アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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「熱狂」を忘れた世代!――柄谷行人『日本近代文学の起源』、作品を楽しめない批評家の起源  アリアドネ・アーカイブスより

 
柄谷について書いたこの文章も読まれている。
大雑把な言い方をすれば、
村上春樹の『ノルウェイの森』などと並んで、
「60年代問題」以降の、
ポストモダン」に該当する書籍,
ではないかと思っている。
――ポストモダン!とは、粗っぽい言い方をすれば
高橋和己などに代表される60年代の「熱弁型」の
いわゆる「重たい」思想・文学者たちの群像を
煩わしく感じる、都会型感覚の洒落た、
醒めた、「頭の良い」「賢い」文学センス、
と云えばよいのだろうか。
このポストモダン型、―
わたくしが一時関係していた、
わたくしより一世代ほど若いグループの頭の中を
この種の思想が席巻していて、
冷静を装いながら実は過激で戦闘的な
このグループとの対応の仕方、
距離の取り方に苦慮したものだった。
客観的、冷静さを装うのは良いのだが、
実際にはポストモダンとは、
ある種の教祖的な秘教性を秘めていて
思想的な過激さ、不寛容さとは次第に
距離を取らざるを得なくさせたことを
いまは懐かしく思い出している――。
これをして「熱狂を忘れた世代!」と名付けよう。
 
 
原文はこちら↓
 
 
 既に誰かが言っていることだが、小林秀雄吉本隆明江藤淳、そして柄谷行人と並べて気がつくのは、戦後的言説の地平に於いて、批評家と呼ばれる人たちの役割と云うか、本来は哲学者や政治研究家が主導性を発揮するべき分野に、分野を越境しつつ、ある種の卓越すべき役割を果たしかに見える一連の「文芸批評家」とでも云うべき人たちの群像が影を落とす、戦後の特異とも云える風景である。
 
  この現象は、わが国の戦後の文芸批評家と呼ばれる人たちの水準の高さを示す反面、従来型のアカデミズムの凋落と云う現象とも関係しているし、戦後をリードしたアンガージュマン型の知識人と云う人種の不在とも明瞭な関連がありそうである。なぜならこれらの型の文学批評家なり文学研究者たちに共通しているのは、先行する既存型の先達を、進歩的文化人、左翼の観念性批判と淘汰の過程としてして登場してきたと云う経緯を見れば明らかである。
 
 さて、柄谷の同書もかかる近代化批判と云う大きな言説空間の枠組み経緯の中で登場して来る。本書の章立てからキーワードを挙げれば、「風景」、「内面」、「告白」、「意味と云う病」、「児童や子供らしさ」、などいずれを選択しても良いのだが、「内面」が一番この書物の卓越性を証明するのには良いだろう。内面とは、大雑把に言えば小林秀雄などによって有名になった自意識と同じものであると考えてよい。
 
 柄谷の表現方法が新しく感じられるのは、「内面」の起源を、具体的に日本近代文学史をとおして起源を実証的に探求するのではなく、「内面」と云う枠組みが現代史の中に於いて如何に生じたか、と問う姿勢を持って「起源」と名付けているのである。
 言い換えれば「起源」が自明視されて「隠蔽化」された構造を持つとき、それを考古学的な推理の手段によって審問的に明らかにすること、その半ば暴力的な手法を持って「起源」と名付けられているのである。
 
  さて、「内面」についてだが、通常日本の近代化の歴史を論じる場合に、およそ百年の物語天皇性と軍国主義に帰結した反省から、積極面と消極面が並列して論じられる場合でも、「個人」の抵抗史として論じられる場合が多い。つまり個人の良心の有りどころの根拠としての内面的無謬性への信頼は揺るぐことなく、むしろ圧倒的な権力構造の物理的な力への抵抗の程度であるとか歴史の必然性に対する内的自立性の強度によって説明されていることが多い。
 
 柄谷の本書の特色は、近代的個人の抵抗の拠点としての無謬性の神話を転倒させるにある。言説的に右翼であろうと左翼であろうと、内面性なり自意識が拠点であり得たことはイデオロギーの差異に関わりなく自明視された事柄であり、これを疑うことはそもそも実存や個人の存立を不可能ならしめると云う意味で、問われてはならない最終的沈黙の合意事項、あるいは個人が個人であることの存立を可能にする決定的な条件の如きものとして考えられていたからである。
 右翼的思考も左翼的な立論や指向をともに不可能にすると云う柄谷の手法が、現実的には多感なる60年代が終わり、イデオロギーの差異が意味を失った70年代以降に出てきたと云うことも意味深長な出来事ではある。
 
 本書を今日から読んでみたらどうなるであろうか。
 柄谷は「あとがき」の中に書いている。
「しかし、本書を回避したところに生きのびるだろう批評的言説に対しては、憫笑するだけである。」
 
 大変な自信であるが、確かに柄谷の諸説に対して異同を認めない。――その趣旨は様々な事例を引いて様々なヴァリエーションの次元で語られるのだが、一言で要約するならば、「内面」の誕生はある制度の下で誕生したと云うのである。ある制度とは、一例としては「言文一致体」のことである。明治政府が富国強兵や徴兵制、学制の整備の一環としてもたらされた言文一致の法則の中で「内面」が誕生した、と云うのである。
 
 通常、言文一致とは既に人間の心理に内的世界というようなものがあり、内面が語る語りを、言語で表現するばかりのものだと考えているが、逆に、言文一致と云う制度の中で、言語の形象化や階層性や地域性から解き放たれた言語の一般的均質化と云う「風景」の中で、一方では「もの」を物質としてのみ見るような近代自然科学的な物質感(デカルト的延長)が、他方ではそれを観察し記述するものとしての我(デカルト的コギト我思う)――すなわち「内面」が誕生したと云うのである。
 
 次に、「内面」が誕生したと云うことは次の事を意味する。「内面」の誕生の仕方は、「既にあった」と云う既視感を伴った過去形として到来すると云う感じられ方で与えられる。かかる社会的言語としての思惟の法則性は、現にわれわれが誕生の場面に立ち会うと云う形では決して訪れないと云う特色を持っている。事物に対する意識の後追い性は、既にあったと云う既在感を動因として、永遠の昔からそうであったかのような「普遍性」の外観を与えると云うのである。
 「内面」、「風景」、「既視感」、「意識の後追い性」、「誕生の仕方が常に過去形と云う形式をとること」、そして「普遍性」と、それぞれの言語の特異な用い方に注目して欲しい。内面、風景、普遍性は柄谷の用語であるが、それ以外は説明をより強調するためにわたしが補足した用語であることを付け加えておく。
 
 以上の議論を要約すると、明治期における、とりわけ二十年代におきた知覚と意識のパラダイムシフトは、一言で云えば、少数の内面的な人間が先駆的な形でいてそれが社会に敷衍化する形で徐々に世界観としての「内面」が形成されたのではなく、言文一致体と云う現象の中で事象の均一化をもたらす中で、それと均衡する形で「内面」が生じた、と云うことになる。
 つまり幽霊や鬼が怖いのではなく、怖いと云う心理的条件が幽霊や鬼と云う現象を生み、現象はある種の既視感のなかで社会的存在となり、実在性を僭称しうるまでの卓越感を獲得した、と云う説明の仕方ではあまりに単純化しすぎていると非難されるだろうか。
 
 さらに、ここから言えることは、言文一致体と云う時間と空間の均質化と云う事象の中で、内面の誕生とともに、同時並行的現象として「もの」の誕生があり、それを起点に実験や実証、搾取の対象として再評価したとき近代自然科学に言う固有な物質感が成立したと云うことなのである。これは柄谷の本では書いていないことであるけれども、近代自然科学的な世界観を論じる場合では大事なことになるので序に書いておく。
 
 以上のように柄谷の言説はセンセーショナルものがあるのは確かである。
 しかし今日からみると、本書の諸章「風景の発見」や「内面の発見」以下、「告白と云う制度」「病と云う意味」「児童の発見」「構成力について」など、同工異曲の繰り返しが多く、退屈感は否定できない。柄谷が日本近代史に発見した事象が多様なヴァリエーションとして繰り返されているという感じなのである。その原因は柄谷の論旨に発展性がないこと、その余りにも狭隘な歴史相対主義的なものの味方にあるように思われる。
 
 歴史相対主義とは、わたしたちの思考や論理展開の土俵なり枠組みとなるような通常は不可視のもの、可視化されたもののより上位にある無名性を有する概念――ちょうどユダヤ一神教的な神が名前を持たなかったように――、つまり自己言及が不可能なメタレベルの超越的な抽象性を理念的に想定し、そこから下降してあらゆるイデオロギーや言説に伴う構えのポーズや仮象を欺瞞性として告発する思考のシステムの事である。
 
 分かりやすく言えば、論理の内部告発を思わせる自己言及の裏返しとしてあるシステムのことである。内部告発が、結局は生産性を生まないのは、所詮は影を踏み越えることはできないと云う古来の比喩なりディレンマが、柄谷の硬質で明晰至極な論理にも該当するかのようである。
 
 ――よろしい、内面なり近代的自意識が近代資本主義の抵抗因子と機能し続けたのではなく、むしろ国家体制を盤石足らしめるものとしての重要な補完物としてあった、ということが証明されたとして、それがどうしたと云うのであろう。
 森鷗外は言うに及ばず、国木田独歩島崎藤村が近代日本社会に於いて近代的個人の内面的意識を基礎づけたのではなくて、むしろ彼らの意識の変容に於いてこそ近代社会と云う等質化された時間と空間が準備されたこと、「文学」とは社会に異議申し立てをする良心の拠点などではなく、むしろその反対物、国家や権力を補完する走狗の駒のようなものであり得た、かれらの主観的意思や意図とはかかわりなく!――と云うことが証明できたにしたところで、それがどうだと云うのだろうか。
 
 本書で柄谷の最も論旨が優れている個所は第二章の国木田独歩を論じた部分である。柄谷による国木田の再評価はこれだけでも文学史的な事件と評価しても良いと感じる。
 
 柄谷は独歩の『武蔵野』や『忘れえぬ人々』を論じていう。――とりわけ後者の中に、通常は忘れても仕方がないようなどうでもいいような人の事を「忘れえぬ人々」とかく独歩の感性のあり方に、ある種の近代主義的な「倒錯した」あり方を見、そこに近代的内面、近代的風景の誕生の現場を、現行犯として如何にも抑えたやり手の刑事であるかのように書く。
 柄谷の言い分を直接聴いてみよう。
 
柄谷: 「つまり、『忘れえぬ人々』という作品から感じられるのは、たんなる風景ではなく、なにか根本的な倒錯なのである。さらにいえば、「風景」こそこのような倒錯において見いだされるのだということである。すでに言ったように、風景はたんに外にあるのではない。風景が出現するためには、いわば知覚の様態が変わらなければならないのであり、そのためには、ある逆転が必要なのだ。」(『日本近代文学の起源』{風景の発見」より)
 
柄谷: 「ここには(『忘れえぬ人々』のこと)、「風景」が孤独で内面的な状態と緊密に結びついていることがよくしめされている。この人物は、どうでもよいような他人に対して『我もなければ他もない』ような一体感を感じるが、逆にいえば、眼の前に入る他者に対しては冷淡そのものである。いいかえれば、周囲の外的なものに無関心であるような『内的人間』inner manにおいて、はじめて風景がみいだされる。風景は、むしろ、『外』を見ない人間によってみいだされたのである。」(同上)
 
 むしろ倒錯した読み方をしているのは柄谷であるようにわたしには思える。
 独歩の『忘れえぬ人々』は、近代社会が生み出した主体の無名性という孤独の中で、近代的自我によって発見された悠久の自然と云う大きなスケールのなかでは、些細なこともなつかしく感じる。行きずりの他人でも「忘れえぬ人々として」感じられる、というお話である。
 
 これが「お話」であると云うことは、逆にいえば本意を語っていないと云うことである。
 主人公大津にとって「秋山」もまた別の意味で「忘れえに人々」であることには変わらないのである。むしろ近代日本社会の発展と進展の過程で、適者生存、優勝劣敗の歴史的淘汰の過程で、志を得ることなく倒れていく青年たちの偶然の邂逅の場所として、「あの日」「あの時」の武州大山街道・溝口の宿りの一夜があった、と云う風に読むべきではなかったか。
 
 この点は、柄谷がもう一例挙げている『武蔵野』において読み方の恣意性は明瞭となる。
 明治期の青年において生じた「近代」と云う意識、その萌芽的形態で生じつつある意識の目覚めつつある眼で眺めた時に、何の変哲もない武蔵野の雑木林が生命感溢れる事象として映じた、ということを素直に読めばよいのではないのか。
  外なる「自然」の発見が、内なる自然として、すなわち道理の自然として感得されていることを指摘しておこう。
 
 外なる自然に無関心な人間、目に見える他者に冷淡な人間をここから読み取ると云う必然性はないし、私に言わせれば余程アクロバッティングで不自然な読み方をしなければ不可能だと云う気がする。
 文学は芸術であるけれども、それを理知の光の下に読み下すと云うのはわるいことではない。しかし柄谷のように自らの言説を無理に当今の哲学的思惟に従わせ、知的明晰に読むと云う読み方は、読書を楽しむと云うあり方を忘れるならば、読むことの楽しさを忘れた頭でっかちの文芸批評にならざるを得ないのである。
 
 物事を思考する場合の概念的枠組みを徹底的に透明化し理念化するのは良い。相対論的歴主主義の果てに全ての事象の隠された本質を暴き出すと云う異端審問的な暴力的な思考方法も良い。しかし近代と云う時代を相対化した果てに、それらが時代性として生み出した実質を評価できないのでは、何事も言わないに等しい。
 
 徹底的に論理的で明晰であること、興奮や熱狂を戒め常にザッハリッヒに物事を判断すること、柄谷行人の登場が70年代以降の、いわゆる熱狂を忘れた世代に多くの共感者を得たことも偶然ではない。
 柄谷には、何か生の実質的な経験が欠けているのではないのか。よい年をして青二才的雰囲気を維持しているのは若さの証拠であるかもしれないが、自然な老いを理解していないようなのである。
 
 なぜ、独歩の目に花鳥風月的な伝統的で浮世絵的な概念的自然(柄谷風に歴史的自然と言い換えても良い)ではなく、「あの日」「あの時」から武蔵野の自然が命の泉の迸りのような生の横溢として現れたか、それは彼が当時恋愛をしていたからである。物事はこれほど単純なことなことなのである。
 「文学」を敵視するのは構わないのだが、こんな風に読むことの楽しみがなぜ分からないのだろうか。
 
 自然を描く抒情詩的な描写に満ちているかに思われる『武蔵野』には一か所だけ人間臭いか所がある、今はむかしの東京の渋谷村の外れにある都会と自然の境界域、そこには村はずれの郵便局の分室のようなところもあって、とある小川の傍にある茶店で恋人と過ごす独歩の束の間を描いた美しい場面がある。近代的な恋愛に火照った顔を小川の水に晒す日本近代文学史が生んだ最も美しい場面の記憶ひとつが揺らぎながら頼りなくも揺曳するが、随分前に読んだのであるいはわたしの白日夢めいた勘違いであったかもしれない。
 
(追記)
 柄谷によれば「内面」がもはや文学の与件としては不要になった1980年代の情況、それは一歩進んで、文学史的には「内面」などはなかったと云う言説と、例えば20世紀初頭以降のジョイスの『ユリシーズ』などに見られる、方法意識としての「内面」の放棄と、どこがどう違うかの比較文学的な考察も必要であったろう。
 あるいは、同時代の近代的な性格や人格の背後に人間関係の親和的を幻想的な手法で二重写しにして描きだすヘンリー・ジェイムズの文学の場合などは、そもそも内面があるとかないとかの問題を超えているであろう。
 日本文学を例にとっても、例えば泉鏡花の近代以前の文体がもたらす不思議な効果は、近代的な性格劇などの概念とは異なった、人格と個性の輪郭が溶解してしまうような超越論的な文体である。
 文学論として一般化して論じ格言的言説を立てるためにはかかる文学についての比較文学的な言及が必要であろう。