アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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千年王国の惨劇――ミュンスター再洗礼派王国目撃録 アリアドネ・アーカイブスより

 
千年王国をめぐるプロテスタント諸派の歴史としては、トマス・ミュンツァーが有名だが、この本の無名の著者ハインリッヒ・グレシュベックが見聞したヴェストファーレンのミユンスター市を巡る都市攻防は、マルグリット・ユルスナールの”黒の過程”の中に、忘れられない印象を残している。
 
前記トマス・ミュンツァーの闘争が農民闘争に連携した闘いであったのに対して、ミュンスター市を巡る都市攻防は、当時のオランダやネーデルランドという当時の紡績織物で栄える先進地の小市民を基盤としており、当時スペイン領であった関係から、プロテスタントルター派とドイツ諸国連合に加えてカソリック勢力と言う両面の、腹背に敵を受けた状況が、この歴史的事件の複雑さを髣髴とさせる。
 
つまりトマス・ミュンツァー+ドイツ農民闘争のように単純に革命の先駆的形態とばかりは手放しの賛辞をささげるわけにはいかないのだ。この本のハインリッヒ・グレシュベックという人は、実際にこのヴェストファーレンの都市攻防戦を生きた数少ない生存者の一人である。このような、通常は歴史の片隅に押しやられるか隠滅される運命になりがちの傍流的な出来事、秘匿的な出来事――隠滅できない場合は極端な戯画化が図られることが多い。実際は本質的な問題を含んでいる場合が多い、つまり消え去った歴史の可能性として――が、このような纏まった一冊の資料として残ったのも奇跡なのだが、それが時の磨耗に耐えて残ったというのも、考えられないほどの僥倖に満ちた文献的な奇跡なのである。そして、その背景には、この書の編者であるコルネリウスのような奇特な歴史家の存在が、その信念、歴史のもの言わぬものに加担せんという意思が、あるいはその他多くの陰のような篤志家のリレーのような意思伝達の貴重な営みがあったに違いない。
 
西暦1534年二月に出現し36年六月まで存続したパリ・コミューンにも比肩する幻想的擬似宗教的共同体は恐るべき世界をこの世に出現させた。私有財産の否定、一夫多妻制と子供の共同保育、しかし高邁な理想が一転して”ハエの王”の独裁、と内部テロリズムの狂気に突入していくのである。
 
残念ながら職人階級出身のグレシュベックには出来事の持つ全体性について、政治と宗教にかかわる幻想性を帯びた歴史上の出来事について、その形而上の上も下も含めた両義的評価を期待することはできないだろう。しかしこの書には、ほぼこの狂乱に満ちた全区間を生き延びた個人の生の証言か聴かれるという、多に代えがたい特性を持っている。
 
本書には訳者倉塚平の編者コルネリウスについての丁寧な解説がある。倉塚はコルネリウスの解説を本書に収録することを忘れなかった。また、収録されている150年も前の息子によるコルネリウスの文章には、完遂できなかった亡父への思いを籠めて感動的なものがある。倉塚はコルネリウスがこのライフワークを完成できなかった理由に、待ち望んでいた資料の発見如何よりも、グレシュベック資料がもたらした史実の重み、革命幻想への失望、それから約一世紀後に現実化することになるであろうよき意図をもって始まった革命が、如何にして反対物としての地獄絵図に変質していったのかという問いに苦しんだのではないのか、と書いている。
 
 
ハインリッヒ・グレンシュベック著、C・A・コルネリウス編 ”千年王国の惨劇――ミュンスター再洗礼派王国目撃録” 倉塚平訳 2002年 第一刷 ㈱平凡社