アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ギリシア的経験におけるノモスnomosとはどういう意味か? アリアドネ・アーカイブスより

 
 ノモスnomosとは何か?通常は習慣や社会的慣習の意味で語られていることが多い。
 
 古典古代のギリシャ社会においては、プラトンはこの語で、法律と政治と音楽を同時に語りました
 法律とは古典古代ギリシャにおいては道徳のことであり、政治もまた道徳と等位であり不等式の関係があるというのは何となく現代でもわかるような気がするのですが、さて、法律や政治や道徳と音楽を共通の言語で語り得るとはどう云う事を意味していたのだろうか、と考えるわけです。
 
 古典古代のギリシャにおいては、政治や音楽とわたしたち人間の関係が、非常に近しい関係にあった、とは言う事が出来ると思うのです。
 
 音楽がわたしたちの外部に対象化されたものとして存在するのではなく、対象との間に距離がない、つまり音楽とは人間の実存形式のようなものではなかったのでしょうか。
 
 音楽を単なる趣味や娯楽の対象としてではなく、人間の存在の様式、実存の形式と考えていたのであれば、そこからプラトンの悪名高い芸術効用論、つまり良い音楽と悪い音楽を識別すべきだと云う、政策主義的な芸術理論の生まれ出てくる根拠も説明できるような気がするのです。
 
 ギリシア市民社会は民主制の欄熟の果てにデマゴーク政治へと頽落を始めておりました。つまり人間や社会との近しい関係が破壊され、価値が統一的な理念の元に理解されず諸価値の分岐現象が生じはじめていた時代ではなかったか、と思うのです。
 
 このような時代にあってソクラテスプラトンの役割は、諸価値の分岐現象を重く”分立”として受け止め、自体性を擁護する哲学の発祥ではなかったかと思われるのです。それゆえプラトンにおいてはイデア論が、ソクラテスにおいては言行一致の生き方が称賛され、キリスト教の先駆となりえたのです。
 
 かかる意味合いにおいては、ソクラテスプラトンの哲学もキリスト教も所詮は、人類のギリシア的経験と云う稀有の体験の後に生じた”戦後”であると云えると思うのです。
 
 ここにギリシャ社会の、あるいは人類史上の重大な危機の局面を読みとった哲学者がおりました。――アリストテレスです。しかし時代のうねりは彼の努力をも乗り越えて遥か遠くまで押し流してしまいました。家庭教師時代の彼の弟子があれほど凡庸でなくもう少し学びと云うものを知っていたならば世界史は変わっていたのかも知れません。アリストテレスを家庭教師に選んだ父フィリッポとその横死、学びを知らない息子の凡庸さを思うとため息が出ますね。
 
 学ばなかったと云う点で、アレキサンドロスは世界史上特筆すべき存在だと思います。彼の凡庸さは後継者を育てなかったと云う意味でも卓越しており、彼の死後四つに分立した国のひとつである祖国では、骨肉の内乱のうちに自滅して行ったようでもあり、比較的長く独立を保ったとされるプトレマイオス王朝では、例のクレオパトラを生みだしたように、ギリシア的経験とは似ても似つかない先祖がえりを果たしているのです、