アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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樋口一葉日記 子供の宇宙 その二 アリアドネ・アーカイブスより

樋口一葉日記 子供の宇宙 その二
2015-07-14 08:51:01
テーマ:文学と思想


・ まあこれから一般には言われないことを書こうとするのですがやはり躊躇がありますね。
 先回は最後の方で一葉の『大つごもり』や『十三夜』に触れたのでした。この二作についてもわたしの読み方は大筋のそれとは違って、お縫いの奉公先の意地の悪さやお関の婚家であるご主人の横暴さに問題があるとは思えないのです。むしろ二人の娘と若妻を追い詰めているのは、良い子のままでありたい、親の目の前でそう演出したいと云う子供の健気な心意気だと思うのですね。世のなかではよく親の心子知らずと云いますが、むしろ昨今のいじめの問題などをみますと、子のこころ親は知らずと思いたくなります。いじめの問題の背後には、子供の健気にも親を思う、過剰なる思いが背景にあります。一葉の文学を現代的であると思う所以です。
 さて、この問題を一葉自身の問題として観たらどうなるでしょうか。
 一葉の日記を読んでいますと、ただ単に、清貧に学んで謙虚にも健気にも生きた、とばかりは言えないと思います。一旦は、自分たちを雁字搦めにしている目に見えない観念(端的には封建的道徳と倫理)と云う名の心理的束縛を払色すべく竜泉町に駄菓子屋を構え、この社会の最底辺を経験すると云う営為が名作『たけくらべ』を準備する機縁となったと云うのですが、裸一貫で生きるなどは所詮一葉の家庭にとって美しい理想ではあっても画餅の餅でしかないと云うことを思い知らされたのが竜泉時代であったと、わたしなど日記を読みながら思いました。
 甚だ書きにくいのですが、日記を通して読み取れるのはあちこちの知人縁故を求めて借金に駆けずり回る一葉の母の姿ですね。子である一葉もまた情感豊かな一葉文学の読者も、さこそ、とは思うのでしょうけれど、冷静な目で改めてみると、ここまで借りまくる親がいれば、それが一家の生活の糧とは言え、子としては大変だったろうな、と思うのです。
 もちろん、家庭の事情も知らずに何を言うかと一葉に啖呵を切られそうですが、第三者のわたしから目ればそのように見えてしまう。一葉さん、あなたの家庭は異常です、と。コンサルタント業をした経験のあるわたしの目からはそのように見えます。

 樋口一葉が、そんな親の言動をみながら押しつぶされるような思いでいたことは日記の端々に見えますし、あえて言うならば膨大な日記を貫く通奏低音の如きものとして、厳然としてあるとさえ言っていいほどです。
 樋口家を当時支配していたお金に対する観念は余程われわれの観念とは異なっていたようで、金は天下の回り物、裕福なものが多少の金を工面するのは当たり前だという通念が先験的にあったようですね。それで折角借りたお金も、自分よりもっと困っている縁者をみると二円三円と直ぐに横流ししてしまう記述がみられます。まあ、一応は封建主義的観念の美徳だと云うことにしておきましょうか。

 しかし如何に理想が美しくても、清貧の理想が素晴らしくても、そのツケを払うのは子供たちであった、と云うのは納得のいかないことです。樋口家の男子が上手く育たないと云うのも、一家を覆っていた蜘蛛の巣のような柔構造の格子構造にあったなどと敷衍して考えるのは行き過ぎでしょうか。
 日記の後編、丸山福山時代の中で「文学界」の若い世代との交流を通じて奇跡の十四か月が始まる記述は光彩陸離と云いますか、それなりに躍動的に感動的ですが、実際には「文学界」の青年たちと出会う直前の時代こそ最も最貧の暮らしがあったと云えます。最貧と云うのは経済的にと云う意味ではなく、ここに異様な一葉像が出てくるのです。詳しくは描きませんが久佐賀義孝などとの不明朗な関係を言うのですが、久佐賀から暗に身体を求められて秘かにほくそ笑み冷笑する場面などは、久佐賀の人間性を疑うと云うよりも、一葉の微笑の方に尋常ならざる病的なものを感じてしまいます。
 こににわたしは、まるで戸主である一葉への当てつけでもあるかのように借金をしまくり、貧困を嘆き生活者としての一葉の無能さを詰った母親像が心理的遺伝的な形質として二重重ねになって見えてくるように思います。
 『大つごもり』で年端もいかない娘に盗みを働かせるのは養家の義理とは名ばかりの、大人の世界の狡い論理です。それは養家に対する殊更の論理であると云うだけでなく、『十三夜』においては実際の親子関係の中でも生じます。ここで一葉が語っていないことをあえてわたしが代弁するならば、親の安穏な生活を補償するためにお関は鬼のような人が住む婚家に帰っていくのです。この親子の構図が『たけくらべ』に描かれた美登利姉妹と実親との関係と構造的に相似の関係になっていることをなぜ読み取らないのでしょうか。廓の世界を何も特殊な世界として一葉は描いたのではなく、そこに通底する観念が一葉的文学の世界に地下水のように重く流れていたということを云いたいのです。

 まあ、死んだ人の悪口は言わないものだと教えられてきましたが、一葉姉妹は大変な親を持ったな、と云うのがわたしが唇を噛み締め乍ら思う想いです。
 なぜに一葉だけが・・・と云うのが、一葉の文学をまとめて研究したいと思ったわたしの当初よりの思いでした。わたしはその思いを、過日、竜泉町の一葉記念館を訪れた折に、さる文芸ボランティアの方に訪ねてみました。あなたは一葉の霊に気に入られたのですよ、と脅かされたあの方ですね。一葉を理解するためには崖下と云うことを言葉を理解することがとても重要ですとも教えてくれたあの方ですね。さて、その方はわたしの問いに対して、一葉の母と呼ばれた方は気位の高い方で・・・と言葉を濁されました。なんだ、言わないだけでみんな知っていたのですね。

 樋口一葉は明治二十九年十一月二十三日に亡くなります。一家の経済的負荷を一身に担っていたかの如き記述が頻出する一葉日記の記述を信用するならば、それからの一家の困難はいかばかりであったろうかとは誰しも思うところです。
 一葉研究は彼女の死を持って終わったかのようで、それ以降のことを詳細に書いた研究は見当たらないように見えます。母滝子(あやめと読みます)は跡を追うように程なく亡くなります。姉の一葉をひたすら信じて二人三脚で生きてきた妹邦子の思いはいかばかりであったでしょうか。わたしは樋口一葉文学の開花はこの人の影の力なしにはあり得なかったと思っているので彼女の苦渋に対する思い入れは深いのです。
 妹邦子の前に、一葉の死とともに一家を目に見えない蜘蛛の巣のようにも雁字搦めの格子のようにも、縦横深さと云う時間軸の方からも規制していたあらゆる柵も消えて行ったのだと思います。
 竜泉時代に、あらゆる柵を去って裸一貫で生きると云う、ーー近代的プロレタリアートとして生きると云う――近代的な生が実現したのです、ただの人として生きると云う時間が。
 残された時間として彼女の前に置かれてあったのは、樋口一葉の文学を一言一句の散逸もなく後世に伝えることでした。

 樋口一葉の文学を理解するために一葉の日記を読むことは必ずしも必要ではありませんが、一葉その人を理解すると云う楽しみをその人は放棄しなければなりません。
 なぜなら一葉その人の方が一葉の小説よりも魅力的なのですから。紫式部のようにしんが強く、清少納言のように華やかだった佳人の面影を!