アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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(続)文豪・夏目漱石はそれほど偉いか――『こころ』の先生が遺書の言外に残したもの アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
  1.『こころ』における奥様と語り手の「それから」
 漱石の『こころ』を久しぶりに読み直して感じたのは、なかなかに艶めかしい本であるのだな、と云う感想をもった。
 第一に語り手の主人公は同性愛的な傾向を持っている。ここに云う同性愛とは昨今話題にされるようになった社会的現象のことではない。愛が純粋化し性差ある対象を必要としなくなれば、――と云うのもおかしな表現だが、愛が持つエネルギーの水準が肉体的条件との照合を必要十分な条件とは感じなくなる閾値を超えた領域においては、愛の精神化と云う事態が生じるからである。精神化された愛はいっけん自由度が高く、この領域においては、同性愛と異性に向けられたプラトニック・ラブの両態をとることができる。
 小説の初めのところで鎌倉の由比ガ浜の海岸で偶然とも云える「先生」に遭遇し、どこかで以前にも出会ったことがあるような懐かしさの感情を抱く場面で、この愛が自己愛の変形でもあり得ることを語っている。かかる自己愛の延長線上に「先生」への同性愛が成立する。「先生」はご親切にも、異性愛の前段階として自分は評価されているのだ、先生などと過大評価はやがて本物の異性愛の前に幻滅として霧散するだろうと客観的に評価して見せるが、ことはさようにも常識的な一般解に収まるようには見えない。
 数ページ読むと、そこでは「先生」のお宅を訪ねる語り手の姿が語られ、さりげなく奥様の美しさが記される。そのあと、先生が居ないところで奥様と二人っきりになったことは稀なこととして語られているが、実際には先生の留守宅で親し気に語り合う二人の風景が情緒纏綿と記される。確かに機会としては稀でも、時期と期間においては毎日のように入りびたりであれば、二人であることも複数回は自然の成り行きとしてあった、と云うことだろう。
 二人は、「先生」の秘密と云うものを、梃子の支点のように支えを内面の基軸として持ちながら、シーソーの両側に対面対向することによって合法的な心理のある種の微妙な均衡状態を維持することが出来る。ある事件を通じて、事件に仮構された時間と空間を現在時制の対話の中に再現させ追体験すると云う行為と、恋愛の臨場性を区分することは心理学的には難しいだろう。
 「先生」の死後もなお、先生の謎の死と云う秘密を語られざる話題の消点とすることで、何らかの形で二人の禁欲的な関係は維持されたであろう。何となれば、長年月に渡る哀惜の対象としての妻を残して現世を旅立つ決意をさせた誘因の一つもまた、この世に生き残されたものの今後、「それから」にあったことは明らかであるからだ。もちろん、奥様と語り手の間に特殊な関係を想像するためには年齢差が大きすぎてあり得べきことではないような気がするであろう。しかし不自然とは言えないだろう。ちょうど、ブラームスクララ・シューマンとの間に成立したような関係が続いていたと考えた方がロマンティックだし、わたしたちの気持を落ち着かせる。
 もちろん、社会的慣習や因習に逆らって自然の論理を貫徹させようとすれば『それから』や『門』の世界が再び出現することになろう。かかる意味では境界域上の生死を語った物語は、漱石にとっては既視感が成立する世界の出来事に属する。『こころ』の世界は再び『それから』の世界に反復的に循環するとも云えるからである。それはそれで立派なことであり、立派な人生になったのではないかと思う。むしろ当時の有名な柳原白蓮の事件の仔細を知っているわれわれとしては、そうであったならどんなに良かっただろう、と思う自分自身がいることも間違いのない事実なのである。
 『こころ』の先生の遺書に書かれなかった死者の想いには、家族――妻と息子たち――を巻き添えにした歌舞伎もどきの禍々しく脚色された乃木希典のエゴイスティックな事件に対する、漱石のぎりぎりの抵抗の跡を観ることができる。しかしそうした漱石の意図は容易く読書界においては看過された。先に書いたように、漱石の言葉は歴史的言説が語る言語に十分には拮抗しえなかったのである。
 
2.言葉による抵抗と応答の物語
 人が人を支配するとは、国家権力や政治行政の機構だけでは完遂することが出来ない。夫々、意志も人生観も世界観も異なった一億の総国民を戦時体制の臨戦態勢に仕上げていくためには、不可視の天皇と云う名の純粋系の対象が必要であったし、殉死と云う大量の戦死者たちを動員できるためには、国民の実存的意思の形としての、負い目、が必要とされた。負い目はキリスト教の場合は原罪意識として普遍化され、あれこれの罪や咎を云うのではない。同じく天皇国民国家における、負い目、もまた、『こころ』に描かれたような固有な過去の出来事と云う枠を脱皮して普遍化されなければならない。この場合も参考となったのはキリスト教で、無限に許す慈悲としての愛と云う天皇制家族主義のイデオロギーの中に折衷的に習合されていく。『こころ』の先生の場合は、Kが事件の中心について語らず秘密の全てはあの世に持って行くと云う自尊の行為によって、罪と許しの構図は不可視のものとして普遍化される。不可視の憂国の対象としての天皇制があったように。
 もし言葉による抵抗の原理があるとするならば、言語化されることによって不可視のものとして神秘化の作用を受け神聖化された対象を現世に引き戻し、この世の出来事として相応しい場所に再配置することが出来るかだろう。漱石の『こころ』は、「遺書」として書記性言語として可視性の可能性として語られ、ともに語られ書かれた記憶の共同性によって、口承言語の対自化、対他化の作用を受ける。少なくとも言葉と言語による明示化は権威や権力の誇示をとおして自由な意思を統制しうると考えるもの、神秘化や儀式化をとおして支配の力学を正当化しうると信じるもの達にとっては、一定の影響から完全に逃れきれるとは言えなかっただろう。
 天皇制国家の権威権力と支配の構造に対する言葉による抵抗は、上記の二つの方法によって遂行されるが、その首尾については『こころ』は語らない。『こころ』の結末は『それから』の終わり方に大変に似ている。あらゆる社会の柵や社会的慣習や習慣、常識に逆らって、自ずからなる自然に生きるものの論理が、到底産の声とは名ばかりの、比較にならぬほどのか細さとかそけさの中で、生命の灯火の時を告げる。人は場合によっては熟慮などと云う言葉とは正反対の、脇目もふらぬ行為によってのみ生死の間隙を縫った、奇跡的時間の顕現によって生きることが出来る。乾坤一擲の行為は時間と空間の構造を質的に変容させるのだ。夏目漱石の『こころ』の語り手「私」は、孤立無念とも云える状況の中で、多難になるであろう、今後の時間の重たさを暗示して終わっている。