであり、固有な私、が形成されるという手順になると思うのです。柄谷とは評価と解釈の方向が異なりますが。

 ここのところが『ノルウェイの森』ではどのようになるのでしょうか、あるいはなっているのでしょうか、みてみましょう。
 既に先稿でも紹介しているように、物語りの最後の方で主人公のワタナベ君は、すべてを失った茫然自失の状態になったのでしたね。
 それで、憎からず思っていてくれる「緑」さんに、――夜の闇にそこだけが暗い照明に照らされた電話ボックスから電話するわけです。
 携帯電話などない時代のお話です。電話することなどもそう頻繁にすることではなかた時代の事です。ですから、「あなたはどこにいるの?」とつい聴いてしまうわけです。それが何故かワタナベ君の耳には「あなたは誰なの?」と聞こえてしまうわけですね。

 そこでワタナベ君は初めて、自分とは誰だろうか、と思うわけです。その答えが分からなくて思わず電話ボックスの外に広がる闇を見回すところで小説は終わっています。闇の向こうにノルウェイの森が見えた訳ではないのです。

 1980年代に批評家の柄谷行人は注目すべき評論集『日本近代文学の起源』において、近代作家の「内面」が、意図的にシステムとして造り上げられた政策的行為であることを証明しました。作家の「内面」とか良心とかいったものは近代化に向かう産業構造が補完物として仮設されたものである、と云うのです。
 つまり「内面」などはありはしなかった。社会の歯車から疎外されつつあった社会的弱者が、己の存立の理由として必要とし、されてあったに過ぎない、さらに云うならばニーチェルサンチマン論を敷衍して、弱者の支配の構造を読み解くのも不可能ではない、と云うのです。柄谷はキリスト教、それもプロテスタントの論理の中にそれを鋭く読みこみました。(唱歌「ま白き富士の根」を論じた部分など。)

 同様に柄谷が80年代の文学的状況を俯瞰しつつ述べたのは、「内面」の不在、でした。「内面」が不在でも「文学」は遣っていける時代を迎えた、と云うのです。
 『ノルウェイの森』のワタナベ君が最後に発見する、「内面の不在」とは、自分が何者でもないこと、名称を欠いたエブリーマンとしての私、不在であることの自己、ということなのです。