アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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あらためてシェイクスピア四大悲劇について・6 戸所研究室のシェイクスピア四大悲劇の概要 アリアドネ・アーカイブスより

 
 インターネットは大変に便利なので、戸所研究室と云うシェイクスピア研究サイトをご紹介します。概要の説明だけでなく、執筆者のコメントも書かれていて参考になると思います。概要詳細が委曲を尽くしたもので、これなど読んでみると、読んだ気持ちになり、既に読んでいる者でもさらにはもう一度読み返して確かめて見たくなることもありそうです。
 ご紹介、本来は本人のご承認がいるところですから、――当方は小さな記事で大多数の目に触れることはない地味な記事の連なりなので、文学愛好家のみの向上心や知的陶冶ということにさせていただいて、限定紹介と云うふうに受け止めて、受け手の側のこころに留めておきたいと思います。また、当方の書き方が既にシェイクスピアをある程度読み込んだものを前提とした書き方がされていますので、こうした概要を読むことでシェイクスピア演劇に再会できる機会になればと考えています。
 因みに、戸所研究室は↓こちらです。地域や地方で、本格的なシェイクスピアの興行活動がおこなわれている由、機会があればお訪ねしたいと思います。
 
 
 
 
登場人物
三人の魔女
ダンカン:スコットランド
マルカム:ダンカン王の長男
ドナルベイン:ダンカン王の次男
マクベス:グラミスの領主、スコットランド軍の将軍
マクベス夫人
バンクォー:スコットランド軍の将軍
フリアンス:バンクォーの息子
マクダフ:ファイフの領主
マクダフ夫人
ヘカティ:魔女の女王
門番
バンクォーの幽霊
 
あらすじ
雷鳴と稲妻のなか、三人の魔女の謎めいたことばが不気味に響く。スコットランドの将軍マクベスとバンクォーは、ノルウェー軍を討伐し、ダンカン王陣営への帰路、ヒースの荒野で三人の魔女から予言のことばをかけられる。グラミスの領主マクベスは、やがてコードーの領主、ついで、スコットランド王となり、バンクォーはその子孫が王になるという。言い終わると魔女はすがたを消すが、その直後、王よりの使者が登場し、マクベスコードーの領主に格上げされたことを伝える。にわかに魔女の予言が現実味を帯び、マクベスは、王位への野望を抱き始める。
夫からの手紙により、魔女の予言と論功行賞を知らされたマクベス夫人は、ともすれば気弱な善人の役を演じる夫をそそのかし、力ずくで王位を手に入れさせようと考えているところへ、王が今夜、マクベスの城に泊まるという伝令が入り、夫人は時が来たことを知る。王に先立って城に戻ったマクベスも、すでに暗殺の決意を固めていた。深夜、いよいよ暗殺を実行しようとするそのとき、マクベスは目の前に短剣の幻を見る。幻に導かれるようにして、マクベスは王の寝室に向う。そして、マクベスは王の暗殺に成功するが、すでに良心の呵責に苛まれ、「マクベスは眠りを殺した」という声を耳にしておびえている。夫人は気丈にも、王を刺し殺した短剣を、眠りこけている見張りの兵士に握らせ、血糊まみれになった自分の手を見ても、水で洗えばすぐ落ちると、気にもとめない。
王を起こしにやってきたマクダフは、惨事を目にする。素知らぬ顔で起きてきたマクベスは、王の変事の報を受け、見張りの兵を謀反人として、その場で殺すが、王のふたりの息子は危険を察知し、イングランドアイルランドへと逃げのびる。
こうしてマクベスは首尾よく王位を手に入れる。しかし、子を持たないマクベスは、このままでは予言どおり、バンクォーの子孫に王位を奪われることになると、気がかりでならない。そこで父子に刺客を向け、バンクォーの殺害は果たすが、息子は取り逃がしてしまう。同じ日の夜、王就任の祝宴の席で、マクベスだけが、いるはずのないバンクォーのすがたを見て、取り乱す。これが王位からの転落の始まりとなる。
不安から逃れたい一心で、マクベスは魔女の洞窟をおとずれ、自分の将来を予言してもらう。そこで耳にするのは、マクダフに気をつけろ、マクベスは女から生まれた者には決して負けない、バーナムの森が動かぬかぎりマクベスは滅びない、という予言だった。マクベスはさっそく、マクダフに刺客を向け、残忍にもマクダフ夫人と息子を殺すが、マクダフはすでにイングランドへ逃げのび、マルカムとともに、マクベス討伐の準備をしていた。
さて、マクベスの居城では、下り坂の命運を暗示するかのように、気丈だったマクベス夫人が夢遊病で苦しんでいた。毎夜、眠りながら歩き回り、まだ手から血のにおいが消えない、血のしみが消えないと、深いため息をついている。悪夢のなか、夫人がもらす寝言から、お付きの者たちは、王夫婦が犯した大罪を知って、おののく。
いよいよ、戦いがはじまると、マクベス側の領主たちは次々に離反してゆく。魔女の予言を信じるマクベスは、虚勢を張りつづけるが、マルカム軍が、兵力を隠すために身に付けた木の枝を、バーナムの森と勘違いし、森が動いたからはこれまでと、死の覚悟を決めて戦う。最後、マクダフとの一騎打ちで、マクダフが「女」から生まれたのではなく、月足らずで腹を裂いて生まれたことと聞かされ、はじめて魔女のことばにまどわされてきた自分に気づく。斬りとられたマクベスの首が全軍に掲げられ、マルカムが高らかにスコットランド王即位の宣言をして、劇は終わる。
イギリスでは『マクベス』はシェイクスピア悲劇のなかでも人気の高い劇だという。しかし、初めて『マクベス』を読んだとき、なんと陰惨で、不愉快な劇だろうと思った。芝居を見ても、その印象は消えなかった。私のなかで『マクベス』が評価をあげたのは、だいぶあとになって、原文で読んだときだ。確かに内容は陰惨な劇なのだが、その台詞を見ると、いさぎよい残酷さ、ともいうべき独特の味わいがあり、一転してお気に入りの作品になってしまった。『マクベス』の台詞はきびきびとしていて、練達の射手のように狙った的をみごとに射抜く。しかも、その的は、この世と、この世とは思えない世界のあいまいな境界にある。そういう不思議な領域へ、『マクベス』の台詞は案内してくれる。だから、見どころは無数にある。魔女との出会い、夫からの手紙で王への夢をふくらませるマクベス夫人、暗殺直前に現れる短剣の幻、殺害直後、張りつめた空気のなか、突然聞こえる扉を叩く音におびえるマクベス、バンクォーの亡霊がもたらすマクベスの狂乱、夫人の夢遊病、夫人の訃報を受けマクベスが語る絶望のきわみの台詞・・・挙げていればきりがない。そのどれもが、むだのない、ひきしまった文体にまとめ上げられている。
だが、なかでもとりわけ魅力的なのが、短剣の幻をまえにしたマクベスの独白だ。この短剣は目には見えるが、掴もうとしても、掴めない。短剣は、そこにあって、同時に、どこにもない。そこにこの短剣の不気味さがある。マクベスはこの不気味に耐えられず、短剣を、殺戮を行おうとする精神が作り出す影と見なす。にもかかわらず短剣はそこに見えている。マクベスは突如、黙示録的啓示のもとに、世界の果てに向う英雄的恍惚に酔いしれる。だが、王殺しへ向う自分を、マクベスはなぜ、貞節な人妻を犯しにゆくタークィンになぞらえたのか?ここには、世界を支配しようとする者の政治的興奮と、女性を犯そうとする者の性的興奮とが、征服欲を結節点にして、みごとに溶け合っている。奔放なまでに跳躍するイメージの踊り!シェイクスピアの天才がここに脈打っている。
 
リア王
登場人物
リア王ブリテン
ゴネリル:リアの長女
オルバニー公爵:ゴネリルの夫
リーガン:リアの次女
コンウォール公爵:リーガンの夫
コーデリア:リアの末娘
フランス王:コーデリアの求婚者
ケント伯爵:のちに変装してリアに仕える
グロスター伯爵
エドガー:グロスターの長男、のちに変装してトムと名乗る
エドマンド:グロスターの私生児、エドガーの弟
リアの道化
あらすじ
年老いたリア王は、三人の娘に王国を譲り、まつりごとの煩わしさから解放されたいと考えていた。すでに領地は三分割し、どの娘にどの領地を分け与えるかも決めてあったが、覇権を譲ろうとしてもなお、最高の敬愛を受けたいとう老いの気まぐれと無分別から、三人の娘に愛情試験を課す。上のふたりは、父への愛を高らかに宣言する孝行娘の役をみごとに演じ、所定の領地を得た。しかし、末娘のコーデリアは、そんな姉たちの下心が見えすいているだけに、父への思いやりから、見てくれだけの孝行娘の役を演じることができなかった。しかし、老いとは恐ろしいものである。リアは、そんなコーデリアの深い思いを見抜くことができず、コーデリアを勘当する。そればかりか、あえて諫言する忠臣ケントに激怒し、追放してしまう。
コーデリアにはふたりの求婚者があった。無一文のまま投げ出されたコーデリアを見て、求婚を取り下げるバーガンディ公とは対照的に、フランス王は、虐げられたコーデリアにいっそう愛の炎を燃やし、フランス王妃として迎え入れる。
リアは、残されたふたりの娘のもとに隔月で滞在し、篤いもてなしを期待しているが、滞在前から、すでにやっかいな隠居老人扱いされており、さっそく長女ゴネリルから、冷たい扱いを受ける。そんなリアを、陰になり日向になり支えるのが、追放になったものの、変装して戻ったケントだった。ゴネリルは、リアお抱えの騎士の態度が悪いという理由で、100人を50人に減してしまった。冷遇ぶりに腹を立てたリアは、コーデリアを勘当したことを後悔しながら、泣く泣く次女のリーガンを頼ろうとする。だが、リーガンは姉からの手紙でふたりの不仲を知り、リアに会うまいと、夫とともにグロスターの居城を訪れていた。
リアの重臣グロスターにはふたりの息子があった。長男エドガーは正妻の子であり、次男エドマンドは愛人の子である。エドマンドは私生児というだけで、世間から不当な扱いを受けていることが気に入らず、つねづね、兄を陥れ、父の領地を手に入れる野心を抱いていた。そして、とうとうその野心を満たす策略を実行に移す。父殺害をほのめかす手紙を自分で書き、兄からのものと偽って父に見せると、グロスターはまんまとだまされ、エドガーを疑い始める。さらに、その疑念を深めようと、エドマンドは自分の腕に刀傷をつけると、大騒ぎし、兄の父殺しを思いとどまらせようとして、深手を負ったと一芝居打つ。エドマンドの情愛に感じ入ったグロスターは、即刻エドガーを勘当し、エドマンドに領地すべての相続権を与える。城を訪れていたコンウォールは、身を挺して親を守った孝行息子に感銘を受け、エドマンドを召し抱える。
リアはリーガンにゴネリルの仕打ちを訴え、同情と憤慨を期待するが、返ってきたのは、姉をかばうことばと、老いた父への非難だった。押し問答をしているところに、ゴネリルが到着し、姉妹はふたりして、父を責め苛む。お付きの騎士を25人に減らせと迫るリーガンに、リアは、それなら50人を受け入れてくれるゴネリルを頼ると言えば、ゴネリルは5人でも多すぎると返し、さらにリーガンは、ひとりでも多いと、言いつのる。政務のわずらわしさから解放され、娘の温かい庇護のもとでの安寧を夢見たリアは、ここに至って、「孝行以上の楽しみはない」と言い切った娘たちの真意を思い知る。だが、老いたリアにとって、夢と現実の落差はあまりに大きすぎた。リアにできることは、正気を失い、嵐の荒野に飛び出すことだけだった。
雨が降り、風が吹き、稲妻が天を裂き、雷鳴が地に響きわたる夜の荒野を、リアは道化とともに、呪いさまよう。ケントはふたりを見つけ、小屋の中へと避難させる。すると小屋の中にいたのは、父殺しを図った罪で追放となったエドガーだった。エドガーは、トムと名乗り、気が狂ったふりをして、追っ手から逃れていた。寒い夜に、ただひとり、裸でふるえるトムを前にして、リアは半ば正気を失いながらも、虚飾をはぎ取った人間の本質を見る。そこへグロスターがやって来る。リアをかばおうとしたばかりに、コンウォールに居城を取り上げられたグロスターだったが、それでも忠誠心を忘れず、暗殺されるおそれのあるリアを安全な場所にかくまうためにやって来たのだ。コーデリアの嘆願により、父を救い出すべく、フランス軍がドーヴァーまで進軍してきていた。
しかし、グロスターはフランス軍と通じていることをエドマンドに密告され、コンウォールとリーガンから拷問を受け、両目をくりぬかれたあと、すべては孝行息子と信じていたエドマンドの密告によることを知らされる。主とはいえ、あまりの非道に、召使いのひとりは決然と公爵に刃向かい、リーガンに背中を刺されながらも、コンウォールに致命傷を与える。
絶望のなか、城を追放されたグロスターは、裸のトムに
変装したエドガーに出会い、ドーヴァーの断崖の頂上まで案内を頼む。死ぬ覚悟を見て取ったエドガーは、平らな地面を断崖の縁と言いくるめ、父親に身投げしたものと思い込ませる。エドガーは、身投げのショックで気を失ったグロスターをやさしく起こすと、神々の助けで死をまぬがれたことを伝え、苦難に耐えて生き抜く決意を促す。
ドーヴァーまで進軍したフランス軍の陣営で、コーデリアは変わり果てたリアと再会する。激しい狂乱のあと、なかば正気を失ったリアではあるが、コーデリアに気づき、朦朧とした意識のなかで、過去の仕打ちをわびる。つかの間の平安も、ブリテン軍との戦いによって破られ、とうとう、リアとコーデリアは捕虜になってしまう。
フランス軍に勝利したブリテン軍だが、勝利の余韻にひたる間もない。リーガンは、エドマンドとのなかを嫉妬したゴネリルによって毒殺され、エドマンドは、甲冑姿に身を固めたエドガーに決闘を挑まれ、打ち倒される。瀕死のエドマンドは、決闘後、名を明かしたエドガーから、父グロスターの最期の模様を聞かされる。そこへゴネリルが自害したとの知らせが入る。エドマンドは、リーガンとゴネリルのふたりに愛されたことを虚しく誇りながら、最期の息で、リアとコーデリアに刺客を向けたことを告白する。ときすでに遅く、しめ殺されたコーデリアを死骸を抱いたリアが、よろめきながら現れる。正気を失ったリアは、コーデリアの死を嘆きながら、それでも娘が生き返ることを願いつつ、息を引き取る。エドガーが、悲しい時代の責務を負う決意を述べて、劇は終わる。
あらすじを読んだだけでも、この悲惨な物語にことばを失うだろう。1681年、ネイハム・テイトがハッピー・エンドに改作(改悪?)して以来、じつに1838年まで、シェイクスピアの原作は舞台に上ったことはなかった。こういう上演史は、この作品の衝撃の大きさを教えてくれるが、同時に、作品構造の難しさも教えてくれる。たしかに観客の同情を引きつけるのはリアとグロスターであり、この劇の中核となる老人の受難は、登場人物はもとより、観客の精神と身体にまで過酷な試練を課す。だが、この劇の影の主役として、大きな働きをしているのがエドガーであることを忘れてはならない。それは単に感動的な親孝行の物語という意味ではない。狂ったリアの鏡として、狂ったトムのふりをするエドガーの役割は大きいが、それ以上に、グロスターの身投げをはさんだ、ドーヴァーの断崖の頂上と崖下の場面で、エドガーが作り出す不思議な演戯空間が、この劇の隠された要を垣間見させてくれる。
リアは狂う前から、ちょうどハムレットと同じように、狂ったふりをしている。愛情の多少に応じて、王国を分け与えようという、気まぐれそのものが、すでに狂気の前兆といえるが、リアと道化が、狂気の演戯をまるで弦の共振のようにくり返すとき、その共振は次第に増幅して、ついには狂気と狂気のふりは区別つかなくなる。こういった狂気の共振によって、リアは、他から切り離されてリアであることをやめ、道化と、さらには、あわれなトムと、グロスターと4人でひとつの大いなる役を演じることになる。リアはリアひとりではなく、グロスターも、道化も、エドガーもリアである。
リア王』はその精神世界が巨大すぎて、舞台には乗せられないと考えた批評家もあるが、考え方が逆であり、リアのあり方があまりに劇場的なため、人間的に捉えようとすると、その精神性ばかりが肥大してしまうのだ。
人間は精神のみではない。同様に、登場人物も精神だけではない。だが、現実の人間と違って、舞台上の登場人物は、生身の身体そのものであると同時に、『ヘンリー五世』の口上*1が懇願するように、
隠喩として、千人の役割をも演じるのだ。そういった高められた人間存在のありかをひそかに教え示してくれるのが、ドーヴァーでのエドガーの演戯だ。頂上までの登り坂は、真っ平らで、かつ、急勾配だ。頂上から崖下までは、目もくらむ高低差があり、かつ、まったくない。ここに大道具類をほとんど使わない当時の劇場のたくましい想像力学がある。こういった劇場風土から、シェイクスピアは『リア王』をはじめ多くの傑作を作り上げたのであり、決して肥大した精神宇宙の書斎からではない。
『オセロー』で時をゆがませたシェイクスピアは、『リア王』では空間と人間存在に、離れ業を演じさせている。
 
『オセロー』
登場人物
オセロー:ムーア人の将軍、のちにサイプラス島総督
デスデモーナ:オセローの妻
キャシオ:オセローの副官
ビアンカ:キャシオの愛人
イアーゴ:オセローの旗手
エミリア:イアーゴの妻、デスデモーナの侍女
ヴェニス大公
ブラバンシオ:ヴェニスの議員、デスデモーナの父親
グラシアーノ:ヴェニスの貴族、ブラバンシオの弟
ロドヴィーコブラヴァンシオの親戚
ロデリーゴ:イアーゴに利用される愚かな紳士、デスデモーナに惚れている
モンターノ:サイプラス島総督
 
あらすじ
 劇は、デスデモーナとオセローがひそかに結婚したことを快く思わないふたりの人間の会話で、唐突に始まる。イアーゴは実戦経験の豊富な自分をいつまでも旗手のまま据えおき、青二才のキャシオを副官に選んだオセローが気に入らない。デスデモーナに岡惚れし、結婚を望んでいるロデリーゴは、黒人にくせに彼女を横取りしたオセローが気に入らない。ふたりは真夜中、デスデモーナの父親ブラバンシオを起こし、娘とムーア人との秘密裡の結婚を知らせる。寝耳に水のブラバンシオは激怒して、オセローと剣を交えようとすると、トルコ艦隊がサイプラス島へ進軍中の報を受け、軍事会議が急遽召集される。
 ブラバンシオは、国事より娘が大事とばかり、総督に、魔法で娘をたらし込んだと、オセローを訴える。オセローはデスデモーナを呼びにやり、待つ間に、彼女とのなれそめを話す。美しい出会いに議員たちはみな感動する。そこへデスデモーナが現れ、オセローとの結婚を公にしたため、この件は落着となる。ただちに軍議に移り、その結果、オセローは総督としてサイプラス島に赴任することが決まり、デスデモーナも夫とともに島に渡ることになる。
 だが、サイプラス島沖を大嵐が襲い、トルコ艦隊はおおかた難破し、オセローは戦うことなく勝利をものにする。大しけのなか、デスデモーナにつづき、オセローの船が無事到着すると、サイプラス島は一気に華やぐ。戦勝の祝いに加え、総督の結婚祝いが重なり、島はお祭り気分につつまれる。その浮かれ騒ぎに乗じて、ひそかなたくらみが進行していた。たくらみの張本人はイアーゴだ。
 イアーゴは、オセローが自分の妻と寝たのではないかと、疑っている。ただでさえオセローに腹立たしい思いをしているのに、そこへ嫉妬の毒が加わった。イアーゴはすぐさま、オセローを陥れる計画を実行する。計画は用意周到だ。一見遠回りに見えるが、確実な作戦を立てた。まず、酒に弱いキャシオに祝い酒をむりやり飲ませる。つぎに、愚かなロデリーゴを使って、キャシオに喧嘩を売らせる。作戦は計画以上にうまく運ぶ。仲裁に入ったモンターノがキャシオに斬りつけられてしまったのだ。オセローは即刻キャシオを免官する。これだけでもイアーゴにしてみれば、胸のすく思いだが、まだ、これは計画の序の口にすぎない。
 イアーゴは、副官を免官となりしょげかえっているキャシオに、復職を望むなら、妻のデスデモーナに頼みこんで、取りなしてもらうのが一番だともちかける。キャシオは、さっそく助言どおり、デスデモーナの情けにすがろうとする。必死の思いで訴えているところを、たまたま通りかかった風にして、オセローに見せると、イアーゴのオセロー攻略が始まる。キャシオとデスデモーナの仲を匂わせるようなことを、途中まで言いかけて、いつも、口ごもる。部下のことも、妻のことも、信じて疑わないオセローだったが、とうとうイアーゴのじらし作戦の罠にはまり、嫉妬の鬼となる。生来、激情型のオセローである。一度取りつかれた嫉妬心は、誰にも止められない。だが、なんの根拠もなく妻を疑っている自分が許せない。イアーゴに証拠を見せろと迫る。
 もちろん、それも計算ずみだ。イアーゴは妻に命じて、デスデモーナが肌身離さず持っていたハンカチを奪わせていた。デスデモーナも、なくしたことに気付いていない。そのハンカチをキャシオの部屋に落としておいて、オセローに、不貞を確かめるには、最初の贈り物であるハンカチの行方を問いただすことだ、と吹きこむ。ハンカチの毒は見事に回った。デスデモーナは、知らないうちになくした物なので、ごくさりげなく答え、そんなことよりキャシオさんの復職を、と迫る。オセローは疑念はますます募り、ありもしないことを巡って想像が駆けめぐり、激昂のあまり失神する始末だ。
 イアーゴは追い打ちをかけるように、次の策を繰り出す。離れたところからキャシオとの会話の様子をのぞかせておいて、愛人ビアンカの話を持ち出す。キャシオは当然、にやけ顔になる。それを見たオセローは、会話の内容までは聞こえないので、デスデモーナのことで、と勝手に誤解してくれるという寸法だ。そこへビアンカが入ってきて、都合よく例のハンカチをちらつかせる。これで決着だ。オセローはもうなんの迷いもなくなった。
 ふたりの殺害を決意し、半ば錯乱状態のオセローは、人前でデスデモーナをなぐった上、暴言を吐く人間になりさがっていた。不吉な予感を感じたのか、デスデモーナは、結婚初夜のシーツを敷き、哀しい愛の歌を口ずさんで夫を待つうち、寝入ってしまう。妻の寝顔の美しさに、オセローはためらうが、自分への裏切りがどうしても許せない。気配で目を覚ましたデスデモーナに、殺害の理由を話す。無実を主張し、殺さないでと哀願するデスデモーナを絞め殺す。
 一方、間抜けなロデリーゴはイアーゴにそそのかされ、キャシオを殺そうとして、逆に殺されてしまう。事件をオセローに知らせにやって来たエミリアは、デスデモーナの今際のことばを耳にする。驚いたエミリアは、オセローを問いただすうち、自分の夫イアーゴが、キャシオとデスデモーナの不義密通をオセローに吹きこんだ張本人と知り、大騒ぎをする。それを聞きつけて一同が集まってくる。それでもまだ、オセローはイアーゴを信じている。だが、あのハンカチは、エミリアが拾ってイアーゴに渡したことが発覚するにおよび、オセローは無実の罪でデスデモーナを殺したことに気付く。イアーゴは、余計なことをしゃべったエミリアを刺し殺して、逃げ去るが、すぐに捕らえられる。イアーゴを誠実と信じて疑わなかったオセローは、ここに至ってやっと目が覚める。大切なものを失い茫然自失のなか、オセローは、妻を殺したいきさつを弁明しながら、自ら命を絶って、劇は終わる。
 
痛ましい劇だ。ひとを信じ、ひとを愛したことのあるものなら、誰でも、胸が痛む思いのする劇だ。批評家はオセローの人格的不統一を言う。確かに、自分に対して敵意を持つイアーゴを、誠実な人間と思いこみ、最後の最後まで信じこむさまは、あまりに愚かだ。とても、国家を担う大将軍の高貴な人格とは相容れない。しかし、ロドヴィーコが、妻をなぐるオセローを見て、自分の目を疑い、「これが議員が声をそろえて誉めたたえた、あのムーア人か?」と自問することばに、私たち観客もうなずかずにはいられないのは、その不統一が舞台の上で、みごとにひとりの人間として成功しているからではないのか。
『トロイラスとクレシダ』では、戦争と恋愛の溝が埋まらないまま劇は終わった。『オセロー』では、両者は互いに作用し合い、この作品独特の、剥き出しになった内面世界特有の空気をかもし出している。これを可能にしたのが、論功行賞の世界にも、恋の世界にも、等しく働く嫉妬の力だ。イアーゴはキャシオに嫉妬し、別な意味で、オセローもキャシオに嫉妬する。こうして、問題劇で扱いかねていた主題が、悲劇へと昇華する土台を得た。
嫉妬の芽を育てる肥料の役割を果たしているのが、端々に見られるcover(かぶさる), board(乗り込む), lie(寝る), taste(味わう), satisfy(満足する), die(死ぬ=オルガスムを得る)などの性的な表現だ。これらのことばが、身体的イメージを伴って、ボディ・ブローのようにゆっくりと、しかし、着実に効いてくる。
デスデモーナの愛を得たのは、オセローの語りの魔術だった。しかし、皮肉なことに、オセローが嫉妬の炎に焼かれるのも、イアーゴの語りの魔術による。『ジュリアス・シーザー』でブルータスとアントニーが見せた一度きりの語りの魔術を、イアーゴは執拗にくり返す。しかも、イアーゴは自分の策略を、すべて、善意から出たものとして、演じ切る。だまされる者が間抜けともいえるが、これだけ完璧に、しかも、執拗に、善意を装われると、そこに悪意を見出すことは不可能だろう。この魔術が紡ぎ出した嫉妬の万華鏡は、『ハムレット』が内面の発見であったのと同じ意味で、内面世界の外面化だ。だから、サイプラス島に着いてからたった二日しか経っていないのに、キャシオはデスデモーナと「千回も密通する」という、有名な「二重の時間」も起こりうるといえる。
イアーゴの創造がこの作品の最大の成果だ。シェイクスピアは、グロスター(『リチャード三世』)、シャイロック(『ヴェニスの商人』)、ドン・ジョン(『空騒ぎ』)とつづく悪役の系譜をイアーゴで完成させる。このあと、『リア王』のエドマンドが、さらにこの系譜を引き継ぐことになる。
 
登場人物
ハムレットの父の亡霊
クローディアス:デンマーク国王
ガートルード:王妃、ハムレットの母
ハムレット:先王の息子、現王の甥
ポローニアス:内大臣
レアティーズ:ポローニアスの息子
オフィーリア:ポローニアスの娘
ホレイシオ:ハムレットの友人
ローゼンクランツ:ハムレットの学友、国王のスパイ
ギルデンスターン:上に同じ
フォーティンブラス:ノルウェー王子
旅役者たち:ハムレットの依頼で
劇中劇を演じる
墓掘り:道化
 
あらすじ
デンマークのエルシノア城では、夜ごと、ものものしい警戒が行われていた。というのも、ノルウェーとの緊張が日増しに高まっていたからである。そんなさなか、衛兵の前に、先王ハムレット亡霊が現れる。王子ハムレットは留学先から、新王の戴冠式・結婚式に参列するために戻っていたのだが、父王の死からまだ立ち直らないうちに、母の再婚である。もともとメランコリー気質のハムレットはますます陰鬱になり、自殺さえ考えている。そこに、父王の亡霊の知らせである。その知らせを受けたハムレットは胸騒ぎがしてならない。ハムレットはさっそく深夜、城壁に立つ。時刻どおり亡霊は現れ、ハムレットに向かって、現王クローディアスに毒殺されたときの模様を語る。
その日からハムレットは人間がすっかり変わってしまった。王は、いつもと様子の違うハムレットが気掛かりでならない。そこで、学友のローゼンクランツとギルデンスターンを呼びつけ、ハムレットの様子をうかがわせることにするが、ポローニアスは、王子の錯乱は、娘のオフィーリアに失恋したせいだと言いはる。ハムレットは、探りを入れに近づくポローニアスやローゼンクランツたちに、ときには狂人のように、ときには悩める若者のようにふるまい、尻尾をつかませない。
そこに旅役者の一行が到着し、ハムレットは、さっそく好きな悲劇のひとこまを聞かせてもらう。お気に入りの役者が、自分のことでもないのに涙を流し、声を震わせるのを見て、ハムレットは激しくこころを動かされ、父に復讐を誓ったくせに、なにひとつ行動できない自分を責める。王が手を下したというたしかな証拠を掴むべく、亡霊から聞いた殺害の場面を、王の前で旅の一座に演じさせることを思いつく。
恋わずらい説を捨てきれないポローニアスは、オフィーリアをハムレットに会わせ、その様子を壁掛けの陰から立ち聞きしようとする。そこへ王子が、生きること、死ぬことの疑問を自問しながらやってくるが、オフィーリアに気づくと、突然、彼女に向かって毒を含んだことばを投げつけて、走り去る。これを聞いていた王は、狂気の装いの奥に危険なものを感じとり、イギリスへ貢ぎ物の督促にやるという口実で、やっかい払いをしようと決心する。
王宮の広間は、これから芝居が始まるというので、華やいだ空気に包まれている。ハムレットはいつになく上機嫌で、オフィーリアをからかったりする。芝居の内容は、ハムレットがあらかじめ指図しておいたものだ。王殺害の場面になると、王はうろたえ、席から立ち上がり、恐れおののいてその場を去る。証拠を掴んだハムレットは、お祭り気分で歌まで歌い、今ならどんな残忍なことでもやれると言う。にもかかわらず、王妃に呼ばれて部屋へゆく途中、罪の懺悔をしている王を見かけ、剣まで抜いたのに、祈りの最中ではわざわざ天国へ送り届けるようなものだと、復讐を先延ばしにしてまう。
王妃の居間に入ると、ハムレットは母に向かい、情欲のとりことなって、神のような父を忘れ、見下げはてた男へと走ったことを責め立てるが、壁掛けの奥で物音を聞きつけ、王と勘違いして、ポローニアスを刺し殺す。それを聞いた王は、ハムレットを一刻も早くイギリスへやり、そこで暗殺させようと図る。
父を亡くしたオフィーリアは、正気を失い、歌を歌ったり、取り止めもないことを口走ってばかりいる。父の訃報をうけ、フランスから駆けつけたレアティーズを見ても兄と分からず、たわいなく人々に花を配る妹に、レアティーズは激しく取り乱す。そこへ、イギリスで殺されているはずのハムレットから手紙が届いたので、王はレアティーズを利用して、無傷で帰国したハムレットを葬り去ろうと企てる。ふたりが話している最中に、突然、オフィーリアの溺死が知らされる。
ハムレットは、墓地であたらしい墓穴を掘る墓掘りと話すうち、土から掘り出された昔なじみのヨリックの骸骨を見て、人間のいのちのはかなさを思う。墓は溺死したオフィーリアのものだった。妹の死骸を抱いて大げさに嘆くレアティーズを見て、ハムレットは、何万人の兄よりもオフィーリアを愛していたと叫び、つかみ合いの喧嘩になる。
宮廷に戻り、ハムレットがホレイシオに、船旅でのできごとの一部始終を話していると、レアティーズから剣の試合に誘われる。ハムレットは一瞬、いやな予感がするが、すべては天命と割り切り、試合に出かけ、レアティーズと腕試しを始める。この試合はハムレットを葬るため、王によって仕組まれたものだった。切っ先を丸めてない剣で刺されて、初めて策略に気づき、剣を奪って、レアティーズを刺し返す。そこへ、王妃が苦しみだし、ワインに毒が入っていることを告げて、息絶える。次には、レアティーズが、みずから剣先に塗った猛毒で死ぬはめになった、と告白し、王にこそ罪があると訴えて死ぬ。逆上したハムレットは、剣で王を刺し、毒杯を飲ませ、王を殺すが、すでにからだ中に毒はまわり、口も自由にきけなくなっていた。折しも、ポーランドから凱旋中のノルウェー王子を迎える砲声が聞こえる。ハムレットはホレイシオにあとを託し、フォーティンブラスをデンマーク王に推すと、息を引き取る。ハムレットの遺体が高々とかかげられ、弔砲とどろくなか、劇は終わる。
 
ハムレット』は、一応は復讐劇である。しかし、よーいドンで一直線にゴールに向かって進む劇ではない。というより、ゴールはあるのか、向うに見えているのか、よく分からない劇だ。そういうはっきりとした目的をもった劇として考えようとすると、この作品は不可解な迷宮になる。失敗作という批評家もいるくらいだ。
ハムレット』ほど批評家を悩ましてきた劇は類を見ない。毎年発表されるおびただしいほどの批評、論文をみてもそれが分かる。決定的な解決はありそうもない。にもかかわらず、というより、だからこそ、ひとは問いつづけるのだ。
だから、むしろ、はじめから人間の内面宇宙を問うことをテーマにした劇として見た方がすんなりと受け入れられるのではないか。しかし、人間の内面宇宙そのものが、すでに迷宮なのだから、ひとは永遠に問うことをやめられないはずだ。だから、『ハムレット』論も永遠に終わることはない。こうした堂々巡りが『ハムレット』の最大の魅力だ。すっきりとした答えがないと気持ち悪いというひとには勧められない作品だ。
しかし、この作品により、人類が初めて人間の内面と正面から向き合うことになるのだから、『ハムレット』が人類の精神文化に与えた影響は計り知れない。シェイクスピアもかなり力を入れて執筆している。ある学者の計算では、シェイクスピアはそれまでの作品で使ったことのない単語を約600語、この作品につぎ込んでいる。しかも、その多くは英語の歴史でも初めて使われる意味やことばだった。斬新な経験を表すには斬新なことばを必要とする。シェイクスピアは、人類がまだ経験したことのない宇宙を前に、その天才を振りしぼるようにして、新しいことばを生み出していったのだ。
ハムレット』は筋としてはのらりくらりとして、一貫性に欠くものの、至るところ、こころの奥に響く問いかけを用意して私たちを立ち止まらせる。ハムレットのいくつもの独白もそのひとつだ。一度、独白を聞くと、観客はその深みから劇を見るように促され、舞台は内面性をつぎつぎに深めてゆく。だから、舞台上で起こるひとつひとつの出来事は、日常のひとこまのように見えながらも、不意に、内奥へとつづく暗い闇を見せる。たとえば狂ったオフィーリアの

Lord, we know what we are, but know not what we may be.
(ほんとね、自分のこと分かってたって、これからどうなるか、なんにも分からないものね。)

というつぶやきに、私たちは沈黙するしかない。
そういう意味で『ハムレット』は私たちに突きつけられた一種の試金石だ。呼応する内面宇宙をもたなければ、この作品は貧弱な失敗作になり、響き合う問いを持っていれば、無限の宝庫となる。