アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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上田秋成の『春雨物語』をめぐって――「意味付けの拒否」か意味の再定義か アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 江戸の後期の文学者、上田秋成に『雨月物語』とならぶ』、『春雨物語』と云うのがあるのですが、確かに、誰かが言うように秋成の代表作たちは、一対の屏風絵のような配置になっています。その対称性は、物語の素材や作り方に見られるだけでなく、一方では『雨月』が江戸期の文学を代表する最高峰の著作のひとつではないかと云われるまでの高評価を得ているのに対して、後者は纏まりと焦点を欠いた失敗作などと、色々に言われて久しい時間を経過してきましたが、このような文藝批評史的な意味においても、両作が辿った歴史はあくまでシンメトリックな位置にあり、対称的です。
 この作については、かって石川淳が江戸文学に現れた散文の萌芽ではないかと主張したり、最近では彼の精神的な後継者を任ずる田中優子の『江戸の想像力』などでも、俳諧化、列挙、相対化と並んで、「意味付けの拒否」などと云うと云うポストモダン擬きの観点から、田かな優子特有の語り、――歯切れの良い江戸前の口調でセンセーショナルに指摘してみせているのですが。
 田中の読みには秋成の読み本に関していろいろと教えられるところがありましたが、意味の相対化などと力まなくても、春雨のようにけぶる、抒情、と云うことで良いのではないかと思っています。人間嫌いで偏屈ものの秋成が最晩年に到達した、切れば血が出るような瑞々しさ、ということで良いのではないか、と最近は思うようになっています。田中は『春雨』のなかから「血かたびら」、「天津処女」などに焦点を当てて、例の「意味の相対化」「列挙」などと、一頃の柄谷行人のようなことを書いていますが、意味=文明と云う図式が仮に成り立ったにしたところで、意味の相対化などと云う観点からは文芸や芸術の意味も価値も生まれて気はしない、と云う気がいたします。意味の相対化などと云うよりも、意味の再定義をこそ目指すべきだろう、とわたくしは思います。 
 風格ある古代の茫洋とした王者の肖像、「血かたびら」に描かれた平城上皇はともかくとして、「天津処女」は、少なくとも「意味の相対化」ではないように思います。ここに描かれているのは原案にある『大和物語』の情緒的な人情噺を裏返して、ポストモダン風に乾燥して風通しの良い「意味の不在」の物語が書けたから良いのではなく、一方では状況の際どい鬩ぎあいのなかで巧みに生きた平凡人の凡そ高尚とは言いかねる物語を語りながら、他方では努力や精進などと云う小技では到底追いつかない、色好みや益荒男ぶりやの古代的価値観の復興が細やかながら試みられている、と云う点にあるように思います。良岑宗貞は実生活では俗物の小物ではあるけれども、奈良から平安の世に移り変わる激動の古代日本史と云う、巨視的な文化史的な観点から見ると色好みと云う、十分に古‐日本人的な原型性、典型性を備えており、それは偉大と云っても良いのではないかと云う気持ちになるのです。良岑宗貞と云う平安初期の俗物で小物の小男がそのままに偉大なのではなくて、小物は小物なりにその背景も含めて纏めた全体が偉大さの伝統に属しているのだ、と云うことなのですね。「血かたびら」の平城上皇にしても「海賊」の文屋秋津にしても、何れも「昔おとこ」の系譜に属している、と云う気がいたします。かかる歴史的背景も文化や伝統も含めた全体の文化史的なパースペクティ―ヴに置いて、かかる人間群像は偉大さの歴史に属しているのだ、と思います。
 今回読み返してみて「死者の咲顔」にはほとほと感心したしました。昔は婚約は家と家の付き合いとして親が決めるものだとされていましたが、やはり例外はあるもので、裕福な良家の一人息子が今は落ちぶれた親戚の娘と幼いころから『伊勢物語』の筒井筒の幼き男女のように心を交わす、長じてそれは片方の良家の親の許すところとはならず、男は夫婦の契りか忠孝かと悩んで両者の間を優柔不断に行き来している間に娘は重い病気になる。母子家庭である貧しい娘の家の母と兄は憐れに思って、せめて婚姻の祝儀をと必死の思いで男の家に押し掛ける。二つの価値間の間を揺れ動いていた優柔不断なかの男も、かねてより思い定めていた決断を実行すべき時がきたとして、貧しい娘の手を取って果敢に門を出て行こうとする。しかし娘は歩けぬほどにも衰弱していた。つまり大戦末期の戦艦大和のように往路の燃料しか積んでなくて、恋人の実家に出向いてきているのである。いまはこれまでと思った兄はその場で妹の首を打ち落とす。その首は、見た人の噂では、永劫に笑みを浮かべていた、と云うのである。これは実際にいまの神戸市の灘地区にあった話だと聴いています。
 「死者の咲顔」は『雨月』の「菊花の契り」に似ていますし、「宮城か゚塚」は「浅茅が宿」に似ています。意味の相対化や意味付けの拒否が語られているのではなく、決死の行為が、人間による意味付けを相対化して止まない日常の時間軸の線上の腐食作用のあいだにひとり屹立して、意味の再定義を行うのである、のだと思います。
 つまりいつの場合でも云いうることですが、一般化された言語が、ある選び取られた抜き差しならぬ行為によって意味の変容を受けると云うことですね。これがわたくしの言う、意味の再定義と云うことなのです。
意味の再定義とは言葉の再解釈と云う意味ではなくて、言葉のなかで現実が再現する、と云う意味なのです。つまり言葉のなかから現実は生まれるのです。この逆ではありません。
もう一度整理するとこのようになります。状況のなかに風穴を開けるのは抜き差しならぬ行為です。テロリストの心境と似ているかもしれません。その抜き差しならぬ行為が言語を呼び込みます。呼び込まれた言語の意味体系のなかで漠然とした「状況」は「現実」へと変容を遂げるのです。つまり変容を遂げた「現実」は、言葉のなかで誕生するのです。状況が言語の意味体系のなかで現実へと変容する、一連のプロセスを「言葉」と云うのです。かかる意味で行為が言語を呼び込み、呼び込まれた言語が言葉の揺籃のなかで、言葉のなかから現実が誕生する、かかる一連の、言と、語と、言語の意味体系と行為と行動の全過程を、言葉と言うのです。)