アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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フランソワーズ・サガンの初期四部作、あるいは天才について アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 
 最初に一枚の写真を、ジーン・セバーグの写真を掲げさせていただきます。というのも、彼女の代表的な作品の映画化において、主演を演じただけでなく、今から思えば華やかさの陰に、――人生と云う歳月が終わってみれば! 彼女の生き方もまた、サガンの雰囲気に殉じたような点が感じられて、哀愁を感じるのです。
 セバーグの写真を掲げた第二の理由は、たぶん、彼女の美貌の中にこそ、サガネスクとも形容された、古典と現代性が奇妙に混淆した雰囲気が、作家その人の肖像と同じほどに、あるいは相補、補うように表現されているように思われるからです。
 
 さて、常々思うことですが、天才には年齢と云うものがありません。『悲しみよこんにちは』から『ブラームスはお好き』までの初期四部作は、二十歳前後の、片手の、五ほんの指で、間に合うほどの数年間と云う短期間で、矢継ぎ早に完成されました。
 『悲しみよこんにちは』は、今日読んでみると、スキャンダラスな内容、戦後のアプレゲールの風俗を描いたと云うよりも、19世紀の古典的フランス貴族社会においてもおかしくないほどの、薫り高い、古典的な様式性が目立った名品です。小説技法や人物造形の妙において、偉大だと言い張るつもりはないのですが、ほとんど傷ひとつないほどの出来栄えだと思います。小説の長さも、負担なく読める、ちょうどよい長さだと云ってよいでしょう。
 『ある微笑』と『一年ののち』は、愛よりも孤独の卓越を描いたものです。恋の終わりは、いままで様々な作家や人たちによって描かれ、語られ、言及され、その濃淡に複雑な味わいが詠嘆されてもきましたが、『ある微笑』の主人公である大学生ドミニクは、恋の終わりが自分に訪れたとき、歌に詠われたような月並みの、詠嘆や感傷に身を任せることなく、自らの寂寥、孤独を選び取るのです。そこに題名の由来があります。少女は、ほのかな「微笑み」を浮かべて運命を受け入れるのです。この小説の際だった特色は、恋の終わりを実感したとき、主人公のドミニクはちょうど、モーツアルトの音楽を聴いていて、ほとんど上の空で受け入れるのですが、彼女の言い分によれば、音楽が与える感興の時に比べて恋などこの世の偶然性は、何物でもない、一篇の楽曲にすらそれは劣る、と云う冷酷、冷徹、冷静なものでした。二十歳前後でこの認識?モラリスト顔負けの達観?当時十六歳のわたくしは唸ってしまいました。
 『一年ののち』もまた、自らの実存の条件としての、かけがえのない孤独に比べれば、愛などは一顧だにするにも値しない、と云う、冷徹、冷酷、孤独の作品です。愛を描いたと思われがちのサガンが、実はそうではなく、孤独であることの中にこそロマネスクの発見があること、孤独とは実はフランス文化の別名であり、その精華でもあったことを、わたくしたちはサガンを読み通すことを通して再認識するのです。このことからも彼女がフランス文化と文学の正統的な嫡子のひとりであったことが分かるのです。
 『ブラームスはお好き』は、当時二十四歳であった彼女が、精一杯背伸びして、とは、つまり二十年後の自分自身を想定して書いた作品であると云ってよいでしょう。つまり、愛が長い固有のライフサイクルを閉じようとするころの、いわゆる愛の終焉期、――母性愛と孤独としての愛が交じり合ったような、バルザック由来の、古典的な愛の風景を描いて、つまりこれにて一件落着!恋愛を描く双六模様としては、あがり、と云うことになるのです。
 つまり天才である作家と云うものには、自然的な意味での年齢と云うものはなく、愛についての認識の深まりが、様々な愛の様態を、ちょうど幻燈に映された幻想模様のように、サガンと云う名前ををひとつの光源として、世界と云う名の人生のカンヴァスに、任意にしてあり且つ巧みに映し出されてある映像、と云う意味なのです。
 
 サガンの場合、驚異であるのは、一個の作家のライフスタイルと云うものが、天才作家の片手の指に満たない数年間において完結されて表現されてある、しかも、作品の中に、と云うことなのです。天才と云うものの不思議さは、その生涯を仮に切り取ってみると、ちょうど金太郎飴のように、どこで切断するかの任意性にはかかわりなく、それ自体の完結性をもっているかのようにみえます。彼らの生涯が終わってみれば、どこで生き死にしようとも、不思議な時の補償機構によって、生の完成度を全うさせる、そうした時の修復性のようなものがある、と云う気がしてならないのです。
 
(資料)
ジーン・セバーグJean Seberg,1938年11月13日 - 1979年9月8日) パリ郊外の車の中から遺体として発見される。自殺とされている。40歳。
フランソワーズ・サガン(Françoise Sagan、1935年6月21日 - 2004年9月24日) 生涯を彩る華やかさに反して、ノルマンディーの病棟で一人寂しく死んだ。69歳。