アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『太陽の季節』小説と映画制作の間・(上) アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 石原慎太郎氏の50年代の諸作を読んでいて感じたのは、『太陽の季節』だけが今日においても十分な説得力を持って読めるし、作品の出来栄えだけでなく、作者の登場人物に対する距離の取り方や、対象的世界への同化度について、際立ったとまでは言わないにしても、有意な違いが感じ取れたことです。『太陽の季節』とその他の作品との間の味わいがまるで違うのです。
 理由は様々にあるのでしょうけれども、ひとつは、小説的世界に展開された素材の卓越、と云うことがあったのだと思います。映画製作にあたった古川卓己監督と云う方をよくは知らないのですが、彼は映画化にあたって、自らが知らない世界の映像的再現にあたって、裕次郎氏に助言と協力を求めたと云われます。小説『太陽の季節』が生み出されるに至った機縁については、たまたま、偶然に裕次郎氏の記憶に残った話を伝え聴いたことからだったと聴いています。この伝聞が面白いのは、裕次郎氏が伝え聞いたと称している話の主格が、実際には裕次郎氏本人である可疑性をのこして、映像的世界にある種のロマン主義的な膨らみを残している点でしょうか。
 
 本作については今までにも度々言及してきましたし、述べたいこともあらかたは完了していると云う自信がありますので、今回は誰の目にも見やすい事項を、しかもこの点について誰しもが今までに言及していたわけではないので、ピンポイントに、この点、強調しておきたいと思います。
 『太陽の季節』、小説と映画の違いはなにか。