アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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シェイクスピアの ”ヘンリー六世” 三部作と ”リチャード三世”

 
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 ヘンリー六世をめぐる三部作とリチャード三世の悲劇は、ヘンリー五世以降のフランスにおける領有化の失敗と撤退とを描きながら、それが薔薇戦争の名前で呼ばれる血なまぐさい内乱に発展していった過程を述べる雄大な歴史劇である。
 
 凡そ大義や信義と云うものが失われ離合集散を繰り返す政治の力学は、我が国の南北朝時代を思わせる。あるいは国内の政治的不安が同時に海外侵略への捌け口を求め、和平派と主戦派に分かれて闘う構図は、仲哀天皇神功皇后時代の神話をも思わせる。後者は明らかに皇極天皇時代の白村江の戦の史実が投影していると考えられるので、その後の古代日本が律令制国家へと統一されていったように、あるいは南北朝応仁の乱以降の時代が天下統一と一国主義に向かったように、英国史がエリザベス朝を待って一応の国内的な混乱に終止符を打つところも似ている。もちろんその後の産業革命と世界への雄飛は大いに異なっているけれそも。
 
 ドラマとしてみると、リチャード三世はヘンリー四世三部作に対して勧善懲悪的な言説が見出されて稚拙な感じがする。予備知識なしに楽しめると云う利点はあるが、シェイクスピア固有の類型性を越えた人物造形の多層性がみられないのだ。王妃マーガレットを除けば魅力に富んだ人物と云うのも探しがたく、リチャード三世にしても残忍ではあるけれども悪の冷酷差を人物とは云い難い。自分を悪人ですよ!と自己紹介する人間に限って大悪人はいないものである。シェイクスピアの戯曲の中ではイギリス王室の残忍なるホームドラマと云う感じで、冷徹な政治の力学を描いたものとは言い難い。
 
 歴史的人間像としての得体の知れなさはヘンリー五世等の方に卓越があり、それが第一と第二の四部作における劇作家としてのシェイクスピアの成熟を語るているのだろう。
 
 ただ、これだけ無意味な歴史における死者の群像をみせられると、流石に時とあわれの感情は卓越する。シェイクスピア史劇の主人公は、無情な時間なのであろうか。