アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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愛と云う名の孤独、フランソワーズ・サガン風に――ある『太陽の季節』論 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 葉山の海岸を歩いてから、忘れかけていた『太陽の季節』のことが湘南の波間を漂う、揺曳する忘れられた流木の想いのように、微かな抵抗感となって海底の藻草のようにも脚に絡まり合ってくる、そんな感じです。水深を蹴る足の平のそよぎに絡まって、引きずられて、藻の残骸が水面に引き上げられることもあるし、陽に干せばなんだと思うほどに干からびてしまう頼りなさに、かってそこに固有な意味が含まれていたことすら今日では考古学的な対象として人々の記憶から遠ざかっている。それは戦後という時代がまだ若かったころの神話的な物語なのである。
 
 『太陽の季節』とは、そもそもどういう季節を意味したのでしょうか。戦後、横浜や首都圏を中心とした都市圏の青年たちのアプレゲールを描いたようにも、また、慎太郎氏が鮮烈な作家デビユーした在り方、――観想的な古い文芸作家のイメージを払拭した、行動する作家としての清新なイメージなど。行動する作家、あるいはパフォーマンスの卓越と云うイメージは、より凌駕する形で三島由紀夫に引き継がれることになると思いますが。
 しかし、太陽の季節!戦後の華やかな現象が数々の神話として淘汰されたいま、わたくしたちが感じるのは、戦後のアプレゲールや三島的なパフォーマンスとしての作家たちが改めて思う、愛の古典性についての考察なのです。
 愛が古くて新しいものだと云う通念は正しいものであって、その古典性が持つ斬新さを前になすすべもなく、戦後の青年は位牌に向かって祭儀の仏具を投げつけて壊す、という以上の行為をなしえなかったのです。
 愛の斬新さと云うアイデアに、慎太郎氏は現象をなぞるように描きながら、本質的な点が分っていたか否かと云う点になると疑問符を付けざるを得ないでしょう。もし理解していたなら、少なくとも後年の老醜と固陋が齎す醜態をあれほど見事に演じ切る必要はなかったと思われるからです。つまり慎太郎氏の場合は、経験が言語としての明晰の段階にまで到達しないために、太陽の季節の青年のように、自暴自棄の「行為」が代役を勤めなければならない仕儀とならざるをえないのだと思います。
 太陽の季節、の場合もそうですが、果たして愛は人間の経験的世界に淵源するものであるのか否かという疑問に突き当たります。人間の経験のうちにないものは何事もこの世に於いて経験することはできない、あるいは経験のうちにないものはないものに等しい、という考え方が愛の場合には馴染まないのです。愛は、あらゆる経験を越えているのですから。
 太陽の季節、とは、そうした人間に由来するとは限らない人間性が持つ深い本質に、一組の男女が違った形で目覚めていく物語だと思われます。その結果、一人は自暴自棄になって位牌に向かって金属片を投げつける結末を良しとしなければなりませんし、もう一人は死を選択しなければならなくなるのです。なぜなら愛とは孤独の時間についての認識論的考察であり、人は孤独であり、愛の経験の中にあってすら一人であると云うことを理解することと等しい経験でもあったからです。
 愛の経験の深まりが、男女の和合の頂点を齎すものではなく、かえって孤独と云う卓越した時間の経験を教えるものであると云う理解は、この時代にあ
って斬新なものであったと云わざるを得ません。好いた惚れたの経験しか知らなかった古典的日本人にとってこれは歴史的経験のひとつと云ってもよいほどのものでした。フランス文学の影響下にあった若き日の石原慎太郎がフランス文化擬きを日本に単に移植したなどと云う浅薄な理由に寄るのではないのです。『太陽の季節』を読めば、彼の日本語が日本人の経験と成立していることが言語経験として分る筈です。この小説を評価する場合はこの点――文学作品を言語経験として読むと云うこと――を忘れてはならないと思うのです。
 ひとは実存の深まりのなかで愛と云う名の経験と孤児としてのペルソナと出会うのです。