アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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カニグズバーグの『クローディアの秘密』 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 カニグズバーグの『クローディアの秘密』、内容はNYの郊外の小さな町に住むクローディアと云う反抗期の少女が、ケチでいかさまの、小さくてこましゃくれた賭博師で経済的観念の発達した、凡そ子供らしくない9歳の弟と家出をする、というお話である。その家出の先が、なんとNYもNYのど真ん中、セントラルパークに添った、メトロポリタン美術館の広壮な展示室のなかであった、というのである。
 
 この児童文学の背景には幼年期から思春期に差し掛かろうとする頃の、少女の脱皮の物語がある。
 何不自由なく暮らし、不満と云えば数多い兄弟たちの一家の長女であることから、何かと頼りにされているのか家庭の雑事を自分だけが押し付けられていると感じている少女の、ひと冬の一週間の家出の物語である。
 学校でも優等生であるから、大胆な行動も思いつきもほとんど逡巡や後悔が語られることはない。家出の先も――先に振れたようにNYの中心のメトロポリタン美術館である。しかも家出の先で、美術や歴史や自然史の勉強を弟とともにしようと云うのだから見上げたものである。
 話しの中心は、特別展として展示されていた伝ミケランジェロと伝えられる60センチほどの天使の像にほれ込み、これが有名なルネサンス期の天才であることを突き止めようとする、悪戦苦闘のお話である。
 探訪の旅は、ふとした偶然から石造の台座の裏面に掘られた「M」の字を見つけて、生起の大発見をしたと姉弟して悦に入る場面である。その世紀の秘密を抱いて、それをご親切にも美術館に教えてあげようと、郵便局に私書箱まで借りて謎の手紙を往復させようとまでする。世間の美術界は沸騰するだろうし、そのうち気が向けば徐々に仮面を剥いでいく楽しみは徐々に取っておいても良いだろう。そんなとらぬ狸の世界を想像しながら、結果は、そんなことは美術界の当然の常識であって、ミケランジェロ自身が購入したものに自分の「M」マークを刻印したものか、彼の志を偲んで弟子たちの一人が彫りなおしたものなのか、それとも全然無関係な出来事なのか最終的には分からないと云う、丁重な「ご返事」が美術館の学芸員から帰ってくる。そんなことも知らないのと云う粗っぽい言い方なら堪えられても、妙に丁重な協力をお断りする文面を読んでクローディアは子供とは言え心から傷つく。彼女としては真相に迫るために、大人向けの研究書や図版までNYの公立図書館で勉強したと云うのに。余談だが、二人の年少者を応対する図書館側の対応がまた素晴らしい。
 
 私書箱事件のあたりから物語も終わりで、家に帰るのかなと思っていると、思いがけずもこの作品をオークションで250ドルほどで手放した億万長者の美術愛好家のフランクワイラー夫人と云う人が登場してくる。いままで書かなかったけれども、実際はこの物語は夫人の手記と云う形をとっているので、夫人は語り手でもあったわけである。分からないのは家出した姉弟と夫人の関係である。それはおいおい述べる。
 一方、クローディアの方でも心境の変化が生じて、傷ついた自らのアイディンティティの保持のために、なにがなんでも天使像の真相を確かめなければ旅を中断できない、とまで想いこむことになる。心理的にはかなり深刻な事態であると云うべきだろう。
 こうして姉弟の帰還の復路は往路とは違って、フランクワイラー夫人の豪邸を訪れて夫人の口から直接に天使の像に関する情報を得ることに変化する。そしてその結果意外なことが生じる。
 夫人は天使の像がミケランジェロの作であることを証明する資料と云うかスケッチを実は所有していた。それを公開しないのは彼女もまた世間に対して「秘密」を所有したかったからに他ならない。不可解なのはそれを知っていて天使の像を僅か250ドルで売却した「秘密」であるが、実のところ誰一人知らない秘密というものは本当の「秘密」とはならない。それを夫人としては最も観覧者の数が多いメトロポリタンのホールの中心の、衆目の特別展の視線に晒して、あれこれと論議させることで秘密は増幅された世間の「秘密」となる。
 さらに、夫人の「秘密」をクローディアと共有することで互いにウインウインの関係にもなる。しかも老い先短い夫人としては、天使の像の由来を証明するスケッチを遺言としてクローディアに残すことで「秘密」は完成する。ついでに児童文学だから偶然とまでは言えないが、夫人の遺産執行の弁護士が、クローディアの御祖父さんであったことも後に明らかになる。夫人は、「秘密」の共有したほかに、クローディアも知らない、アッと驚く「秘密」を当分の間は楽しむことができるのである。
 ここまでのことを描いてくると、なんだ、面白くもおかしくもない子供向けのお話かと思われるかもしれない。
 しかし、子どもを一人前にするのは細やかでも自分に固有の「秘密」を持つことだと語っていることである。そういえば皆さんも思い当たらないでしょうか。子供の頃、ビー玉や宝物隠しのゲームに秘かに昂じたことを!
 なんと罪のない、無垢な、天上からの贈り物であろうか。こうした神様の無邪気でイノセントな工夫をそれとなく知らされると、やはり神様はいるのだと云う気にもなるし、神を信じなくなったのは、わたくしたちが子供のころを忘れてしまう、いわゆる健全な健忘症になったからかもしれない、などと思い当たるのでした。
 
 一人の少女の転換期を描いたこの物語の素晴らしいところは、同時に大人が読んでも面白いと云う点でしょう。
 何よりも、メトロポリタン美術館の館内の案内があります。見て取るようにとはいきませんが、朧げで魅惑的なイメージを抱くことができます。美術館だけではなく、中央駅やその他の子どもたちが食事や選択のために出歩いたNYの街区の雰囲気も生き生きと描かれております。
 そしてそれよりも何よりも、語りでであるフランクワイラー夫人と云う超富豪のお金持ちが素晴らしい。彼女は富と権力と世間的名声で全てを得たのちに、「母親」にだけはなることができなかった。それを知ったのは、二人の姉弟が家出の果てに行方不明になって、それを「半狂乱」の姿になって探し求める母親の記事が新聞の片隅に掲載されていたのを読んでからである。
 ものとお金と社会的名声に囲まれて暮らして人間を知らなかった、それがフランクワイラー夫人の八十余年にわたる生涯が示すものであった。彼女が国宝級のミケランジェロ研究上の資料を遺言として姉弟に残す意味は、秘密を「持つ」と云う行為を通じて得た精神的な意味での疑似家庭のヴィジョンを所有することであり、それが彼女の長い生涯を飾る幻のオベリスクになった、あるいは聖家族の肖像画になった、という意味である。
 しかし子供は忘れやすいし、利己的でげんきんなものである。家まで送ってくれたロールスロイスにお礼も言わなかったし、夫人が窓越しに見たであろう「家庭の風景」の仔細を哀歓を籠めて描くこともなく、カニグズバーグのこの物語はそっけなく終わっている。再会の興奮のなかで親子はそれどころではなかったのだろう。