アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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一葉の問題作『われから』―― 一葉の死 アリアドネ・アーカイブスより

一葉の問題作『われから』―― 一葉の死
2015-06-30 21:33:27
テーマ:文学と思想


・ 『われから』は、親子に二代わたる不吉な物語である。
 あるところに、貧しいながらも円満に暮らす新婚の夫婦がいた。夫は下級の役所勤め、妻は派手ではないけでども、どうしてこんな処にと人が思うほどの釣り合いが取れない美形、得難い妻を得た夫は宝のように大事にして、毎日の出勤前には妻の負担を減らそうと水瓶を一杯にして役所に出向き、帰りは夕餉の菜やらを買ってくるほどの献身ぶりである。
 そんなだから、自分に不釣合いな妻を持った夫は常日頃から何時か妻に捨てられるのではないのかと云う意識を捨てきれないでいる。
 ある日、急な親戚の用事でとるものも取りあえず外出した妻を誤解して、明かりのない家に一人帰宅した彼はふさぎ込んでしまう、というようなこともあった。これは実はとんだ杞憂で、遅く帰宅した家内の事情を聴けば合点がいき、いままでの心配は嘘のようにころりと愛想を振りまく彼であった。
 しかしそんなある日、その杞憂が事実になってしまった。妻は子供がいながら自分だけ出ていってしまう。再婚するにしてもその方が都合が良いのは今でも変わらないだろう。
 迂闊にも婚姻届も出していなかったのか、とは思うけれども、明治の庶民階級ではその辺は曖昧だったのだろうか。いずれにせよ、彼に思い当たるのは、妻の母親と云うのが可なりの上昇志向の女で、日ごろから夫の甲斐性のなさを何かれとなく愚痴るので、閉口していたところであった。美貌の娘を持ち、婚姻前は都合のいいようなことを様々に聞いたのだろうか、その母親としては裏切られた気持ちで、やれ小遣いをくれないだの、里帰りの費用を辛抱しているのだの、いつまでも親をわび住いのままに放置していると嫌味まで言って、遂にどこかのお屋敷の奉公に勝手に出てしまうと云う。これもそれもみなお前さまの甲斐性がないばかりに、と云わんばかりの仕打ちなのである。――その挙句の、妻の家出!と、云うわけなのであるから、母親が裏で糸を引いていたのは明らかである。明らかではあるけれども夫としてはなす術もないのであった。

 残された父親と幼い娘、父親としては娘の容姿、容貌が何かと家出した妻を思い出させるので、つい邪険にあつかってしまい、父子の間の愛情が育たない。
 他方では、夫は『金色夜叉』の向こうを張って、一変して守銭奴となりおうせる。血も涙もない金貸しと噂されるようになって、社会からも一目置かれる存在となるのである。
 こうして社会的富と名声を築いた夫は、次に、明治の立身出世のセオリーに則って、学識ある有能な男を婿に迎えステイタスを高めようとする。こうして愛情のない夫婦の家庭が成立する一方で、父親は上流社会的的地位参入できたことに満足したのか、呆気なく死んでしまう。

 実は、小説はこんな風に俯瞰的な分かりやすい説明では始まらなくて、読みながら読者が苦労してどうにか組み立ててみると、ヒロインお町の背後にはこうした家系をめぐる陰湿な背景があったのだな、と云うことが後で読み取れる仕組みになっていて、実は小説は何の説明もなく始まる、――
 いきなり帰りが遅い夫の消息について、慣れていて常態化された習慣とは言え、釈然としない、悶々とした妻の一夜を描いているところから、一葉固有の、ねっとりとした和文脈の纏綿とした情緒的なむせるような文体が、人妻の生臭い情感をほのかに発酵させつつ、真夜中に廊下の裾を曳き摺るかそけき音とともに始まる。
 この官能溢れる場面が冒頭に置かれていることの意義は大きい。大きな屋敷の事だから、深夜、人妻は眠れないまま蝋燭を持って、ちょうど夜の蛾が灯を求めて彷徨うように、闇夜の館の中でそこだけに小さなランプがともっている書生の部屋に、惹きつけられるように落ちてくる。
 洋書を読んでいたかしている初心な書生は、ことの異常さに恐縮する。みれば火鉢の炭は消えている。冷え切った部屋で青年は縞模様の綿入れを着ただけで机に向かっていたのだ。不憫に感じた夫人は炭を継ぎ足して新聞を細かく割いて火をつける。火鉢の中で炭火がぱちぱちと音を立て、青い炎が蛇の舌のようにひらひらと燃える。火鉢の縁に指輪を付けた美しい指が艶めかしく伸びてくる。
 この場面の官能性を描く一葉の筆致は素晴らしい、というよりも凄い。フランスの映画監督ロジェ・ヴァディムに『戦士の休息』と云う美しいカラー映画があって、薄手の透き通るようなガウンを肩から滑り落としたブリジット・バルドーが、暖炉の燃え盛る炎に裸身を晒しだす美しい場面が、ワーグナーの旋律を背景に、濃密かつ濃艶に描かれていたが、ここでもわたしが見出したのは一葉に通底するフランス風の美観との一致であった。
 この後も、夫の帰りを待ちわびる、満たされぬ若妻の無意識の媚態を描く一葉の筆致は綿々と続いて、最後は青年の方に自らの打掛様のものを掛けて立ち去る、他方青年は、打掛に残った肌のぬくもりと体臭の残り香に蒸せるような眠れぬ一夜を過ごしたことであろう、もちろんこんなことは殊更には書かれてはいない。

 この後、お町が精神の安定を失っていく姿が描かれる。彼女には子供も生まれない。生まれないと云うよりも母の愛も父親の愛も育たなかった彼女には、子を産むと云うことについての何か、生理的な影響を与えるように働いたものがあったのだろうか。
 こうなると、鬱から躁に変化した場合が大変で、ヒステリーと金縛り状の肉体の引き攣りを起こした彼女を取り押さえるのは容易ではなく、女所帯の館では、次第に青年の固有の仕事になっていく過程が悩ましい。
 他方、外出がちの夫にとっては家庭の事情などよく分からないし、興味もないことだろう。かれは十年も前からとあるところに十歳にもなる男の子がいる妾宅に女を囲っている。特に美人であるようには描かれてはいないが、厳しい外の世界を生きる明治の男をほっとさせるものを持っているのだろう。男が本宅の正妻と愛人を入れ替えたく思っても不自然ではないであろう。
 こうして家付き娘が明治の有能なる国士風の紳士に追い出されると云う次第となる。口実としては、親しくなりすぎたお町と青年の「固有」な関係が話題となる。広い大きな館とは言え、使用人関係で固めた狭い座敷裏の世界は閉鎖的で、面白半分の悪意ある女中の中傷の言葉が燎原の火のように節操もなく家庭の外までも何処までも無慈悲に広がっていく。
 夫としては社会的外聞を守るためにも冷徹な処置を下さなければならない時期が来たのを理性的に理解するし、加えて都合の良いことには彼の無意識の願望を満たすことと奇妙にも一致する、一石二鳥の妙案に結果としてはなっていたのである。
 こうしてある日、お町は夫の口から唐突に館からの退去を求められ、書生は社会的非難を背に行方不明の仕儀となる。待ったなしに車を待たせて玄関に呼び出されたお町は、運命の仕口の一切合財の筋書き、冷徹な世間の狡知を読み取って、このままでは済むはずがない、と思うところで終わっている。

 一葉には『たけくらべ』から『別れ道』のような作品群がある。樋口一葉が二十四年間とは言え、実際には百歳以上も生きた老人のような紆余曲折の苦渋の果てに生み出した、死んでも悔いることのない価値の発見の物語があった。
 他方では『にごりえ』と問題作『われから』の世界がある。両作とも家庭環境や具体的な日常の人間関係を築き得なかったことからくる精神の失調が描かれている。『にごりえ』のお力は、ある日突然日常的な感覚が自分から離れていって、実在的世界が重みを失う、と云うのであるから、今日で云う離人症の世界に類似のものだろうか。
 『われから』の書き出しの異様な美しさは、この世のものではなく、狂者の視線から描かれているからである。狂者を狂者として外側から観察者の目で客観的に描いているのではなくて、狂者の目で自然の事のように描かれているところに怖さがある。近代的な意味での人格と云う名の輪郭が解け始めていることが分かる。統合失調の先駆的状態だろうか。

 『にごりえ』に描かれたぼろ布のように枯れた古女房お初の、――二親そろえば長者の暮らし、と云う格言はここにきて重い。
 一個の人間がまるで物のように手渡しで玩具のように使い捨てられる明治期の大人たちの世界、逆境や非人情は人を強く逞しく陶冶する場合もあるけれども、家庭や村社会などの共同性を通じて学ばれなかった人間関係は、いっけん、強いけれども脆い人間像を生み出す、ストレスが短期の場合は良いけれども、長く続く場合は耐性を欠き、この人が、と思える崩れ方をする。
 樋口一葉が最晩年に直面したのは、かかる社会と関係性と云う名の目に見えない敵だった。死期が近くなるころの一様には不可解な行動が不静脈のように見え隠れするけれども、狂気の世界の前に立ちつくしながらもなお、この世の側に土俵の俵一本、片足を残し得たのは書くことの精進であり、妹のくにや母親の愛情と献身ゆえであっただろう。半井桃水をはじめとする謎めいた永遠の文学青年たちの存在も内面で燃え滾る篝火のように永遠に清冽であり続けただろう。
 悪魔は、一葉の精神強しと見ると、次には作戦を変えて、彼女の虚弱な肉体に狙いを定めた。長年持病と思われていた頭痛肩こりが内蔵の方向に反転して肉にく食い込み、内臓に穴をあけた。一葉は枕の向きを気にしながら眠れるように息を引き取った。
 明治二十九年十二月二十三日、樋口奈津、享年二十四歳。