アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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和辻哲郎 『イタリア古寺巡礼』 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 和辻哲郎若き日のイタリア紀行である。実際に、『古寺巡礼』の作者がかかる纏まりのある紀行文を残して置いてくれていたとは意外であった。しかも、ヴェネツィア以降の体調不良による北イタリアを除いて南のシチリアまでほぼ網羅しているのも嬉しい。元々が、企画された書物ではなく家族あての私信を後年そのままに出版したと云う体裁を取っているために、ガイド本としては簡略に過ぎると云う印象も受ける。しかし美術鑑賞に於いて、今日に於いて直も教えられ面白い。
 
 『イタリア古寺巡礼』はイタリアに向かう南仏の車窓から始まる。そこには既に単なる紀行文としてではなく、地中海気候と云う風土に対する関心が背景としてある。意外であったのは、東西の比較論に於いて和辻が常套的な対比論を取らなかった点である。私たちは、先入見としてヨーロッパの厳しい風土を云う。確かに欧州全体としてはそうであるのかもしれないが、北のバルト海に面する北部ヨーロッパの風土と地中海北岸の北アフリカやアラブの砂漠のイメージする風土の間にあって、地中海気候とは余程異なった風土なのである。
 
 和辻は、松や糸杉の左右対称の形態を云う。日本でもかかる樹木の形態性は見覚えがあるのだが、それは人工的に整理された日本風の庭園に於いて剪定された結果であることを思い浮かべる。日本に於いては防風林等気候に対応するために曲がりくねって生育する。イタリアに於いては樹木が左右対称の均衡のとれたバランスを保つのは、実に適度に乾湿を繰り返す気候の温暖さにあることに作者は思い当たる。そしてこの気候の完全性こそ、実はこの後イタリアのローマ文化の背後に背景として存在する、単なる人類史の一例としてではない、ギリシア文明の卓越性とも有意な関係があるかの如き書き方なのである。
 
 またイタリア紀行なのに、なぜ導入部に後にコートダジュールと呼ばれることになるニースやモナコモンテカルロなどの記述があるのかと云うのも、風土というものは地理学ではなく文化概念である、と云うことが分かる。つまり同じリビエラの青い海と白茶けた崖を見せる風土であるのに、それがフランス側ではランボー以来の永遠の青を思わせる憧憬の対象となり、イタリア側ではサン・レモを除いて単なる海辺の寒村なおであるのか。和辻はそれら国境の町をひとつながりのものとして列車で移動しながら車窓にそのことを感じる。つまり同一の風土が国内の価値的な位置づけによってかくも大きな変化を見せるのである。これは戦後「南国」のイメージが、宮崎から沖縄へ、そしてハワイやタヒチへと移動して行った日本国内の観念の移動の経緯ともパラレルな関係にあることを思い出させる。地理を風土と言い換える場合は、文明と云う価値観を共有するヒエラルキーの配置によって決定される面があるようだ。
 
 さて、話が思わぬ方向に逸れてしまったのだが、こうして若き和辻の想念は古典古代ギリシアの均衡美のとれた静謐さに向かう。イタリア紀行でありながら、より多くローマの遺構を廻る旅になるのは、根底に於いて作者のギリシアへの憧れが介在するからにほかならない。こうしてローマのコロッセウムやパンティオン、アッピア街道、更にはヴィラ・アドリアーナ、ナポリに於いてはペストゥーム、シチリアではシラク―ザやアグリジェントの古代遺構の数々が紹介される。建築的な遺構に加えて、ギリシア時代からローマに至る各種ヴィーナス像の比較論も、大理石の色合い、石造の表面の鑿跡の微細な凹凸を廻る考察も面白い。
 
 一応イタリア絵画の常套である、ジョット、フラ・アンジェリコダ・ヴィンチ
ミケランジェロ、シモネ・マルティーニ、ボッティチェッリ、テントレット、ティツィアーノ等の絵画も紹介されるが、絵画が見る側の焦点距離を変化させた場合に、筆勢と色彩がどのように現れるのかを比較計量し、通常自明視された建築ならば正面の広場から見るとか、美術館内の展示と観覧者との定められた距離とかに拘らない自在さを提案する。『風土』の作者による自在な鑑賞態度の提案であると云える。その結果ローマのサンピエトロ大聖堂のドームの巨大さが再認識される。ルネサンス以降のイタリア絵画に於いて作者がどうしても納得しえない色彩感覚について、ヴェネツィアにおいて初めて納得する。イタリアの色彩感覚は、ラヴェンナにおけるモザイク画の場面に於いて、その光彩陸離たる描写は頂点を極める。
 
 この書を読みながらイタリアの風景、平地の緑の中には人家がまばらに散在するだけで、何ゆえ集落は山の中腹や丘の頂上と云った、利便性を無視したような地勢に添って人が住むのかという疑問にも答えがあることが了解された。それは中世において猛威を振るった病原菌への対策であり恐怖でもあった。事実、和辻はイタリアの水にあたってしまう。和辻の紀行文が後半中断するに至る理由もそこにあったことが了解される仕組みとなっている。皮肉な見方をすれば『風土』の作者による身を持って経験したイタリア紀行なのである。
 
 この本は、作者がヴェネツィアにおいて病を得ることで中途で終わらざるを得なかったのであるが、イタリアの魅力の大半がロンバルディアの南にあることを思えば、大意は尽くしているとも云えるのである。
 
 それにしても、『イタリア古寺巡礼』、戦前の知識人たちの優雅さには驚かされる。和辻の性格にもよるのだろうけれども、戦前社会の海外における日本人のネットワークの存在も、エリートたちゆえにこそ、かくありえたのでもあろう。文化的なあるいは経済的な劣等感が微塵も感じられないことも、戦後に出たあまたの洋行ものとは大いなる対比をなしている。和辻を語る場合に毀誉褒貶ともなりかねない、大正教養主義のおおどかな印象を味わうこともまた本書の魅力なのである。