アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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鏡花『歌行燈』 アリアドネ・アーカイブスより

鏡花『歌行燈』
2015-07-22 18:57:30
テーマ:文学と思想

 泉鏡花の世界は何かと問われれば、一芸至芸は神に通ず、と云うことではないかと思う。妖艶とか怪異、怪奇とかいうことが最近は持ちだされてくるけれども、そうは思わない。

 鏡花の『歌行燈』でどこが好きかと聴かれたら、座敷芸のほんの慰みにと呼んだ素人芸者のお三重がただ一つ覚えた能楽『海士』の舞のかたちに生々しく刻まれた、かって勘当した内弟子・喜多八の芸風の面影を鋭く読み取って、やおら座を改めると、シテ方囃子方の二人が、――今で云う隠居こそしておれ人間国宝級の二人が、お流儀に失礼じゃと、座布団を外して、鼓のひと打ちとともに謡い始める場面であろう。
 当時も今も、三重県と云えば江戸と京との間の中京にありながら木曽川をはじめとする広大な河川に阻まれて一転して鄙びた風情があったが、それでも明治の頃まではお伊勢参り中山道鈴鹿の関を越えれば京阪の二都に繋がりうるわけであるから、芭蕉の二見の別れは言うまでもなく、坂上田村麻呂の故事までは言わないにしても、鄙びのなかにみやびのこころもあったと思われる。 
 地元の名人、宗山と喜多八の死人まで出した腕比べと云うか意趣比べも、かかる地元能楽界のお国自慢が背景にあったものとも思われ、いまひとつは鏡花の終生のテーマである芸の高踏と俗界の対立があったことは言うまでもないことであろう。

 『歌行燈』からわたしたちが聴きとるのは芸事の厳しさである。厳しさと云うよりも芸は鏡花にとって至高のものとしてあった、と云うことである。しかし、単に諸芸の厳しさというは易しく、鏡花について語るとすれば若干の補注、注釈もいるであろう。
 歌行燈、が最初に言わんとする点は、素人芸はそれが譬え名人芸の域に達していようととるに足らない、と云う冷徹な認識があったろう。所詮、職人芸などはとるにるに足らない、と言っているのである。凡庸さが修練の果てに名人の域に達したとしても、能楽の神韻縹渺たる神域には及ばない、人間的な努力の果てに得られるものとは違ったものだと言っているのである。
 この点は、いわゆる鏡花の芸者小説の場合も同様であって、『日本橋』の貞女――芸者に貞女はないだろうと云う疑問を鏡花は受け付けない――の誉れ高い清葉がここぞと云う場面では、お素人衆はお控えなさいまし、と切り捨てる場面などは芸者の意地や張りと云うよりも、異なった世界には異なった論理がある、それがなくて何処にひとが人たるたる由縁があろうか、と語る意気の世界がある。日本橋、と云えば玉三郎で有名になった、それがならぬものなら日本は闇だ!の方が有名になってしまったが、歌舞伎的み得の世界としてはこの方がにあうけれども、鏡花らしさと云う意味ではこの方を評価する。さて、話が脇に逸れてしまったが、――
 こうした芸の卓越と世俗の関係は、歌行燈、の他にも、特に『卵塔場の天女』などでも様々に矛盾する姿で、矛盾をももろともしない強い鏡花の筆勢で描かれた。鏡花は正しく、これこれが結論だとは必ずしも言っていないのである。例えば卵塔婆の天女のなかでクライマックスにあるシテ方の主人公が動揺を隠しきれずに舞台に伏し崩れる場面で、幼馴染の娘が乾坤一擲の早業の如く舞台に向かって跳躍し、あろうことかシテ方の背中を三度四度と打ち据える場面がある。この場面の難解さは後に見るような鏡花風美学の種明かしもあるけれどもそれだけにには尽きずに、俗世間への高踏と軽蔑、自負の問題は最後まで残ろう。
 それでは、卵塔場の天女、の能楽師が語るように、

「能役者が謡の弟子をとるのは、歌舞伎俳優が台詞の仮色(こわいろ)を教えると同じだからね」(『卵塔場』本文より)

 つまり松の飾り絵だけを背景にした舞台の四方に銀河の森羅万象を現示させると云う技は、努力や精進と云う世俗のあり方とは異なっていることが云いたいのである。努力や精進で得られるものではなく、半ば天性の問題である、と鏡花は言っているのである。
 さて、ここにお三重と云う何をやらしても覚えの悪い娘女がいる。一家の没落離散に伴って――と云うのも件の「腕比べ」の果てにしたたかに自尊心をへし折られた宗山の娘がお三重であるが、つまり喜多八はお三重から見れば親の敵と云う因縁ある関係にある――器量好みの歌舞音曲の芸者にでも成れかしと期待されたのだが、それも果たせなくて周囲(まわり)を嘆息させる。面倒はみれないと随分ひどい折檻のようなものも受けて、神に願ってある日とある蕎麦屋で聴こえてきた流れ者の博多節の、人間業とは思えない声の寂に見入られてひと舞の伝授をその人に願う。博多節を謡う流れ者こそ能楽師喜多八の成れの果てだったのである。
 かくて無芸無能の乙女が一芸に通じることをもって焼蛤の桑名の一夜の仮の宿りに、素人芸ながら神韻縹渺の世界を座敷に現出させる。剣の達人が切っ先を見て万事を理解するように能楽界の二人には直ぐに誰の技かを理解する。苦節の風雪を潜っていまや喜多八の芸は高踏と世俗の対立を超えていたのである。
一芸に徹するとは、なにも能楽に於ける技芸のみをゆうのではない。芸と喜多八への思慕が恩讐を乗り越えて至芸の境地に達した稀有の経験としても、月光が葉こぼれする闇夜の明かりをたよりに、素人ながら入魂の域に達するお三重の求道の姿を通して描かれているのである。愛が灯る時間は全てを超える。泉鏡花ならではの愛と至芸が混然と交わり合った驚異(境位)がある、――愛ゆえに!
 鼓は晴れがましさのなかで高鳴ったであろう。いまは全てを許すとて、シテ方の謡いはおもむろに鄙びた旅籠仮座敷を松風が響く神域へと変貌させたであろう。それに和して徐に形を整えた喜多八は三つ子の魂百までもと、習い憶えた記憶をたどりながら、低く構えて重心を滑らせつつ、一期の舞を神代以来の桑名の海の夕映えを背景に舞ったであろう。