アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ミシュレの”フランス革命史” アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
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 高名でありながら読む機会を得ないと云う本がある。適当に読める環境になかったり、こちらが敬遠している場合もある。それに昨今はフランス革命もすっかり評価を下げてしまった。
 
 中央公論の”世界の名著”に収録されたこの本は全体の1/5ほどの縮刷版であると聞く。それにしても数百人から千人近くに達する登場人物の多彩さは読みとおすことの困難を感じる。巻末に簡単な人物事典が収録されていて、読書の後半でようやく活用する術を見出した。それにしても諸派入り乱れての複雑な政治の理想と利害の構図はなかなかに見通せない。縮刷版でも読みとおすのが困難であると云う印象を持った。
 
 フランス革命の5年間の経緯を描くこの書物の複雑な構図の解読は別としても、小説のように生き生きと描かれた革命の群像は感動的である。作者が最高の敬愛をささげるダントンという人物についてはこの書を読むことなしには永遠に知ることが出来なかっただろう。ダントンとはミシュレにとってフランス革命の潜在力そのものなのだった。
 
 冷徹なロベスピエールを描く場合もミシュレの描かれる対象への敬意は変わらない。ルソー直伝の原理主義に徹した稀有の政治家の、暗殺者に顎を拳銃で撃ち抜かれて出血に耐えながら死にいたる数時間の描写は圧巻である。有名なジャン・ポール・マラーの史に関しては、革命史観による理想化を認めながらも、白いレースを首元にあしらった巫女のような白ずくめの暗殺者の少女の間断のなさを描いて秀逸である。ミシュレが例え反革命側の人物像を描いても格調を保ち得るのは、文体の節度であるよりは歴史的理念への敬意のためなのである。優柔不断なルイ16世の最後を描く場面においても曇ることのない理念の理想化は働き、一面的な揶揄の対象となることはなかった。
 
 歴史のダイナミズムは、人がこの世に生を受ける地理的・生理的条件を超えて、歴史の理念が個人に宿る時誰しもが英雄となる。あの時代のあの数年間においては、フランス人民の一人一人が英雄となり得る潜在力を秘めていた。あるいは皆が知らないだけで、歴史の渦に埋もれた名もなき人々の中に沢山の伝承されない英雄的な行為があったことが理解できるのである。
 
 革命側、反革命側を問わずフランス革命史の全過程において誰に最も関心を持ったか、それは人それぞれ違うだろう。誰を偉大となすか、誰を好むか、革命史の膨大な人間像の多彩さを前に逡巡する。しかし、誰となら付き合いたいと思うだろうか。それはやはりダントンだろう。人として付き合えることの条件は、その人が人間として信用できるかどうかであると思うからだ。そして、もう一人の忘れがたい女人像――憧れのロラン夫人!
 
 慎ましいパリ下町の職人階級の娘が年齢の離れた裕福で教養の高いロランと結ばれて、三十を過ぎても娘のような感性を持ち続けた彼女は疑うことなくギロチンの粛清の惨禍に倒れた。亡命の地で潜伏を続けていた夫と”異性の友人”はそれを伝え聴くと、まるで生きる一切の望みが失われたかのように相次いで命を断った。フランスで起きた事件でありフランスでしか起こりえないような、革命の背景で歌われた挽歌である。