アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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和辻哲郎 『日本精神史研究』 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 和辻のこの本は、芸術社会学とでも呼べそうなジャンルの本である。その目論見の純粋形は「飛鳥奈良時代の政治的理想」において著しい。いまどきこのような本を読んで新鮮に感じさせるのは、飛鳥や奈良時代と呼ばれる日本古代の国家が、純粋な政治的理念に燃えて建国されたいたと云う叙述の仕方である。これが戦後見慣れた物欲や権力の概念等によって説明されようとする史観とは明らかに異なるのである。
 かかる和辻の史観は奈良の律令制国家以前の大臣大連の時代にあっても基本的には踏襲されている。日本史の曙とでも云える上古の時代に於いて、「まつりごと」すなわち祭事と政事とは同じ意味を持っていた。祀りと政治が区分されていなかったのである。和辻が独創的なのは、国家の必要を国民の安寧と福祉のためと説いたことである。つまり国家が上部構造として民衆から分離していなかった、と云うのである。無邪気な確信であり荒唐無稽な史観であるとの誹りを受けるかもしれない。しかし私には和辻のこの純粋さがとても新鮮に感じられたのである。つまり――
 
「君臣一致は字義通りの事実だったのである。自然の脅威に対する戦いが唯一の関心事である自然人にとっては、隣国の古き政治史が示すような権力欲の争いや民衆を抑圧する政治のごときは、いまだ思いも寄らぬことであった。」(p16-17)
 
 何故かかる無邪気とも云える言説を新鮮なものとして感じるのか。この書が書かれた2・26事件前後の戦後の日本の社会状況を思うがいい。つまりあの社会状況に於いてみる時、ここに「民衆を抑圧する政治」が何であったかは一種特徴的な特異な意味を持ちうるのである。端的に言えば2・26の青年将校たちの心情に近い。つまりこの心情が現行の社会に対する批判的な視点を齎すとともに、後に見るような日本主義的な道を歩ませ、戦後に於いて戦犯の一人にすら擬されることにもなるのである。
 
 しかし国家的なプロジェクトである奈良の大仏聖武天皇を戴く飛鳥奈良の歴史がどうして理念の歴史であってはならないのだろうか。聖徳太子と山城大兄皇子父子にいたる仏教的諦観と無抵抗の歴史、この事跡を追慕するかのような長屋王による神代の皇親政治の理想に基ずいた幾度かの抵抗の政治的歴史、その影の首謀者というのが万葉の篇者に擬せられる大伴家持であると云うのも面白い。万葉集とは儚く潰え去った理念の追憶であったとさへ思わせるものがある。後年、これは都が京都に遷都されて後の事だが、まるで平城京を望むかのような地に隠棲地を定めた平城天皇の孤愁を思うと感慨が深い。またその地は、在原業平のゆかりの土地でもあった。この話は綿綿と源氏の物語にまで、昔男の系譜を尋ねるたびになるわけだから、このへんにしなければならない。
 さて、かかる万葉の政治的理念のたび重なる試行錯誤の果てに、その象徴的表現として奈良の大仏聖武天皇が出てくるわけである。奈良を出て、難波から紫香楽、恭仁京への遷都と、天武の遺跡を廻るかのような伊勢や不破の関への聖武の彷徨いは、さながら儚く散った古代史の理念の兵どもの夢の跡であったかのようにも思われるのである。
 
 それからこの書が面白かったのは源氏物語や歌舞伎と云った、今日古典として評価が確立されているものに対する評価を、和辻が臆するところなく直截にかたっているところである。源氏の第一巻と第二巻との間、すなわち母恋ものとしての源氏と、好色物語としての源氏の分裂であるとか、主語を省略して綿綿と情緒を綴る源氏特有の文体を悪文とする見解である。
 歌舞伎においては特に近松半二ものに見られる筋の不自然さ、人物造形の荒唐無稽さなど、歌舞伎の魅力は踊りと謡いと云う舞台芸術としての複合性を加味しなければ評価できないのではないかと書いて、後半はロシアバレーの魅力などを論じてなにか中途で終わっている感じである。これなども、日本的なものであれば何でもよいのだ、と云う最近の第二国粋的な考え方からすれば余程正直であるとは云える。
 
 最後の「沙門道元」は論文集の中の最大の力作だが、道元や禅について初めて読むので、用語等に分かるところ分からないところがあって読むのに難渋した。その中で念仏宗との対比の中で出てくる「無」の考え方、仏性や我の考え方、面授面受の考え方に注目した。
 念仏宗に於いては人間は矛盾したままの在り方でそのまま南無阿弥陀仏と唱えれば弥陀の慈悲によって救われるとする。道元に於いては人間である「我」の在り方が問題なのではない。自力・他力という理解の仕方が如何にあさはかであるかが分かる。いまこの現有の時に現れた真理が問題なのであると云う。そのためには放下と云う行為が必要である。
 さて、真理を会得する放下の方法であるが、禅でよく言われる不立文字とか教外別伝と言われる方法が想起されるのだが、和辻はここでは道元の特徴として『面授面受」、フェース・トゥ・フェース、つまり師匠から弟子へと人格を介して伝わって行くのだと云う。つまり禅の極意は文字では伝わらないとか、仏典に寄らない以心伝心的な考え方は必ずしも道元が主張したものではないと云うのだ。つまり師と弟子は「面授面受」において語りあわなければならないのである。つまり悟りに至る契機とは見ると見られると云う人格的な相互的契機が必要である、と云うのだ。これなども今日の聞いた風の言説を思い浮かべると余程新鮮である。
 
 親鸞の慈悲の愛は悪心においてもなお救済の契機を与えた。慈悲の前には人間は平等なのである。道元に於いては、かかる平等を踏まえた上に求道における位階制が現れる。それはこの世とあの世を区別せず、今この時この場所の中に様々な真理の展開を見た力動的な思想なのである。プラトンイデア論との唯一の違いは、ギリシア的世界観においては静観的な利害損得に惑わされない中立的な態度が理想とされたが、道元に於いては無限放下とも云える地位や財産を捨て去りあらゆる世俗性から超越する意思を見せつつも、真理は静観的な観照的な態度に於いては得られないこと、「行」という一種の行為的直観、具体的な方法の一つとしては師や同僚たちと交じあう相互批評ととしての社会性の中にあること、社会性を保つためには言語が不可欠であることを理解していた点にあるのだと思う。