アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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一葉『たけくらべ』を読む アリアドネ・アーカイブスより

一葉『たけくらべ』を読む
2015-06-28 01:57:01
テーマ:文学と思想


・ 『たけくらべ』を読んで幾つかの事を考えた。
 一番目は、下谷龍泉寺町のこと。樋口一葉と云えば、悲運の波間に沈んだ薄命の天才女流作家と云う面ばかりで考えがちであるが、龍泉で駄菓子屋を営んで女三人で生きると云う決意の背景には、本郷時代の上流階級が持つ文化との決別があったと思うのである。言い換えれば、何かれと一葉の行動を無意識のうちに支配してきた武家の娘と云う意識が、吉原と云う遊郭の、もう一つの江戸文化の源流と出会うことによって、大きな軌道修正を経たのではないか、という点である。
 この大きな軌道修正は文化に対する、江戸期最後の女としての意地や矜持としてだけではなく、自らの悲運を嘆き不運を呪う劣等者の意識ですら、持てる者の贅沢に過ぎず、無一文で、裸一貫で生きていくと云うことを、遊郭に生きる女郎たちの生き様を通して学んだのではなかったか。
 一葉文学の一様に弱者に掛ける眼差しの優しさは、江戸文化が、遅咲きの花のように行き着くところまで行って明治の後期に最後に咲かせた、人は平等であると云う思い、ことばにならぬ理念の如きものだったのである。自由と平等の思想を、外国からの受け売りの観念としてではなく、自前の日本文化の成熟として生んだと云うことが、何よりも尊いことのように思われるのである。  

 二番目は、樋口一葉の文学は近代文学としては不十分であるけれども文学としては立派である、と云う見方についてである。近代文学であるとかないとか、何を根拠に定義するものであるのか。
 『たけくらべ』は伊勢物語をはじめとする様々な文献の引用を受けている。ブロンテ姉妹の影響については既に指摘されていることでもあり、冒頭の二つの町の不良団の意地の張り合いは、シェイクスピアのロメオとジュリエットを下書きにしたであろう、と思われる。樋口一葉と云えば、その文語体を生かした雅文脈からもわかるように伝統的な美意識、伝統的なものの考え方を踏襲した「古い日本の最後の女」と考えられてきたが、和漢の古典はもちろん、国際的な文化が激しく渦巻いていた時期に作家であることを確立していった現代作家であったことは、もう少し言及されてもいいと思われる。例えば、『たけくらべ』を近代文学として評価する場合に一葉が描いた人間像の古めかしさばかりが言われるが、むしろ人物の個性の何をどう描いたかではなく、大人でもない子供たちの世界でもない過渡期の一瞬を、くっきりと切り取った処理の仕方が、如何にも近代小説風なのである。

 三番目は、近代文学としての個性とか、独創とかの考え方についてである。
 近代文学の定義とは簡単に言えば、作家の内的なメッセージを登場人物の形を借りて語ることである、かく定義するならば、樋口一葉の文学は近代文学としては不十分である、と云うことになる。
 しかし文学史を、こと19世紀の西ヨーロッパに限定して考えないのであれば、文学が作家のメッセージの伝道者を勤めたと云う時代は例外に属する。個性とか独創とか、さらには天才と云う概念に拘るのは、19世紀の特殊ヨーロッパ現象に過ぎないのである。かかる考え方を、先入見として枠踏みを外して考えさへすれば、個性や独創性などよりも大事なものを樋口一葉は実現していることに気づくはずである。
 文学とは、作家の内的モノローグの手段ではないのである。昨今の著作権とか盗作とかの議論が喧しく、かつ生産的でないのは、議論される場の前提が19世紀的な芸術観であることを、論じる者同士が一度も疑ってみたことがないからであるように思われる。
 昨今は、ヨーロッパでも文学的な伝統を踏まえてそれを創作に生かすことを、「引用」(インターテクスチュアー
)などと云ういい方で正当化しているけれども、わが国には「本歌取り」としての、綿々とした長き伝統があったはずである。
 樋口一葉の文学は、文学観として観る場合に、かかる19世紀的な特殊な文学観に挑戦していると云う意味でも、近代文学的なのである。

 四番目に、一葉の独特の文体についても触れておかねばなるまい。
 一葉は境遇ゆえに小学校を中途で止まざるを得なかった。言い換えれば「近代」を言語や思想や文化として学ぶことはなかったがゆえに、手近かにあった寺子屋式の学校で学んだ古い文語体の形式で書くほかはなかった、と云うのは当たっているだろうか。
 文体の問題は、むしろ誰が語るのか、という問題でもある。19世紀的な文学観では、言うまでもなく作者が語るのである。これは現代の日本の文学でも変わらないのかもしれない。現代文学とは、凝結したマニエリスムとして考えてよいからである。
 むしろ和漢混合の、会話文と独白と作者の語りを取り混ぜた文体に於いては、近代以降のマニエリスムの文学にはない、誰が語っているのか、という問題を鋭く提起するのである。
 語っているのは誰か。一葉の文学に於いては、ちょうどオペラの舞台のように、登場人物が独唱者としてアリアも歌えば混成のアンサンブルの妙をも聴かせる。オペラに於いては語るのは、作曲家自身で無いように個々の歌い手でもない。個々の人格や個性を超えた、歌自身が歌を通して音楽を語るのであるとしか言いようのない、不思議な高揚した気分に襲われることがある。
 樋口一葉の文学に於いて語っているのは、むしろ地謡の声明の響きが持つ、超人格的な語りの精神にほかならない。能楽に於いてはワキが問いかけ、シテは語る、地謡はそれに合して唱和する。シテの語りは体全体を媒体として打ち震え、体の振動を通じて能舞台全体が振動する。能舞台の底には反響体としての巨大な甕がうずめられていると云われ、シテ、ワキ、地謡の応答しつつ重なり合う語りの唱和は地鳴りのように、個性や人格の語りを超えるのである。

 『たけくらべ』を読み終わると、日本の古典と云うよりは何かフランス文学を読んだような不思議な気持ちがする。一つには既に言ったように、一葉の文学が既にして国際的な環境下にあるものとしての文学であったからである。少年期の終わりを、過ぎつつあるものとしての個性として、大人の世界ならざるもの、子供の世界ではあらざるものとして描きだした手腕こそ、その文学観こそ新しいのである。
 樋口一葉の文学が若々しいのは、一葉の文学自身が新しいからなのである。その新しさは、彼女が老いを知ることなく夭折したと云うことではなくて、人生の四季を四季の移ろいに重ねて描き分ける固有さにあった、と云うべきだろう。

 ひとこと最後に付け加えておくならば、主人公の美登利が最後に見せる変貌の形を何と見るか。
 佐多稲子のように、客をとったからではないのかと云う穿った見方があるかもしれないけれども、さきほど来から重ねて論議している一葉文学の「新しさ」と云う考え方を敷衍して考えれば、『たけくらべ』本文に書かれているように、そのままに鵜呑みして、初潮を見たものの恥じらいと云う解釈でよいのだと思う。それ以外の物知り顔の解釈は、下司の勘繰りと云っていいのである。