アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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憲法の文脈から自然に出てくる、生前退位の御意向 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
1.
 憲法を正しく解釈すれば、生前退位の意向が違和感なく自然な心情としても論理としても出てくる、と云うことについて
 
 先日のNHKのインタヴィユーにしても今回の「お言葉」にしても共通するのは短い談話のなかに出てくる、象徴、というお言葉である。繰り返される任に堪えないと云う、象徴とは何かに言及するお言葉!
 象徴とは、西洋文明で圏イメージされるsymbolシンボルではなかった。敗戦後の社会背景に於いて、戦勝諸国と進駐軍の中枢部が、あるいは期待したのかもしれないが、昭和天皇が「象徴」に籠めた意義解釈はそれとは随分処なるものだった。今生陛下は、かかる昭和天皇によって意義付けらえた「象徴」の解釈を踏まえて、単なる言葉の問題ではなく、国事や日々の皇室に関わる言動、さらには国事を超えた被爆地や海外の慰霊巡礼、さらには自然現象等による災害地や被災地などの日本各地の津々浦々に及ぶ巡行やご訪問の積み重ねを通じて「象徴」の中身を日々補填され更新されてきた、とも云えるのである。かかる意味での継続的な営為を指して象徴的な行為と云うわけなのである。
 そうした昭和・平成の二代にわたる御治世下の世にあって、その「象徴」の任に堪えなくなる日が体力等の原因によってやがて来るであろう、というお話の内容なのである。当初、宮内庁が提案した、無限に公務を減少させていく行為や摂政を置く考え方は退位に伴う影響を最小限度に留めることができる一方で、語の正しい意味での本義に於いて、かって昭和天皇によって敷設され定義された「象徴」の語義解釈に於いて背き、かつその真意を却って裏切るものになるのではなかろうか、というのが陛下の今回の強い御意思であったが、誰しもが受け取った印象だと思う。
 憲法を正しく解釈し、正しく読む限りにおいて日本国憲法のなかに表現されてある「象徴」の「原状」と、生身の陛下御自身のあり方の「現状」が、ともすれば著しい背反を、予感としてあるいはあからさまな現象として見せるような局面を迎えるような時が、遠からぬ近未来の問題として、喫緊の課題として近づきつつある現状を踏まえながら、それに対してどのようにすべきか、というのが陛下が広く国民に問いかけられたご設問の真意であると思う。
 ここでは世間で喧しく言われているような法解釈を如何にすべきか、典範等の細則等を整備して如何に法と現状の間の整合性を補うかな、どと云う些末な質問ではなく、現行の日本国憲法に鑑みて、それを言葉通り、字義どおりにに解釈する限りにおいて、「象徴」の語義を裏切る事態が喫緊の課題として予想されるが、法と現状の不整合を、如何すべきか広く国民の前に、問い質したい、いうご設問である。
 つまり、陛下は憲法の新しい解釈や法変更を求められているのではなく、現行法を正しく解釈する限りにおいて
、当然こうなるはずだ、と云うのがここから得られる結論である。
 
 
2.
 イロニーとしての象徴天皇制からくる「象徴」の解釈――それをの制度として、人間であるとは何かを通して考ええてみる、ということについて
 
 イロニーとしての象徴天皇制はそれを制度の方から見れば、終戦直後の民主主義等の法整備や民衆の成熟度が未発達な段階に於ける、先駆性としての平和と民主主義を国民の意思に寄り添う形で同伴者として歩む、という姿勢が昭和天皇の御代において定義された。しかしここに「象徴天皇」の意味は、単なる同伴者、志を同じくするものと云う意味に留まるものではなく、理念的な段階から顧みれば象徴天皇制とは仮のもの、たんに過渡的な形態に過ぎぬ、という含意が含まれていたはずである。つまり日本国民が平和を愛し立憲主義の仕組みを理解し尊重する国民として成熟し完成する暁においては、国民の意思に於いて象徴天皇制の枠組みそのものが乗り越えられなければならない、という否定の論理、イロニーとしての象徴天皇制に関する思想的要約が天皇の言説の底には前提されていたはずである。
 
 この問題を、人間天皇の問題として捉え返すと、日本国新憲法下に於いてすべての国民は過去の、資本主義と農本主義が巧みに結合した奇形的結晶体である帝国主義イデオロギーと、軍国主義的圧政から人間として解放された。それを顕著に顕すのが、例えば主権在民や四民平等の考え方である。しかし日本国憲法は同時に、過去の天皇制のあり方を踏まえその反省に立って制度としての天皇を規定し、それを一段と高い文化概念をも踏まえた「象徴」の立場へと昇華することによって、一定の後戻りできない大道に於ける民主化の過程に楔を打ったが、皮肉なことに「象徴」である天皇のみは、あれほど主観的、個人的には望まれていたにもかかわらず、一億の民の中から唯一人格としてあらゆる民主主義と自由の諸規定から疎外され除外される、という事態を生んだのである。つまり世俗の栄典の誉れある幾多の役職を鑑みるにつけても、天皇のみは、体力が続こうが続くまいが終身天皇の位置に留まる、命ある限りは、という有期の定めのない例のない冷酷な条文が、世界に冠たる民主主義的な憲法であると云われた日本国憲法に於いて実現し、積み残された課題として残されたのである、この現状を日本国民は理解しているのであるか。
 つまり、陛下の生前退位の御意向とは、言いにくいので陛下は健康上の理由等その他の理由を述べておられるが、本当の理由は現行憲法の条文のなかにある、国民は解放された、ただしただ一人の人格を除いて!と云う書かれざる不可視の条文について、国民よ、優秀な政治家と官僚たち諸君よ!創造力を逞しくして日本国憲法を字義どおりに読みたまえ!とおっしゃっているのである。陛下が直截な表現を望まれないゆえに、成り代わってこう述べさせていただいているのである。
 
 以上の天皇陛下御自身による問題提起は、ともだち外交であるとか、立法と行政の違いもわきまえず身内の論理で大臣や行政官を選んだり、政治も人間関係も戦略的互恵関係などと云う大仰で美辞麗句の、商売人の売り買いの論理以上の思惟を持たない、見栄えが良いばかりで舌足らずの児童のような話し方をする、知恵遅れ気味のあの男たちにとっては、自らの想像力と創造性を問う良い機会であり、過酷でかつ苛烈な設問になるだろうことは何とも皮肉な現象である。
 普段から日本国憲法や日本語を読む場合に棒読みすることなく、字面を己の内面に反響させ、文脈や脈絡を追って字面を拾う個性を心の皺や襞に震撼させ、己の言葉の陰影に即して情感として読む、と云う訓練をしてこないからこうなるのだろう、日本語として。――重く受け止める、と云うのはよい。しかし、もっとましな、自分の言葉で語る言い方はないのか。
 
 誤解をしてはならない。
 陛下の生前退位の御意向が問われているのではない。反対に、陛下の「お言葉」に向き合う各々の実存の根拠が問われている、とみるべきである。陛下のご設問に向き合うことでわれわれの人間としての格が顕わになるのである。どうか、これ以上見当はずれの感想を述べて陛下を失望させてはならない。