アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ホメロスの世界――悪女ヘレネと貞女ペネロペイア アリアドネ・アーカイブスより

 
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 左のG・シャンドンの『ホメロス物語』は、必ずしも子供向けの読み物と云う訳ではないが、青少年向けのダイジェスト版である。『イーリアス』と『オデュッセイア』の両篇を収めている。
 右は、1965年を初版とする藤縄謙三の『ホメロスの世界』である。案内書として異例の長期間に渡って読み継がれていることは、名著であるからだろう。前書きにもあるように、「専門外の人たちのための道案内」とあるので、私の場合、ぴったりだろう。こうして、外国の研究者の手になるダイジェスト版を読み、最低限度の知識を得て概説書によって、読みどころ聞きどころをおさらいする、これで一応わかったつもりになることが出来る。これで、関心がなお湧くようであれば次の段階に進む。勿論、何事も原文でと言って五ヶ国語で言書を紐解いた森有正からは叱られるかもしれないが、其処が一流とそうでないものとの違いであり、かつまた、老齢ゆえの余寿命ゆえに許していただこう。
 
 一読して、藤縄の本はなかなかの掘り出し物である。これは関心がある向きは是非とも手にとって一読して欲しい本である。ホメロス叙事詩解釈が実にすばらしい。この書を読むことで得た知見は幾つかあるが、その一つは、イーリアスの時代に於いては英雄は諸子の戦闘で闘う、と云うことであった。これを日本の時代劇風に単なる歴史絵巻の誇張と考えてはなるまい。トロイア方の英雄が命を落とすのは彼が前衛の論理に拘ったからに他ならない。父王のプリアモスや生母の願いも聞き入れず、不利な状況と分かっていてアキレウスの挑発に乗ってしまう。つまりトロイア側の戦意は低かったのかもしれない。と云うより、この時代に於いてはひょっとして集団線ではないので、軍の多寡よりも英雄の一騎打ちによって大勢が決していたのかも知れない。
 もう一つは、ホメロスの両叙事詩を読むと、女が強いとまでは言わないけれども、実に重要な役割を担っている点である。確かに、一方で女性は有無を言わさず生贄にされたり、戦利品として扱われもするが、後のヘレナやペネロペイアを見ると、非力なりに誇りを失っていない点である。藤縄の云うように、両叙事詩の世界は数百年経った段階での古を偲ぶ回顧的な筆致であり、男女の格差が決定的でなかった黄金時代を英雄たちの活躍とともに顕彰して記憶に留めんとしたものである可能性は確かに有る。つまり孔子にとっての堯舜孔子の道がありえたような意味での規範にまで高められた歴史ではなかったのだろうか。
 後に見るように、ソクラテスプラトンの時代に於いては女であることは語るに足らない事象として一顧だにされなかったことが分かる。クサンティッぺがどのように描かれたか。また、ギリシア黄金期の愛とは男同士の友情であり美少年愛に惑溺されることを必ずしも不名誉とは考えていなかったことは先の類書によっても明らかである。かかる男尊女卑や奴隷制と云うものに堕す以前の理想的な社会があって、あるいはあると信じた古典ギリシア人の記憶がかかる雄大詩篇を生んだのであろう。
 一番驚いたのは、トロイア戦争の原因を造ったとされる歴史的美女ヘレナの扱いである。西洋ではクレオパトラに次いで評判が悪いのだが、藤縄によるとホメロスはヘレナの美について殆ど言及していないと云う。天下の美女に対して第一級の大詩人がそんなことをするのだろうか。むしろ『イーリアス』では、苦悩の中を生きる精神の人として描かれていると云うのである。まさかこんなヘレナ像を聞こうとは思いもかけないことだった。
 
 恋とは不思議なもので古来より美男美女が結ばれるわけでもなく、精神的に対峙できる知的レベルが対等の人間同士が結ばれるわけでもない。古来から愛の不思議さは理性的な知では解けないところが面白いのである。
 それでヘレナの経歴を見ると、最初がトロイア戦争ギリシア軍の総大将になるアガメムノンの弟のメネラオスであり、二番目が美男のパリスである。つまり最初のメネラオスは無骨一辺倒の男であり、二番目のパリスは美貌だけが取り柄の世間知らずのお坊ちゃんであるにすぎない。どうして聡明な彼女がこのような非対称な結婚相手を選ぶかといいことは本人にも解らなかっただろうし、王家の婚姻関係はそれでなくても常人の想いも及ばないほど複雑である。
 
 ヘレネの理解を難しくしているのは次の理由による。
「ところで、ヘレネの罪悪感には一つ不思議な点がある。ヘレネは、駆け落ちしたことや、そのために起こった惨事について、恥ずかしく思い、また罪深く感じている。しかし、この罪悪感は結局のところ、対社会的な罪悪感である。本来の夫メネラオスに対する裏切りについての内面的な苦悩は、必ずしも明確ではない。だから極端に言えば、ヘレネはただ世間態を気にしているのだ、ということになるのかもしれぬ。アメリカの人類学者たちは、恥辱感文化と罪悪感文化との区別を論じているが、ホメロスの世界は、恥辱感文化の典型例だとも見られる。ホメロスの英雄たちは、何よりも世間での名声を尊び、恥辱を恐れる。そのような対世間的な動機から行動しているのであって、自己の内面の良心に基づいているのではないようだ、と推断できそうである。」(本文p93 )
 
 ここのところは、なにやら往年のベストセラー書、ルース・ベネディクトの『菊と刀』を思い出させて感慨深い。戦後の自信喪失の日本人はこのような外国人の指摘を受けると、殆ど闇雲にに有り難がり、痺れたように無抵抗な受け答えに終始したものである。曰く、日本人には個性が無い、内面性が無い、とか。こうした受容の様式が進歩的な知識人の通過儀礼とみなされていたほどである。
 さて、ヘレネは『イーリアス』では、本当はどう云う女性として描かれていたと藤縄は云うのであろうか。
 
ヘレネは絶世の美女であるうえに、鋭敏な女性であった。しかし、ふさわしい夫に恵まれなかったのである。最初の夫は少し鈍な武骨者であり、二度目の男は美男だが、卑怯者であった。『イリアス』ではヘレネは、この美男の夫パリスを軽蔑するようになっている。しかし、だからと言って、メネラオスのことを思慕し直すわけではない。だからヘレネにとっては、トロイア戦争はまことに空しい戦争であった。両軍が全力を尽くして戦い、勝利した側へ、ヘレネはゆくことになるであろう。しかし、ヘレネは、メネラオスにもパリスにも、全身全霊からの愛着はなかった。どちらが勝ったところで、ヘレネに全面的な幸福はあり得ない。確かなのは、不幸な悔恨がつきまとう、ということだけであった。(中略)しかしヘレネは自分の不幸を正面から受け止め、それと対決しながら生きてゆく。その姿は荘厳ですらある。この徹底的な厳しさのために、ヘレネは超人的な存在のようにさへ見えるのである。」
 
 もともとヘレネとは、神々と人間との間に生まれた半神半人間の女神であり、彼女の高貴さの由縁も人間離れしたところも、そうした由縁がしからしめるところでもあろう。
 
 もう一人は、オデュッセウスがトロイ戦争に10年、故郷への帰還に10年を費やした20年間、祖国で閨房を守っていたとされる、不可解なとも見上げた貞女の典型とも言われるペネロペイアのことである。
 これも当時の家族関係や遺産相続の形態を知らなければ解らない、と藤縄は言う。夫が不在の間に集まった婚姻希望者と云うか王位継承者は、テレマコスを除いて108人もいたと云うことであり。これは寡婦は再婚するのを当然視したミュケナイ時代以前の倫理観を考える必要があると云う。夫は20年間にわたって不在であり、生存が確認できたトロイ戦争終結後も10年間にわたって音信不通であり生存は確認できていない。当然死んだものと考えて再婚するのが当時の常識であったと云う。其の場合、王位と遺産相続は長子であるテレマコスに移行する慣習法はあるのだが、その現実的保証が無い、と云うところにペネロペイアとテレマコスのそれぞれの悩みがあった。つまり彼女が一端王家を出て実家から新たに婚姻を結ぶ場合と、王妃として再婚者を選ぶ場合は王位と遺産相続の問題が異なってくるのである。108人の婚約希望者たちはペネロペイアその人よりも、王位継承と遺産相続をそれぞれの想いで其の軽重を計量しながら策謀を凝らす思惑の持ち主であったことは明らかであろう。
 
 ぺネロぺイヤの紡ぎものと云う有名な織物――昼間は紬ぎ織り、夜はそれを解くと云う策謀も見破られ、いよいよ明日は108人の中から婚約者を選ばなければならないと云う日、彼女は長子のテレマコスとすら利害的な一致の関係にはなかったのである。なぜなら、自らの希望の中に王位継承を必ずしも要求していないテレマコスの本音は、最低遺産相続権を確保することにあったからである。そのためにはペネロペイアの婚姻は皮肉なことに解決のいち方法だったのである。皮肉にも108人の婚約希望者たちの間では、暗にそうした折衷案に理解を示す輩もいたようなのである。
 
 権力闘争の顕在化に基ずいた権力構造と人間関係の鮮明化は、彼女の本来的なあり方をあぶり出すことになった。王妃として一家の主婦として最大の彼女の務めは、第一に王位継承権を守ることであり、第二にオデュッセウス家の資産を守ることなのであった。それが家を守るものの王妃としてのまた主婦としての務めなのであった。古ギリシア的な意味で貞操であるとは単に貞操を守るとか孤閨を守ると云う次元の意味ではなく、一家の資産を守ると云う徹底的な現実的な点に最大のポイントがあった、と節縄は指摘する。また、このように理解しなければ何ゆえあの108人の婚約希望者たちが意味不明の饗宴を延々と、一致団結して宮廷内で開催し、王家の資産の浪費を王家の者たちが嘆かなければならなかったかの理由が解らなくなるのである。
 
 考えてみれば、彼女の立場は、108人の横暴な婚約希望者を敵として対峙することは勿論、頼りになるべき息子のテレマコスとも全面的な一致をみることはなく、はたまた頼りない実家の思惑や後ろ盾をあてにすることもできず、生きているのか死んでいるのか最後まで解らない夫であるオデュッセウスの意思を空頼みする以外には誰一人あてにできないと云う、凄まじいまでの孤立と孤独の境位に追い込まれていた。
 
 こうしたペネロペイアの最終的に辿りついた孤独な位相から、叙事詩最後のクライマックス、凄惨を極めたオデュッセウスらによる復讐劇、王宮の寄生者どもの徹底的な殺戮劇の一部始終と、その後に彼女がみせた意外な無関心、無感動、無表情の真の謎も分かろうと云うものであある。