アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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エピファニーの日に――ジェイムズ・ジョイス『死者たち』のことなど アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 エピファニーの日に良いことがありました。この齢で普通自動二輪に挑戦するとは凄い!などと商売上手の教習所の教官に褒められながら、現実は厳しく、道交法上の理由で、150ccのスクーターに乗るだけなのに、400ccの教習用スクーターを見たらイルカのように巨大で、重量と長いホイールベースに恐れをなして、マニュアル車の方がまだましかと聴いて、それでも結果的にはギア付きはギア付きで左側手足のクラッチ作業と小まめなギア変換が大変で、教習所に通った日々は毎日が筋肉痛に悩まされました、散々苦労の末、やっとのことで免許証交付まで本日漕ぎつけました。教習所で卒業証明書を手にするや否や20分後には県警の交通試験場の窓口に駆け付けると云う早業!おそらく、免許と呼ばれたものの最後のものになるのでしょうか。それにしても、バイク教習によるストレスの副産物と云うのでしょうか、二か月来のしつこい風邪が、撃退されました!より強いストレスの前にはそうでないストレスは席を譲ると云うことでしょうか。それから車を運転し始めて半世紀近くも無事故で来た自信がいつの間にか驕りや過信にも変化していて、教習所でのABCから叩き込まれる教育は、高齢期に入っての事故を多く聴くなかで、今後も複数年を乗り続けるならば良いタイミングではなかったかと思っています。
 まあ、色んな経験をさせていただいたと云うことです。経験が役に立たない、経験がむしろマイナスに作用する、と云うこともあると云うことです。初心に目覚める、ということは年齢に関わりなく、ある、ということです。確かに齢を重ねるに従って、簡単には口に云えない、厳しさと云うものがあるのですが。
 この点は、あとで気が付いたのですが、今日はエピファニーの日で、教習所では今年初めての合格者だと云うことでお祝いを言われましたが、そういえばエピファニーだったな、と思い当たったのです。キリスト教徒でもないわたくしがなぜこの日のことを知っているかと云えば、ジョイスの『死者たち』の思い出がそれほど強いのです。
 
 1960年代の半ば頃と云えば、学園紛争の嵐の間近な到来も知らず、学生生活は貧しい中にも長閑なものがありました。あのころは、金がない、がわたしたち地方出の田舎青年たちのあいだでの挨拶の言葉でした。語感から云えば、関西の方たちの、もうかりまっか、と同じような使い方なんでしょうね。皆が同じように貧しくお金がなかったので劣等感など感じなくて済んだのです。
 ところでその頃のわたくしたち文学愛好家たちの状況について付言しておきますと、日本の文学と文化の立ち遅れ、欧米的な価値観を基準に置いてものを考えた場合のどうしようもない後進性、――敗戦後の二十年間というものは、日本人が日本的であることや日本的なものの固有な価値についての自信を失い、かといって自らが、欧米的なものの考え方に完全になりきることもできないわけですから、対抗する術もない物質的な貧困に加えて圧倒的な精神的な貧しさの中で、あえて日本文学を遣ることの意味を求めて、一方では土着的なものの考え方が、他方では欧米人の思考方法になりきると云う虚しい試みとの両極に分かれて議論をしあう、そういう時代だったように思います。
 
 似たような状況がジョイスの文学にも語られてあって、特に『ダブリナーズ』の掉尾を飾る中編小説「死者たち」は身につまされて読みました。主人公のゲイブリエル・コンロイは、後進国の知的文化的環境がそうであるように、欧米的な文化素養を身に着けることがステータスの証明にもなり、そういう意味ではゲイブリエルは一族が誇りとする一門の出世頭で、当時の用語でいえば、国際派あるいは進歩的文化人と云うことになるのでしょうか。その彼がその夜、民族派の女性文化活動家から散々に酷評されるのですね。彼は何も反論が出来なくて、欧米的文化と価値観の傀儡に過ぎない自分自身を鏡に映しだされたように見せつけられ、見透かされて、自分もまた、本来のアイルランド的なものへ、つまりケルト的なものへ回帰すべき時なのかもしれない、などと思うのです。
 
 同様にわが国の、60年代の文学状況においても、小林秀雄の影響下にあった江藤淳磯田光一らのものの考え方が一定の時代のオピニオン性を担い、現実的にはそうした右寄りの文化的風土の中から学生運動が盛り上がって来るのです。担ったもの達の百分率から云えば無自覚な「国際派」の方が多かったのかもしれませんが、運動を支えた芯の部分のモチーフを形成していたのは、明らかに国粋主義的なものだったとわたくしは感じているのです。
 
 話しがそれてしまいましたが、ゲイブリエル・コンロイの方に話を戻しますと、そうした土着的、国粋主義的な文化動向に対して成す術を知らず、国際派は自らの根拠のなさ、根無し草性をずるずると押し出されて、文化的無根拠性を露呈するだけだったのです。
 
 ゲイブリエル・コンロイを見舞ったエピファニーの夜は、国際的文化人としての彼の無根拠性を顕わにしただけにとどまりませんでした。これには妻の、青春の日の初恋に関わる感傷的なエピソードまでが付け加わるのです。彼女は夫の前で、雪の降りしきるあの日、ベランダの外に立ったまま自分のために死んでいったある青年の話をします。妻を恋して、妻との愛が実らない絶望の果てに青年は死を選んだと云うのですが、余りの純粋さゆえに、嫉妬や反感など知云う生々しい人間的な反応がゲイブリエルの内には生じないのです。むしろ彼の中では死んでいった青年の哀れさがそのまま祖国の哀れさに重なっていくようで、その重なりあった青春の思い出をまるで包んで白く銀色に浄化するかのように、アイルランド中に降りしきる、花吹雪にも似た雪のイメージの嫋嫋とした余韻の中でこの小説は終わっているのです。
 実際には、ジョイスはゲイブリエルとは反対に、祖国に背を向けて数十年間を貧困と望郷の念のなかを放浪するわけですが、現実の自分とは双子のような関係にあるゲイブリエルを描くことによって、ジョイスが自らの青春を葬ったのだ、と云うことがこの小説を読むとよく分かるのです。
 わたくしの、歌の別れ、文学のわかれ、は、ジョイスよりもゲイブリエルよりもなお優柔不断であやふやで、自信と根拠と根性を欠き、ある意味では雪の日に埋もれて息き絶えたあの青年の伝説のようにも儚くも脆く、戦後の日々と時間のなかを流離い流れ、流れ着く先々で障害物の岩に突き当たり、突き当たりつつも伝説のオルフェウスのように絡まり部位と部品に壊されながら、時間と崩壊経験のさなかを彷徨いつつも修復の指先の先端から自らのが内部から溶解しつつ経験が洗いだされ、節目が白亜状に洗いだされた流木のように、なおも未来を見定めぬままにヘラクレイトスのように生涯の終わりの方へと流転していったのですが、乾ききった日常の大地の奥深く圧密されてある古層の間隙を縫って、一時は息絶えてあったかとみえた伏流水は雌伏しつつ時を窺いつつあって、平凡人には凡人なりにやはり途絶えることなく流れていたとみえて、須賀敦子の書き物を介して、定年の日を間近に迎えた旅の日の、ミラノのカティ―ドラルとの出会いの日まで待つ必要がありました。ただ待つことにおいてだけ膨大な時間が無為のままに流れて、何事かを成すには万事が手遅れで、使いものにならないほどの無益な高砂擬きの白髪頭の老人に何時しかなってしまいましたが、気持ちだけは持ち堪えて、初心、という言葉があると云うこと、言葉の意味を今更のように、遠い感激の記憶のように、日々の生活音に閉ざされて気が付かなかった夕べの鐘の呟きのように、遠い修羅の記憶の木魂のなかに思い出しております。
 
 今年は温暖だと云われた三が日のまにまに時間は温和に穏やかに日々流れて、深々と降りしきる雪の風景はダブリンとトリエステチューリッヒからパリへと自らの民族の魂を曳きずって彷徨ったジェイムズ・ジョイスの幻想の中にしか存在しませんが、どうか皆様におかれましても今年が良い歳でありますように!