アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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公文書偽造や偽証罪の嫌疑も受けている都庁職員の苦渋 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 今月の7日の段階では想通り、答弁に答弁をかさねる都議会職員の矛盾が露呈されて、まるでミニサイズの人民裁判かみせもの劇じみた好奇の眼に晒されて、これで良いのかと思わせる。
 大手の設計会社の日建設計が作成した、一番早く地下空間の存在について記述したプロポーザルの提案書を廻っても、同様の経緯をたどっている。日建設計は報道を受けて早速HP上に弁明の文書を表明した。素晴らしい早業と云わなければならない。素早い自己弁明よりも、このスピードをもって東京都に情報開示を迫ると云う態勢を取ってくれたらもっと良かっただろうにと思う。
 前者については、公文書偽造、後者については偽証罪相当であるが、客観的に判断すればその通りになるのだろう。こうした形で決着を見るのだろうか。これでは都庁職員は犯罪者と同じであると云わんばかりではないか。
 しかし、それでよいのだろうか。公文書偽造偽証罪、大変に分かりやすい筋道だが、政治と経済が絡む大きな場面では、常々こうした形での決着をわたくしは望んではいない。問題の核心は、別にあると思われるからである。
 それぞれに二つの場面について諸感想を述べる。
 
 都庁職員と都庁議員、メディアとコメンターたちの興奮した騒音模様の中で微かに聴こえてくるのは、疑惑の空洞問題について、技術会議のメンバーが提案したものだと云う議事録改竄と、追及を受けた市場長の一転した訂正とお詫びの文言について、これで一応決着をつけたかに見えるのだが、そうではない。
 よく聞いてみると、こういうことなのである。――技術会議では疑惑の謎の地下空間について議論されたことは「あった」のである。言い換えれば謎の地下空間は技術会議の場では謎でもなんでもなかったらしいのである。それを今まで「知らなかった」と言い逃れてきた技術会議のメンバーもまた、ある種の偽証罪の嫌疑は免れないのであろう。要は都庁側と技術会議のメンバーの間で暗黙の前提があって、正式の議題としては受け取らないと云うことがあったのだろう。しかし相談は受けていた。もっと踏み込んだ会話の遣り取りがあったと思われるが、議事録等の情報公開が進めば明らかになるはずである。実際に、先月、技術会議の座長と都庁職員の間に、謎の地下空間のプロポーザルは技術委員の方からの申し出にしたいと云う、かなり手前勝手な相談を受けて当然のことながら却下された経緯は伝えられている。東京都職員の公文書偽造と度重なる偽証発言は弁護の余地はないけれども、専門家としての技術委員のメンバーの不作為も専門家としての見識と云う観点からは褒められたことではなかろう。この点は未だに謎の地下空間の存在については「感知しない」という立場を堅持し、自分たちは豊洲の責任問題については蚊帳の外にあると見せかけているかに見える、専門家会議と称するグループについても同様である。
 専門家や有識者としての見識が問われているのである。専門家や有識者、学識経験者と云うものは、通常の素人ではないのだから。通常のクライアントに対して情報量を多く持つものはそれだけの義務が発生すると云うことについて自覚的であってほしいものである。
 
 二番目は疑惑の謎の地下空間に資料としては一番早く言及していると云われている日建設計のプロポーザルの提案書についてだが、報道を受けて打てば響くように返された同社のHP上での「迅速な」対応、――土壌汚染の問題については弊社の「監理」の「外」である、云々・・・、と云う発言も聞き苦しい。これは三流どころの企業の親方が言うことである。専門性とは固有の領域について語るだけではなく、境界域についても語れることをこそ専門家とは云うからである。また、専門領域を語ることは「知識」である。専門と専門領域との境界域を語ることは「見識」という。知識のあり方と見識のあり方の双方が問われているのだと理解すべきである。
 また、建屋の地下に限って盛土は不要であると云う記載に関して主張している言い訳についても理に適っていない。建物には地下があるからどうせ掘削するのであれば盛土は不要であると云う論理である。しかし基礎の定番深さがぴったりとGLマイナス4・5メートル(注)と云う汚染土壌面に一致すると云う「数学的数値の一致」については説明がいるであろう。(注)GL=グランドラインと云う業界用語。
 また、地下室を前提としない一階床の「土間構造床スラブ」と地下空間を前提とした「一階床構造スラブ」の違いについても説明するべきだろう。
 さらに基礎を構築しながら盛土工事を平行して進めると云うのだが、基礎等が出来たあとでは障害物も多く、重機の大きさも制限されて遣りにくいことだろう。また「盛土」の建築学的工法の定義においては土はただ盛ればよいのではない。基礎部材の隙間を満たせばよいと云うのではない。地盤が盛土された後も長年月にわたっても沈下しないように50㎝ごとにローラーで転圧し突き固めると云う作業を経て「盛土」という行為はなされる。基礎の構築と盛土作業を並行して遣れると云うのであれば、建築学的な意味での「盛土」について説明すると云うのが我が国を代表する設計者としての「見識」であると考えるが、如何であろうか。
  また、プロポーザルと云う入札の形式で、この程度の提案内容で、設計者が決まった経緯についても、今後の解明が必要だろう。技術内容のどのような点が評価を受けて受注に至った経緯などについても情報公開をすべきであろう。(プロポーザル技術提案書2011・1月、受託契約同年3月。プロポーザル方式とは、同社によれば「建築設計を委託するうえで、もっとも適した設計者を選ぶ方式です。」と云うことになっている。)
 
 憲法論議の場面でも感じることであるが、専門的知見を軽視した論議が多すぎるのである。白昼堂々と専門家と称する人たちが専門性を侮蔑するような議論をするのが許せない。またメディアの方について言えば、素人向けの、興行的見せ物や見せしめ劇が多すぎるのである。小池都政の関心がもしそういう方向で着地点を求めるのであればわたくしの彼女に対する評価も変化するであろう。彼女には人を罰するのではなく物事の本質を見抜く努力をしていただきたい。14万人にも及ぶ都庁職員が全部が全部そこまで馬鹿であるはずがないではないか。もしそういう仕方の報道で終始されれるのであれば、通常の人間感覚では、どこか別のところに嘘があると思わなければならないだろう。