アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ニーチェの『悲劇の誕生』とオペラすなわち超越論的言語の復権 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 言わずと知れたフリードリッヒ・ニーチェの『悲劇の誕生』である、――ディオニソス的なものとアポロ的なものの対比と云う、余りにもニーチェ的な二元論的語用論の技法の誕生、という意味でも記念碑的な処女作であるとはいえるであろう。
 しかし今日からみると――当時も言われていたことであるらしいが、本場の学者の著作としてはあまりにも素人っぽい気がする。20世紀以降の思想を席巻したビッグネームとして評価定まったかにみえるが、反アカデミズム系の学者たちが口を揃えて言うほどの名著であるかどうか、見極めねばなるまい。
 
 それから意外と気になるのは、ニーチェ個人のわりあい権威従属主義的?な傾向である。ギリシア哲学と演劇に関する卓見を別とすれば、文学の世界で称賛されるのは例によってゲーテでありシラーであり、あるいは遥かに時代を遡ってルターである。好ましい音楽はバッハであり、ベートーベンとワーグナーであり、ずっと遡ってパレストリーナの名前が出てくる。いずれもニーチェの在世中に世評が固まった巨匠たちを踏襲する傾向にあり、個々の作品論において深い個性的な解釈が見当たらないとは言わないが、文豪たちの権威の名を借りると云う姿勢は、どちらかと云えばニーチェらしくない、とも云えよう。それからもっと後段で、オペラを語るのになぜモーツァルトの名前がないのであるのか。これは紙面の都合であるとか意図的な省略と云う理由では説明がつかないだろう。モーツァルトは、イタリア語で歌われるのが自明視されていた当時の西洋音楽の世界において、初めてゲルマンの響き(『魔笛』)において音楽を奪還した、先駆的な存在であるのだから。
 それにモーツァルトに関してなら、わたくしはもっと云うことがあって、――いわゆるモーツアルトの三大オペラ、『フィガロの結婚』・『ドン・ジョバンニ』・『コシ・ファン・トゥッテ』において、モーツアルトの意外なる文学的感性の発見という音楽史上奇跡のような事実に遭遇するわけであるが――『フィガロの結婚』においては封建領主の「処女獲得権」などと云う奇怪な封建的道徳?への嘲笑があるし、『ドン・ジョバンニ』においては、いわゆるプラトニックラブなどと云うものはないと云うこと、従って天国も地獄もないと云う無神論の大胆不敵な宣告の裏声が聴こえるし、『コシ・ファン。トゥッテ』においては、近代主義的な個性や人権概念へのモーツァルトらしい皮肉な諧謔と哄笑が見られる。
 つまりモーツァルトオペラにおいては単に音楽として美しいかどうかという問題を超えて、アカデミックな音楽的な知性や素養のみでは近づけないロマンティック・イロニーの問題、と云う音楽と文学的言語が独自に重なり合ったところに生じるある種のアンサンブル!オペラ芸術の固有の魅力があるわけなのだが、ニーチェのオペラ論はこうしたことについては何も語らないわけである。彼が念頭に置置いているのは粗雑なリヒャルト・ワグナーのオペラ理論に過ぎない。結局この世の没落を救うのは乙女の純情であると云うのはいただけない。『ハムレット』のオフィーリアの描き方ですらこれほど単純ではない。ともあれ、――
 
 まずディオニソス的なものとアポロ的なものの対比であるが、後者のアポロ的なものとは造形芸術を、前者は音楽のような、形象や認識、言語と云った媒介行為を介さずに、そのものを非言語的に、ダイレクトに表現できるもの、という意味らしい。よってこの説明から云えることは、――無条件に音楽芸術が最高の芸術形式である、と云うことになる。
 
 このニーチェのアポロ的なものとディオニソス的なものを対比させる二元論的な構図は当時のドイツ観念論と呼ばれた哲学界の状況を踏まえれば、カントの現象界と物自体の世界の対比へと行きつく。このドイツ観念論の二元論的な対立は、後継者であるショーペンハウエルの意志と表象の世界へと変奏する。分かりやすく言えば、何事にも理性的秩序と混沌の世界がある、と云うことである。こう言ってしまっては身も蓋もない気がするのだが、概略ニーチェの言わんとすることは、こういうことである。違っているのは、カントの場合は、それゆえにこそ理性は自らの守備範囲を超え出てはならないのだしー―「越権」という言葉が使われる!――、ショーペンハウエルとニーチの場合は、形式主義的な堕落に陥らないためにも、理性的秩序に対してディオニソス的な混沌がより優位にあらねばならない、と云うことになる。
 
 しかし理性的秩序と混沌的世界を対比しても、二元論的な論理のパラダイムは克服できない。むしろ、人間の意識や認識をも含んだ人間の行為一般と云うものを考える場合に、その規範系として認識という行為を際立たせている「ソクラテス的なあり方」こそ問題であろう。こういう意味でなら、ニーチェがこの本で主張した、ソクラテス的論理主義への批判を、哲学史上初めて意識的に取り上げたと云う意味では評価が与えられてしかるべきだ、と云うことはできるだろう。
 しかし理性的秩序と混沌的世界のあり方を対比させて考える思考の枠組み自体が認識論的なパラダイムの射程に特化した思考様式であることも、今日からみれば自明なことのように思われる。
 
 むしろこういうことではないのか、――人間の行為の中に認識という部分行動の様式があり、その認識と云う部分様式の行動を、デカルト的な明晰判明と云う指標において評価する場合、あるいはまたわたくしたちの常識的なものの見方においても、対象の対象性をより正確に評価するためには、認識されるべき客体は静止しておいた方が良いし、できればそれを観察する認識主体もまた、静観的に停止しておいた方が良い、というのは自明のことであろう。――例えば扇の的を射るのに平家物語における弓の名人・那須与一を腐心させたものは、波間に浮かぶ船上に高く掲げられて左右に大きく揺れる扇の存在であったし、また愛馬とともに波間に浮かび漂う不安的な自分自身の腰のおさまり方だった。もしこの時、波間が鏡のように静謐のなかにおさまり、且つ弓を射る自分の手元もブロンズの台座のごとく高く固く固定されていたならばどんなにか的を射ると云う行為は容易であったであろうか、とは当時の与一の考え方でもあったろう。
 つまりここから云えるのは、わたくしたちが物事を考える場合に無意識に前提しているのは、静態的な認識論的な立場である、と云うことなのだ。理念としては、静態的な認識論的な立場が理想なのであって、――例えば那須与一が遭遇した歴史的なモメントは、理念が現実と云う場に移されて「実践」という形で受け取らざるを得ない、特殊な様態の一つである、と云うことになる。
 むしろわたくしたちはここから一歩進んで、動態的な認識論と云うものを構想してもよいし、より根源的に、認識論一般を投げ捨てて、「存在への肉薄」というドラマティックなあり方に身を奉げてもよいのである。
 
 あるいはこうも言えよう。――認識と実践を対比的に考えるからおかしいのであって、実践とは認識の高度化された様式に過ぎないし、認識――特に反省的認識とは、行為が行為を透して自らを捉え返した行為の様態の別称なのである、と。
 かく考えることによって、認識も行為も実践も、静的なあり方を去って、動態としてのあり方を志向するのである。
 
 それでは存在に肉薄する、動態としての人間的行為のあり方とは何であろうか。
 ここで『悲劇の誕生』のなかの、オペラに関する叙述を思い起こしてほしい。周知のようにニーチェがオペラに対して下した評価は否定的なものだった。アリアとレスタティーヴォを交互に繰り返すオペラの形式は、「言語」とニーチェが高く評価する「音楽」が交互に後退する「煩わしい形式」ゆえに、不純である、と云うことになるらしい。言語をアポロ的アンものとして評価し、音楽をディオニソス的なものと考えるニーチェの立場からは同然結論はこうなるのだろう。
 わたくしは偉大なるニーチェにオペラとは何ぞやと云うことを教訓を交えて説教するような立場にはないが、オペラの誕生以前には多声音楽・ポリフォニーの世界があったと云う風に言われている。通常音楽史上言われているのは、オペラがポリフォニー音楽の非言語性に対する反省として、ひとつ一つの言語の意味を明瞭ならしめるために、アリアとレスタティーヴォと云う形式を生んだ、と云うことなのである。
 つまり、ニーチェが危惧したように、オペラは音楽芸術名の中から言語が復権を遂げると云う現象が歴史的経緯として明らかに読み取れる。かかる変革がルネサンスと呼ばれた時代において生じ、通常、ルネサンスを「文芸復興」と訳していることからも分かるように、ルネサンスは今日、ミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチ、あるいはラファエロなどの絵画論だけが喧しく言われているのであるが、「文芸復興」と呼ばれた時代であったことを今一度思い脱してほしい、と云うことである、つまりニーチェには耳が痛いかもしれないが、ルネサンスには言語の復権という現象が歴史的経緯として明らかにあったと思えるのである。
 
 今日、わたくしたちがオペラ鑑賞の最中において感じる感動は、言語と云う行為が、コミニュケーションや意味伝達という機能を越えて、言語がそれ自体で言語自身を語ると云う驚くべき、超越論的な経験なのである。
 オペラの魅力は、ニーチェが語っていない、アンサンブルと云う形式においてこそ極まる、と云ってもよい。ここでは言語の意味作用を明瞭にならしめるためにポリフォニー音楽の反省から生まれたオペラの言語形式が、複数の歌手が同時に歌うと云う形式において、意味は聞き取れず不明瞭になりながらもなお、意味を越えた「存在」の輝きののなかにあるものを現出させるのである。
 それは、古典古代のギリシア人の普遍言語はこうででもあったろうかという、ルネサンス人の理想と云うか謂われなき妄想あるいは白日夢の類であったのかもしれないが、人間であることを越えて言語自身が自らを語ると云う経験が、歌うと云う行為の中で超越論的に実現されているのである。ニーチェが単純に考えたように、言語か音楽か?と云うような二元論の問題ではないのである。
 
 オペラ的世界の中には、哲学が、認識論や存在論、論理学や弁証法、さらには実在論実念論に分化する以前の、「存在への肉薄」がある。存在への肉薄とは、主観や客観のあり方の問題ではなく、言語自身が自らを語ると云う超越論的な次元の物語のことなのである。
 オペラ的な世界を聴きながら感じるのは、音楽と言語の融合というよりも、今までに経験したこともなければ見たことも聞いたこともない言語の言語自身による経験なのである。オペラ的世界の開示においては、明らかに言語の新しい経験と生きられた生の領域がある。オペラがなによりもルネサンス人の脳裏においては、言語の復権として誕生したこと、この点は今日において遺憾ながらあまりにも等閑視されていることの一つである。オペラが音楽の一様式として定着した感がある今日の音楽的な状況においては、オペラがともすれば音楽愛好家や専門的な音楽関係者のエリアにおいてのみ云々されてきたこと、第二に文学者や思想家と呼ばれてきた人々のオペラに対する無関心があった、とわたくしは考えている。
 ちなみに、わが国の近代化百年の文学者たちの生きざまにおいてオペラについて本質的な経験をしたのは、わたくしの知る限り、永井荷風ただ一人あるのみ、という寂しさなのである!荷風は当然ながら自分の生きている世界が語っても通じることがない風土であることを骨の髄まで知っていたからオペラについて語ると云うことはなかったのである。もう一人、小林秀雄の『モーツァルト』はコンサートなどの美的教育の機会も稀な戦前という社会の中で、ひたすら聞くことのできない音楽を音符の独自的な解読によって脳裏に響かせると云う離れ業!――小林秀雄の偉大にして優れた業績だが、モーツァルトの本質が「疾走する悲しみ」という解っているようでいて分からない、奇妙なデカダンスのみでは片づけられない多面性を持っていたことは、少なくともオペラを見聞していたならば修正せざるを得ないことだっただろう。しかし文学者がよくここまで書いた!という意味では、わたくしとしては溜飲を提げる思いで思わず喝采を送ったほどだった。