渡辺昇一の漱石『こころ』 アリアドネ・アーカイブスより
渡辺昇一のラフな談話のビデオを観る機会がありましたので、少し書いてみます。
帰省した娘と話していたら二学期の授業で取り上げなければならないが、内容が重苦しいので憂鬱である、と云うことで、いろいろとあらぬことを話しました。
要点は、読み方にセオリーはないと云うことである。談話の性格上、深い掘り下げを期待することは無理で、漱石は大学教授になって、大学で英文法を教えることもできたし、19世紀の華麗なイギリス言語の歴史的文体の紹介者になることもできたし、小説家であることはそれほど必然的なことではなかった、と云う風に聴こえました。
その理由と云うのが、若いころはあれほど心を震撼されて読んだ漱石の『こころ』が、漱石没年の年齢を遥かに超えるようになった現在の心境に於いて目立つのは、『こころ』の小説としての出来栄え、構えの不自然さである、と渡辺氏は言う。先生と呼ばれる人物が突然自殺して、その理由を語り手である「私」には遺書の形で告白しながら、長年連れ添った妻には言わない、人権無視も甚だしいのではないか、とまでは言わないけれども、不自然の一語に尽きる。
また、妻に子供を産ませなかったと云うのも、人権無視の最たるものではなかろうか、とも。
同様に、むかしの三角関係の男女関係の因縁から、「K」なる人物を過去に自殺に追い込み、その負い目を曳きずって、三十年間もなすがままに放置しておいて、それを明治天皇の崩御であるとか、乃木希典の殉死事件にかこつけて、死んでしまう、悪うございました、と。いったい、先生は歴史的事件に関わってしまうほどの社会的位置にいたわけではない、とも。
要するに、漱石の文学は若い頃に読む本であって、年齢とともに読み方も変わって来て、今では傑作とは思わなくなった。
それ以上に良くないのは晩年の傑作として評価が定まっているかに見える『道草』の場合であって、これなどは古い義理ある縁故の親類知人から借金を頼み込まれて、あれこれ逡巡する話を書いただけのものである、と解説してみせる。
あるいは、『門』以降の、いわゆる「文豪」の完成は、例の修禅寺の大患を患って以降の精神の不安定さが生んだもので、「文学上の深刻さ」とは関係がないのではないのか、とも。
同感する面もあるがそうでない面もある。しかし、ここでは渡辺氏が「文豪」の成立について述べている点、
一、漱石の人格が品行方正で、且つ学歴も高く、公的教育や教科書で教えるには格好の対象であったこと。
三。漱石の生き方そのものが、日本の「近代」を象徴していたこと。同年同期の生まれの幸田露伴と比較すればよくわかる、とも。漱石は未来を志向し、露伴は過去に視線を向けた、という渡辺の評言は言葉のはずみであるにしても少々言い過ぎではあると思うが。
むしろそれよりも渡辺が言いたかったのは、漱石の文学は音読に堪える、という点ではないかとも。基本は江戸っ子の文学であり、啖呵を切るようなところ、威勢の良いところが夏目漱石の文学には在って、それが独特で固有な文体を形成しているのかもしれない。
ちなみに、わたくしが推す最高傑作は『三四郎』であると思っている。初期の『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』の俳味を帯びた哀しさも勿論よい。『それから』に始まり『こころ』で成立する日本近代文学の「文豪」概念の成立もよい。晩年の『道草』の、全編アダージョかと思わせる文体の沈痛な響きも他に代えがたくまた良い。しかし西洋的な意味で云う、三人称客観小説としての出来栄えは『三四郎』であると信ずる。
漱石を評価するためには、やはり彼がシェイクスピアの読み手であったことを考えなければならないだろう。同時に彼が生きていた当時は「現代文学」であった、ジェイン・オースティンの文学やヘンリー・ジェイムズを読んでいたという関係からも、世界文学のなかに於いて夏目漱石を語ることも大事だと思う。