アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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藤田正勝 『京都学派の哲学』・上 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 紹介されているのは総帥たる西田幾多郎と、田辺元三木清、戸坂潤、木村素衛久松真一下村寅太郎西谷啓治である。西田以外は殆ど知るところが無かった。この書は、概説書であるとともに、各自の代表的な論文のさわりの部分が収録されていて、アンソロジー集ともなっている。しかし原文に当たってみて難しい、と云うのが正直な直観である。京都学派については戦時中の言動についてとやかく言われてきているのだが、彼らの何人かが志向した直接的な行動はともかくとして、純粋に学者としての現表活動に限って云うならば、とても時局に直接的の影響を与え得たとは思われない。彼らの抱いた思想の各各はともかくとして、大政翼賛的な右翼から左翼まで広範に広がった彼ら個人の言動に興味を持った。
 
 西田幾多郎については随分まえに『善の哲学』を読んだ。西田の特徴は西洋の哲学のように外感的直接的所与から出発せずに、主客未文分の状態から出発し、主観-客観と云うのは、そこから知的・反省的に導き出されたものにすぎないのだと云う。かく考えることで西田は二元論を超えたと信じた。後期の「場所」の論理とは、かかる直接的に与えられる主客未文化の所与を、論理構成の問題として、主観であれ客観であれあらゆる事象や概念を成立させるためには、それが「・・・に於いてある場所」と云うものが必要な筈だと云う。場所の論理とは、初期の純粋経験を踏まえ、それを言い換えたものであるように思われた。
 西田個人は人に抜きんでて指導すると云うようなタイプではなかったが、世情がそれを許さなかった。戦時中に於いても陰に陽に政府から意見を求められたようであり、例の8月15日の詔をお膳立てしたグループとも接触があったかに聴いている。
 
 田辺元は、当時成立していた国民国家の特殊形態である軍国主義イデオロギー的基礎付けとして「種の理論」なるものを構想した。共同体的な全体と個の人格的な関係が成り立ちえなくなった時、社会の個人への強制力を如何に説明するかに彼は苦慮する。物理的強制力だけでは全体主義国家と言われても仕方が無いだろう。個人が自ら進んで全体に奉仕するシステムとして、類と個人を繋ぐものとして種概念を構想するのである。田辺にとって個人とは、カントのような自律せる個人概念なのだが、善き人の良き意志が世界平和に貢献すると云う、お伽噺である。
 実際の戦前社会においてはカント哲学的自律的個人は存在せず、容易に大勢の暗示に従いやすい大衆化社会であった。ここでは天皇ヒエラルキーの頂点とする日本総国民が家族であると云う共同体的イデオロギーが、近代的な生産様式と折衷することによって、自己破壊の巨大にして奇怪なシステムが形成されたことは記憶に新しい。特攻隊の思想に於いては、人を使い捨て可能のものとして考える超現代的な思考が、血の滲む様な共同体的村落への郷愁と共存していたのである。
 幸いに、田辺は自己の国家論と現実の乖離に気が付いたのか、敗戦まで
の数年間を沈黙の中に過ごすことになる。万策尽きた後の思想的ドロップアウトとは最悪の選択肢ではない。
 
 三木清の「構想力論」と云うものを予てより伝え聞いていた。当時の京都学派と呼ばれる人たちの状況は、西欧的論理を如何にして超えるか、と云う点にあった。西田は西洋的思考法の特徴を二元論にあるとみて、当初認識論的な方法によって克服しようと試みた。三木清に於いては、それは観照的態度、テオーリアの問題となる。周知のように、ギリシア的思考法に於いてはあらゆる世事の猥雑さを去って、静観的観照とでも云うべき観想のニュートラルな状態を理想とする。三木はかかる観想的な態度に西洋形而上学の問題点を認めた。観想的主観と客観の定立した状態からスタートするのではなく、人は行為する途上に於いて初めて主観と客観が分立するのを臨場的に目撃するのではないのか。行為と云う認識よりも一段上の認知のレベルに於いては主観と客観も様相が異なるのではないのか。ご覧のように西田の影響下に試歩を進めていたことが分かる。この行為的な考え方が、彼を単にアカデミズムの人間として終始することを許さなかったのである。
 三木清は官警の監視下に過ごし、終戦後の9月に巣鴨にて不可解な死を遂げる。
 
 戸坂潤もまた、三木と前後して終戦の年に獄中にて不可解な死を遂げる。 
 戸坂潤の生き方は、何か神話のように爽やかで感銘が深い。私はかねがね育ちの良さと云うものに敬意を払うものだが、この怖いもの知らずの旧家のお坊ちゃんにして比類なき秀才が示した論理の直截さと生き方の清冽さを思う時、やはり何がしか感動的である。エリートとは良いものだと思う。あの戦前の暗い時代の谷間を、一陣の風のように吹き抜けた息吹の名残りに、私は古代ギリシアかローマにしかあり得なかったような神話的な、永遠に古びない青年像と云うものを感じる。このような人がいたと云うだけで京都学派の評価が変わるだけでなく戦前戦中戦間期と呼ばれていた時代の印象までが随分違ったものに感じられるのだ。
 戸坂潤、万歳!