アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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シェイクスピアの歴史劇――王の死――”リチャード二世” アリアドネ・アーカイブスより

 
 リチャード二世  1367年1月6日 - 1400年2月14日
 
 ”リチャード二世” を読んで感じたのは、すでに王位が民衆の同意なしには成り立ちえない時代にイギリスと云う国が当時あった、と云う点である。このへんの言外に語られるイギリスと云う国の国風が何よりも私たち日本人には分かりにくい。事実、後のヘンリー四世、ボリングブルックの民衆との迎合的な姿勢を語る伝聞が、やがて王位の転覆劇の遠因のひとつの説明にもなりえていることが、即座には理解しがたい。つまりリチャード二世がなにゆえ民衆から同意を失っていたかについて、劇が始まる自明の前提としては簡単には了解しがたいことなのだ。
 もう一つ了解しがたいのはランカスター公爵、ジョン・オブ・ゴーントに代表されるような皇親系の大貴族に見られる、お国ぶりである。つまり派閥の勝ち負けを超越するような一種独特な国風への誇りと、イングランドと云う国体意識が形づくっていた中世的な価値序列の体系が意味したものなのである。かかる神権政治ともいえる古き神学的な伝統が、国民の同意と云う道徳的規範性の前に崩壊していくその過程を語ることこそが、このやや謎めいた歴史劇のテーマと云えそうだ。中世のほの暗い神話性に彩られた薔薇窓の神秘が、やがて規範性と云う名の理知や理屈の隈なき明晰さの明りによって決定的な譲歩を強いられるとき、確実にひとつの時代が終わったとは言えるのである。
 リチャード二世は悪王と云うことにされているが、その悪の上限はどう見積もっても、冒頭のボリングブルックとトマス・モーブレーの間の諍いを調停する場面にも見られるように、王権を脅かすものの存在の原因分析を精緻に行い、その病根を完膚なまでに叩き無に帰さしめるという発想からは遠い。また個人の意思を越えたところに展開する歴史的意志に促されるようにリチャードを排帝に追い込む結果になったボリングブルックについても、陰謀に加担したオーマール公への温情的な処置が意味するように、近代的な知性の光で照らせば後のちの禍根を残すような決着の付け方にしても、人間を動かしていたものは、政治の力学を超えたものがあったかのようである。政治の力学を超えたものとは、一つには信仰であり、二つ目は民衆のレベルにまで浸透した国風的な文化なのであり、三つ目は緑なすイングランドの自然と風土への愛なのである。イギリス人の観客であれば当然自明視すべきところが、なかなかに分かりにくいのである。
 リチャード二世は、結局、意図せざる集合的無意識のようなものに促されるように不意の偶然から命を絶たれることになる。ボリングブルックはそれが自らの個人的意思であることは百も認めながら、それが正当な国民的あるいは歴史的な意志ではないことを、つまり目に見えない悪意が今後は歴史を自転させていくであろうという、暗澹たる予感を感じさせるところで、この冷徹な歴史劇は終わる。人間の喜怒哀楽を越えた久遠の人間群像を透徹した視線のもとに重層的に描くと云うウィリアム・シェイクスピアの作劇法はここにおいても踏襲されている。
 
 大変に難解な歴史劇と云うことが出来る。この対象的劇的世界が持つ鋼のような硬質さは、なによりもウィリアム・シェイクスピアの人間鑑賞の厚みと云うということによる。つまりリチャード二世や端々の脇役にいたるまで、単純に類型的な理解を許さないのだ。ジョン・オブ・ゴーントの辞世句としての王への諫言にしてもそうだし、息子であるオーマール公の陰謀劇への加担をめぐって白熱するヨーク公爵夫妻の間の論弁をめぐる告発と嘆願の凄まじさもまたそうである。いち個人の存在や家族や一族をも超えた原理のもとに個人が行動していると考えなければ理解できないような人間模様がある。そう云う理屈では割り切れない曖昧さを、例えばマキャベリズムの論理によって整理して考え行動する人物類型の登場を待って、近世から近代と云う時代が初めて生まれてくる、とも考えることが出来るのである。
 この劇の主人公の一人ボリングブルック、すなわちのちのヘンリー四世が終幕近くに述べる述懐の言葉もまた、単なるボーズとだけみなす近代の見方だけではある重要な要因を見逃してしまうだろう。彼はこう述べている。――
 
 ”この身の栄達のために、この身は血の洗礼を受けたのだ”
 ”これからはカインとともに夜の闇夜をさすらい・・・・・(中略)・・・・・黒い喪服に身を包み哀悼の意を表していただきたい・・・・・(中略)・・・・・諸卿も涙をそそいでわたしの悲しみを飾っていただきたい”(本文 最終段落より ボリングブルックの口上より)
 
 やがてボリングブルックの内面の緊張を支えた倫理性がリアリズムへと姿を変えたとき、例えばどのような世界が生まれるのだろうか。