アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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『太陽の季節』小説と映画制作の間・(下) ”太陽の季節”を終焉させたもの  アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 手短に、要点だけをお話ししましょう。
 『太陽の季節』エンディングは、後年の村上春樹の『ノルウェイの森』と並んで、印象深いものの一つです。一世を風靡した二人の作家による、二様の青春の終わりを描いたメモリアル・エンディング、さっそく解説に入ります。
 愛が、金銭で換金可能か、愛の類似ロシアンルーレットゲームの終わりのあとには、妊娠と流産と云う事件が続いていました。小説では、処置の時期の遅延が流産の理由として説明されています。しかし英子の意図性を完全には払拭できない、解釈の多義性もまたこの小説にロマンスとしての膨らみを与えています。
 1950年代において未婚の高校生男女が子を産むべきか否か、あくまでロマンと云うつくり話のこととはいえ、こうした状況においては、今日の読者の方が身近に感じることが出来ます。通常、男はこうした立場のおかれた時、自らの卑劣性と直面するのですが。
 そこは行動主義の作家、石原慎太郎氏、さり気なく流しています。英子は小さな診療所に友人に一人看取られて流産し、都合がよいことには、彼女もまた赤子のあとをともに運命を追います。二人の間にあった、イデオロギーの対立とは、眼に見えないものの価値をめぐる言葉なき論戦でした。英子が、葉山の沖の深海で巡り合った、水の洗礼、海の洗礼、とでもいえるもの、それは同世代にしては経験豊富な彼女が未だ経験したことのない事態でした。彼女は、その未知なるものの前で震え、そして自分であることを自覚したのです。
 通常愛は、孤独であることを癒すものだと信じられてきました。しかし彼女が経験した愛は、人を隔絶した孤独へと誘うものでした、肉親や恋人の愛からすらも。かかる経験は、日本文学の伝統線上においては語って来られない奇妙な事態でした。彼女がフランス文学の愛の珠玉の往復書簡と呼ばれる『アベラールとエロイーズ』を読んでいたらと思います。読んでいれば自殺することはなかったのです。愛の経験は、一億の日本国土と風土のなかで自分は自分の足で一人屹立している、とでも言うような極度の緊張感、極度の寂寥に彼女を追いこんだのです。ここには、恋人ですら救えない愛の絶対零度、燃盛る炎がそのまま凍る愛の時刻がありました。
 愛の極限の姿が、いまだ二十歳前の津川に分かるはずはありません。しかしこうした形で死なせ死なれたとき、彼は自分に突き付けられた問いが、死と云う事態を経由することで、変更の利かない、絶対的な姿で自らの眼前に聳えつつあることを理解した筈です。
 青年・津川にはもうひとつ、英子の愛から疎外される要因がありました。それは超越的な存在によって数奇に引き回された国民の体験の上に築き上げられた、青年たちの昭和の性愛観と云うものがあったのです。天皇制に全ての原因を帰すことが出来ないにしても、現実には国民経験として数百万人に及ぶ同胞の死を見捨てて戦後という社会はその軌道を走って見えるかの時期にありました。超越的なものの存在の罪過を骨の髄にまで経験した国民にとって、これから相手にすべきは、確実に眼で見え手に触れることが出来る存在のはずでした。津川の愛のストイシズムと云うものも、単に感性の問題だけではなかったのです。愛もまた、情緒や感情などと云う湿気を帯びた不明朗なものを払拭した、ドライで値引きのない正価で取引できる、換金可能なものでなければならなかったのです。これが、”太陽族”の、あるいは戦後世代のイデオロギーともいえるものでした。こうした世界に――”太陽族の季節”――に、再び、愛などと云う、不可視のもの、超越的な観念体系を持ち込むことは明らかなルール違反である、と彼らには思えたのです。
 英子の葬儀の場に一人臨んで、遺影の写真に向けて香炉の壺を投げつけると云う破壊行為、居並ぶ黒づくめの親類縁者や参列者の列に対して、貴様らに何が分かると云うのか!という、怒りと悲しみが入り混じった感情を後づける言葉はありませんでした。彼の前には、死ぬことによって絶対的なものとなった死者の、見上げるばかりの卓越があるばかりでした。
 この有名なエンディングシーンを説明できる二つの言語があります。
 一つ目は、行為のなかには言葉で説明できないものがある、という意味に於いてです。芸術は、しばしば言葉を超えたものを表現できる、と云う謂れがあります。
 二つ目は、石原慎太郎氏の作家としての資質が言語化を阻む性質のものだったと云うことです。つまり、言葉を超えたものを表現すると云うそのことは、芸術家としては長所として評価できるのですが、そこで云われる才能の質とは、極限態としてある行為を慎太郎氏の言語は追跡できない、あるいは肉薄するだけの脚力に欠けていた、という意味です。
 むしろ人間的行為とは、それが極限態に近づけば近づくほど、純度が高まれば高まるほど明晰になる、あるいは分別自ずから明らかになり論理的にも言語論的にもなる、と云う経験もこの世には存在します。こうしたタイプの人間は例え政治の場に出て行って時と所を得ず、立場を得ることができなくても、敗北や自己崩壊の姿を言語化できるものなのです。あるいは殿の将となって後退線を指揮しつつ、ことの仔細を記録に留め後世の判断にゆだね且つ後世の資とすると云うことが可能なのです。
 政治的高揚期に於いて革命的であり得たものが何故、後退期に於いては一様に保守化するのか、と云う ”自然法則” をわたくしはここでも思い出します。自らの水準を維持できず、自らの行為や行動を明示的に言語化できない才能の「質」を持った人間は、歴史に同調、同化するほかないのですから。
 こうした才能の「質」を持った人間は、ラッパ吹きにはなれても、政治家になってはならないのです。
 
 お読みくださって有難うございました。