アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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”ノルウェイの森”を廻る評論家たち 加藤、竹田、渡辺――社会事象としての村上春樹・第8 夜 アリアドネ・アーカイブスより

 
加藤典洋 ”自閉と鎖国 村上春樹の「羊をめぐる冒険」”1987年
竹田青嗣 ”「恋愛小説”の空間”1988年
渡辺直己 ”チャリティー風土の陥穽”1997年
 
 若草書房から1998年に出ている 日本文学研究論文集成 村上春樹” 等を見ると、村上春樹論には読むに値するものが少ないのが分かる。その理由は、殆どの論者が、私の云うゆわゆる第一ケースの読書法に準じた論評の仕方をしているからである。原作が優れている場合はそれでいいのだが、そうでない場合は原作の質の拘束を受けてしまう。もう一つは、村上春樹という作家の特性として、意図的な言い落しを技法として採用している作家である場合は、言外を想像力によって読み読みこまなければならない。
 加藤が指摘しているのは、その点の同時代人のやり気のなさであり、加藤の報告によれば、在来の「文壇」に属する人たちの、否定はせず、”まあまあ観” を伝える、消極的評価が著しく多かったことに、社会学的な非文学的なミステリアスな状況を伝え、不思議に首を捻っている。しかし初期の村上文学受容の状況こそが、初期村上の登場人物たちが固有に示す、シニックで都会的センスあふれる ”まあまあ”観と相似形なのになぜ気が付かないのだろうか。加藤をして、この有能な批評家にして遠慮させたものは何だろうか。後に加藤は、村上の代表作 ”ノルウェイの森” を読んで自らの見方を方向修正している。
 
 竹田の場合も正面から村上を論じるよ云うよりも、在来からの自分のテーマである、愛の超越と内在の問題を、村上の小説を借りて敷衍しているにすぎない。大事なところを引いておく。――
 
”「ノルウェイの森」のひそかに埋めこまれたひとつの疑問とは、おそらくつぎのようなものだ。現在、わたしたちが非日常的な超越項によって現実を超えようとする情熱に固執すれば、「世界」はプラトニックな幻想空間へと変容し、いわば出口のない迷宮としてわたしたちに現れる。しかし一方で、「世界のなりたち」から目をそらして自分の現実だけを生きようとする」ならば、埋め尽くすことのな出来ない「深い井戸」のような喪失観を内部に抱え込むことになる。・・・(中略)・・・おそらくこのアポリアは、現代人における社会と個人との倫理的な関係意識の核心的な問題点をよく象徴している。そして、この難問を生きようとする作家のモチーフが「ノルウェイの森」に独特の内閉観を与えており、また同時に、この内閉観に時代的なリアリティを与えているのである」(竹田)
 
 立派な文章である。しかしこれは鋭敏な批評家、竹田青嗣の作家としての主導モチーフを語っているのであって、この論理が特に 村上春樹の ”ノルウェイの森” について語られなければならない理由はないのである。村上春樹論とお云うよりも竹田青嗣論とも云うべきものであって、論外ということにしたい。
 ここでは、ノスタルジックに60年代に殉じた直子やキズキのような生き方を、単に愛の純粋性と云えばいいものを、”超越項” などという厳めしい竹田哲学の用語を使っていることでも、村上よりも自己の言説の方を竹田は展開したかったのだということがわかる。”ノルウェイの森” が竹田の云うよなもであれば本当に良かった、と思う。
 
 渡辺直己の論文は、短いけれども異色の村上春樹論である。”ノルウェイの森” 以後の、作家的基軸を軌道修正しはじめた村上春樹の ”アンダーグラウンド” を題材にとりながら、オウム真理教を扱った、異色のルポルタージュ風の文学に、却って村上文学の固有のスタイルが浮き出ていると、彼は言う。
 大事な点は次の点である。――暗喩を使って核心をずらす、あるいは意図的に意識域の外側へと云い忘れ云い落す村上の手法が、57人という多人数に ”1時間半から2時間”しかも ”対座の機会” は”一度”っきり、という村上が自らに課した原則が結果として齎したものが、”紋切り型”の人物類型に繋がったという指摘である。「いかにも若々しい・・・」「いかにも思い切りのよさそう・・・」「いかにも自分のスペースで・・・」「いかにも江戸っ子・・・」、と云うわけである。これが、村上の小説の、――
 
”肝心の「体験」もふくめいやおうなくある種の類型化と既視観とがつきまとってしまう”(渡辺)
 
 これは ”アンダーグラウンド”  について述べたものだが、より適切に村上春樹の小説の方の特徴を言い当てていることである。また、――
 
”きまって何かは起こる。だが、その時と後で、この「僕」は少しも変わらぬどころか、既知の輪郭はいっそう強固なものとなるのだ。”(渡辺)
 
 ここに ”既知の輪郭” といい、”・・・強固なもの」とは、村上の ”自我の遠近法”(渡辺) とでも云うべきものであり、遠近法とは村上が対象的世界との間に交わす距離の取り方であり、――
 
”まともに触れ合おうとすれば己の世界の輪郭を狂わせずにはいないものに、それ以上は深く関わらずにすむための同じ遮断性・・・”(渡辺)
 
あるいは作家としての ”防御性” と言い換えても良い。この対象との間に取り結んだ距離感、それが――
 
”適度の負荷こそが皮膚と筋肉を鍛えるのにも似た刺激の域を決して越えぬように調整され続けたいた”(渡辺)
 
 村上の、ジムに通うかのような調整された半ば人工的な生き方、まるでビジネスマンのように作業をこなす作家の姿勢を彷彿とさせるではないか。
 時代と正面から向き合う作家としての勇気を欠いた姿勢が、そのアイドリングとフィーリング感覚が、都会的なセンスの良さや育ちの良さとして誤解されて受けとられるところに、いわゆる ”村上現象” なるものは生じた。 
 
 いちいち尤もな指摘だが、最も興味深いのは、村上春樹の固有な小説技法と戦後社会の類動性、象徴性を指摘する次の部分である。それは ”ノルウェイの森” 以降の、軌道修正し始めたころの村上が、”「日本と云う国」”ということ関心をしきりに語る場面である。晩年の司馬遼太郎の動静とともに、この類似は興味深い。
 
村上春樹の作品の大半は、その表徴性においてすでに、十分「日本」的なものではなかったのか?すなわち、その輪郭を指し示すことよりも、また、批判することも可能でありながら、じかに触れること、それをまざまざと描くことだけは堅く禁じられてある唯一者を「象徴」となすこの国の社会風土そのものに酷似しているがゆえに、この作家のテキストは、きわめて「国民」的な人気を博しつづけているのではないか。一事はもとより、天皇なる存在とこの国の近代文学の表象の歴史とのかかわりを慎重に見渡したうえで、いいまいちど改めて論じられるべき事柄である。”(渡辺)
 
”この作家の話題作の周囲にはきまって、わたしには承伏しかねる批評の言葉の言説が大がかりに組織され、作家の存在とともに、これらがそのつど座視しがたい停滞をこの国の文学風土にもたらしてしまう”(渡辺)ように
思われるのである。
 
 加藤も渡辺も危惧するのは、この文学風土における停滞と閉塞である。造られ操作されるメディアと文学界をめぐる世界が、目に見えぬシステムとして強いる検閲の世界のようなものすらここには感じられる。誰もが云わないなら自分が云わねばならない、少なくとも同時代を生きた証人として。ここでも問われなければならないのは、古くから繰り返されてきたあの長き遥けき問い、文学とは何か。郷愁と憂いにに満ちた問い、言葉の機能とはなにか。
 
 海外や国際社会で評価されることは必要なことだろう。しかしその前に、日本語できちんと評価することがこそ必要な手続きであるはずだ。母国語の評価に堪えない文学とはなんだろうか、そう思う。