アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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言葉と文体 アリアドネ・アーカイブスより

言葉と文体 

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言葉と文体 太陽の季節三部作・その3
 
 
 
 
 
(要  旨)
 言葉は個性と云うものと繋がっています。
 文体は時代と云うものと繋がりを持っています。
 
 
 
 言葉を持つ、文体を持つと云うことについて考えてみましょう。
 言葉はあっても固有な文体をもたない、これはどういうことでしょうか。意あまって言葉足らずといいますが、この場合は、固有な主張はあっても文体がないと云うこと。文体がないと、恣意的な観念の表明にとどまって、ひとを納得させることはできません。戦後の社会党共産党、いわゆる進歩的文化人や先見的知識人と呼ばれた人たちの多くが大勢を確保できていないのは、言葉はあっても固有の文体になり得ていないと云うことです。彼らは公式見解と文体の区別がつかない人たちです。
 
 文体はあっても固有な言葉がない、これはどういうことでしょうか。昭和期に一世を風靡した高名な批評家小林秀雄などが例にとると分かりやすいです。あるいは極端なたとえでは東京オリンピックの悲劇の英雄・円谷幸吉の遺書などがその好例です。
 当たり前のこと、取り上げて何か言うほどの内容と云うほどのものはないのに、言葉にできない文句なしの感動に誘われてしまいます。その秘密は、切迫したぎりぎりの選択をしたものの生き方が背後に控えているからです。その生き方の背後には昭和の固有の時代背景と云うものがあります。文体のみでも人の心を掴む、あるいは深く感動させる、という事例ですね。
 これは人柄が関係しています。背景となった歴史が関係しています。円谷は、平和な世の中であることが確信を持てるような時代にあって、その時代に生き得ない自分の覚悟を、なんと、戦中派の学徒動員に類する文体で書いているのです。こうした文体の魅力、というか読み方ができる人間はこれからは少数派になっていくのかもしれません。戦争と平和が一個の文体のなかに離れがたく混淆し混在し、捻じれた形で美しい統一体を築く、魅力ある問題ではありますが深入りすることはできません。
 円谷のことはいつかまた論じることにして、ここでは知名度も高ければ一流の文章家でもあった小林秀雄を事例としてとりあげます。
 
 彼の文章が好き嫌いは別として読むに一応堪え得るのは、固有の文体、固有のトーンと云うものを彼が持っているからです。この魅力は麻薬のようなもので、小林ファンと呼ばれた人たちには過去には堪らない魅力であったろうと思われます。
 しかし彼の書いたものを読んでみると、一部の近代絵画論などを除けば陳腐です。誰もが云えることを、彼に固有の文体で語られているだけで、読んでいて分かったような気持ちになる、と云うところが特色でしょうか。
 これは具体的な芸術論を離れて、広く人生論や戦前の『様々なる意匠』などの文学的政局?を論じる場合の彼に特にいえることで、特に彼が言わなくても、誰でもが云えることを、例のべらんめいの口調で述べているに過ぎないと云う気がします。
 小林秀雄のブームは、いまから考えると、戦後の全ての日本人があらゆる希望を失ったあの時期に、西洋文明と文化を向こうに回して、いわゆる江戸っ子の啖呵を切るような歯切れの良さで、対等に堂々と論じ切ったところにあったのではないか、とわたくしなどは憶測もし推測もしているのです。
 
 それでは文体とは何でしょうか。それは狭い意味では、作家の固有な内面のトーンのようなものです。その人がその人でありその人にしか言えない、固有の音調です。そのような意味で小林秀雄の文章は流石に文学だと云えます。
 しかし文体にはその他にも広義の意味があって、文学機能主義とでも云える観点から導き出されて来るものです。
 文学は時代のなかで生きています。仙人のように達観した己の境地を語ることも高貴な技ですが、時代と歴史の聲を聴き取ると云う行為も、一流の文学者には期待されてよいはずのことです。戦後のある時期に大江健三郎江藤淳がオピニオン性として活躍した時期もありましたが、これはそうした文学者の使命感に基づいた行為です。いみじくも江藤淳の初期の代表作の名称は、『作家は行動する』と云うのです。これは、間違ってはいけませんが、作家が議事堂前に出向いて行動すると云う意味ではありません。江藤が述べているのは、ここでわたくしが終始述べている、文体のことなのです。
 
 文章は、所詮は言葉の任意性に関わる観念論的世界の治具ですから任意の人物が日替わりで観念論的にも実証主義的にも語ることは可能ですし、御望みであれば進歩主義的にでも保守的にでも、左翼的にでもウルトラ右翼的にでも語ることは、思惟の世界の出来事に限るならばできるのです。しかし言葉の裏にある「文体」が見破られないほど聴衆は愚かではなく、言葉も行為も軽いものだとみなされて、到底人を説得させることはできないでしょう。
 文体のなかには、時代適合性と云うような考え方があって、個人と社会は繋がっていて、その固有な音調や形式を捉えることができるとき、それは個人の意見や発想を超えて言説となることができるのです。それが一層進むとカントが『永世平和のために』や『啓蒙とはなにか』で述べた、公共的言説の世界へと開けていくことになります。
 しかしこれからが危険な領域の話になるのですが、ヒトラーは固有の「文体」を持っていたのです。彼の文体はある意味で、時代適合性に合致しており、単なる個人の気違いじみた観念論ではなかったのです。彼の文体の背後には、最小公倍数とでも云える大衆との間に成立した情念的な且つ心情的な病んだコアの部分が存在し、言説としては最大公約数として大衆に一致するのです。言葉をもたないものは狂気、正気の区別がつきませんから沸騰する大衆の情念の渦に飲み込まれて行くのです。
 つまりヒトラーは固有の文体をもち固有の言葉を持っていたと云うことになるのですが、その固有さとは真の意味での「言葉」ではありませんでした。それは個人の内面から響いてくる、固有な自分性と自分が自分でなければならない固有な理由が欠けていたのです。
 近代文学に於ける言葉とは、ルソーや啓蒙期以来の個人主義と云う概念と深くかかわるのです。これに対してヒトラーの言葉は、個人と市民社会の概念の対極にある、あるいはその否定態であるところの大衆社会と関係があるのです。
 
 話しがそれてしまいましたが、小林秀雄に関するならば、彼の文学の質以上に注目すべきは、常に彼が文壇の内外に於いて日の当たる場所に座り続けていられたと云うことに、わたくしたちはモットもっと驚かなければならないのです。
 これは彼のことを褒め称えて言っているのです。戦前においては社会の不安定化からくる左傾化に対する文学的世界に於ける抵抗運動?として、戦中はお国のための大政翼賛的における文学界の等価的存在として、戦後においては国破れて山河ありの心境に於けるある種の国粋主義の発露と云いう意味で。大勢に阿ったとはいえないまでも、誰もが言えたことを自分流に語っているに過ぎないと云う気がしますことは、先にも述べたわたくしの感想であります。
 これがわたくしの言う、文体はあっても言葉を持たないと云うことの意味です。
 
 戦後、吉本隆明が正統左翼と転向左翼を共に批判したことは有名です。正統左翼を批判した論拠は次のごとくです。つまり教条を聖典化し、現状分析を欠いた観念論的な左翼知識人の体質を絶対視してはならないと云ったのです。正統左翼批判は60年代の既成左翼批判や進歩的文化人批判などに踏襲されていくものであって、吉本の危惧した通り、こののちもわが進歩史観の陣営に於ける戦後史は、繰り返しこの種のパターンである「アイドル」を愚かにも排出することになるのです。
 吉本が転向左翼を批判したのはより本質的です。何よりも転向の契機となった党務が一番とする考え方のなかに、資本主義と同一の論理を読み取り、その非人間性を嗅ぎ取ったのです。本来共産主義革命とは人間の革命でもあったはずですから、目的や目標だけではなく、それに至る過程や手段のいちいちも人間化されていなければならない、あるいはそのような意識を持つべきだと云う考え方です。
 ここで述べていることが、言葉、と云うことなのです。
 
 言葉を持たないものはやがて保守化し反動化すると云うのはわたくしの持論であり自説ですが、その例として石原慎太郎と若き日の太陽族との関係を先回までに見てまいりました。
 石原慎太郎のものの考え方は、文学史的に言うと行動主義の文体です。ここでも、行動するとは議事堂の前に行って示威行動をとることではありません。ヘミングウェイなどが採用した、戦後の一時期を風靡した文学の形式です。
 それでは行動主義なり行動主義の文体以前に何があったかと云えば、情緒纏綿のロマネスクの文学があったのです。具体的に言えば内面的世界の文脈を微に入り細に入り描写するプルーストの文体や、意識の流れと云う外的モチーフが物語世界のロマネスクに対して主導性を発揮しえない特異な現代文学の形式などがあって、余りにも文学が選ばれた一部の選良たちのものに特化された事情に対する反動として、平易さを旨とする行動主義の文学は立ち現れてくるのです。アメリカでは行動主義の文学と呼ばれたものが、フランスではサルトルなどによってアンガージュマンの文学として風靡したことは周知のことです。ただ『嘔吐』などは行動主義の文学ではなく、サルトルの場合は作家であれ誰であれそれ以前のありのままの人間に立ち返って、人間の声で叫べ!と云うことだったと思いますが。
 
 さてここまで、言葉を持たないと云うことをあたかも蔑んだかのように述べてきました。しかし、言葉はなくても文体があれば文学なのです。その理由として『太陽の季節』を例にとって、石原慎太郎の生涯の屈折点について述べてきました。
 『太陽の季節』は、男女の区別と云う性差を異にしたもの達の、生の芽生えと関心に関する優れた考察があります。つまり一概には言えませんが、女性の方が早く大人になるのです。この点に注目して『太陽の季節』のドラマ性を一葉の『たけくらべ』の伝統を継ぐものとして文学史上の出来事として評価したのです。
 しかし一葉には言葉と云うものがありました。晩年の『にごりえ』や『わかれ道』などには、もう一歩のところで近代と女性の目覚めと云うものの在処が、予感として描かれていて暗澹とした絶望感のなかにも深い感動を呼ぶのです。
 このあとも言葉を持つ者たちの抵抗の歴史は続きました。島崎藤村『夜明け前』谷崎潤一郎の『細雪』が政局との微妙な緊張関係にあったことは事実です。鷗外森林太郎の遺言ははいち私人として死ぬことを望み、あらゆる栄典や儀礼を排せよ!と云う苛烈なものでしたし、漱石の戦意は最後まで熾烈で鮮明でした。泉鏡花も、そして独特の屈折はあれ永井荷風ですら言葉による抵抗する権利を手放しはしませんでした。国木田独歩有島武郎こそ最大級の文学者として再評価すべきだと信じております。言葉による抵抗は綿々と続いているのです。
 慎太郎には言葉がなかった、とわたくしは何度も書きました。その理由は『太陽の季節』が、傍目に観察された裕次郎の世界であったからです。『太陽の季節』の卓越は素材の卓越によるもので、破壊的ないし破戒的な主人公の生き方について真の意味の理解が届いていたかどうかは疑問で、一橋出のエリートとは所詮無意味な世界のものだったでしょう。裕次郎なら身近なものとして理解し感受しえたものだったのです。
 さらに、それ以上に大事で重要なことは、石原慎太郎のなかに文学を超えてある「文体」の問題、文体が「文体」であることを超えて処世や治世なりの術法の文法としてある、慎太郎のものの見方考え方のなかに深いところに潜む、行動主義の文学と文体が彼の若き日の自由度を拘束するものとしてあったのではないか、という想像であり憶測です。
 
 ご存知のように行動主義の文学においては、内面は描かれません。ある人物なり事件の輪郭が客観的に明示されるだけです。『太陽の季節』の新鮮さも、愛やその他のことについてごちゃごちゃとした議論や情緒纏綿の会話や対話はなくて、最初から最後まで殴り合いで決着がつけられます。主人公が学生のボクサーに設定されていることには大変な意味があるのです。
 こうした、行動主義の長所が文学や映画の世界ではいかされても、人生や政治や外的な事物の世界では異なった意味をもってくる、それがわたくしが最後に言いたかったことなのです。
 
 行動主義の文学は内面を語りませんから、太陽族などの青春物の、割合単純な物語や平和な世の中のやや風変わりな文体としては良いのですが、時代が混迷を深めてくると、外的世界に対する免疫性が育っていないので、奇想天外な、場外れの対応や発想が出てくるのです。しかも、下らない一過性のものであればよいのですが「文体」と云うものを持っているので、国民のある種の部分と無意識の場面で繋がっています。つまり物事を深く腑分けして考えると云う習性がないところで繋がる「文体」は、これからの時代においては大変に危険なものがあるのだ、と云うことがわたくしの申し上げたいことなのです。
 
 慎太郎がいつのころから、興奮すると痙攣するように激しく目をしばたかせるようになったのか知りません。
 心のなかの観念が微細な言葉として腑分けできずに、思わず言葉が不足して言語の幕を突き破って思わず仮面(注釈)が露出してしまう、そうした単に生理的な、加齢に伴う興味深い現象であるとは思っては見てはいるところですが、耄碌した結果とばかりとも云えないでしょう。
 一橋出身のエリートですが、知能の構造はそれほど複雑と云うほどのものでもなく、言葉が不足しているのです。言葉が不足しているから行動主義の文学者になった、などと云う愚かしいことをわたくしが言おうとしていないことは今までの論旨と叙述の仕方でお分かりのことでしょう。行動主義文学の文体は、内面をくどくどしくは描きませんが、ある意味では言葉に表現できないものを象徴、暗示と云う手法で描くのを得意としていますが、複雑な状況を描くのには適していないのです。
 日本を取り巻く国際環境はミレニアムの峠を越えるにつれて混迷の程度を深め、所詮は平和な時代の凡庸な政治家であったと云うのが大体の評価になるのではないでしょうか。
 言葉がないから、内面性が育たないし、内面性を育てようとしないから、自分自身の内部の実存に潜函して開示する両世界の混沌を腑分けして明瞭で明晰な言語で整理すると云う習慣がないから、結局は凡庸な道、楽な道、保守反動とデマゴーグのセオリーを選ぶことになるのです。
 『太陽の季節の』登場人物たちが、夏の日の蒸せるような倦怠感のなかで訳の分からない焦燥観に駆られて、より困難な道を選んだのとは隔日の感があります。長門裕之南田洋子、そして既に石原裕次郎亡きいま、美しき人々は舞台を去り、凡庸で無能な醜き老人のみが取り残されて、ひとりある。よくある人生風景です。
 空鉄砲だけが勇ましく、満たされなかった願望に向けられた祝砲のように。痙攣する顔面の瞬きだけがスクープするカメラの昔日の色褪せたフラッシュのように・・・・・。
 石原慎太郎とは誰か?という設問に対しては、弟が持つ時代の輝きには勝てなかったと云う思いを引き摺ったまま、所詮先端的存在にはなれないと云うトラウマを残した二流の政治家にして二流の人物の、――作家としての評価もまた高下駄をはかせてもとても一流と云うわけにはいきますまいが。こういう人が長年にわたって政界に居座り、突飛な発言と言動で物議を醸し、芥川賞の選考委員でありえたと云うのも大変に不思議な気持ちがします。――生涯の寂寥であったと云う気がいたします。
 現在都知事選が進行中ですが、いずれの方がなるにせよ、一度、石原都政と云うものを客観的に検証することを期待します。舛添都政以上の興味深さ?があると思いますよ。
 
 
(注釈)仮面: 本当は「仮面」であるはずなのに、行動主義の文体を文学形式としてではなく、生き方や処世の術として採用すると、本音を語らないと云う行動主義文学の様式が卓越してきて、本音がいつの間にやら消えて、「仮面」を自分自身であると思い込む、ある種の転倒が生じる。