アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

『怡土群七ヶ寺と山岳宗教』展と伊都国歴史博物館 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 
 
中央が天然記念物の楠の巨木、右は端が仁王門
 
 夷巍寺のことは以前、間道の風雪に褪せた「仁王門」とある道標をたよりに、一貴山の山裾の村を訪れた時から気になっていた。仁王門と楠の巨木だけが残り、僧堂伽藍の一切は戦禍の中に潰え去って久しく、近世には既に伝承と伝聞の世界に属していたたらしい。
 
 仁王門のユーモラスな金剛力士像はともかく、驚いたのは仁王門の背後に広がる段々畑の傾斜地に、昔の僧堂にちなんだ名前がちらほらと残っていて、何もないだけにいっそう幻想の翼が羽ばたいたことである。
 
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 この村落の特徴的なところは、昔の坊や僧堂の衣鉢を継ぐ形で、寺でらは滅んでも、「講」として還俗した在家の営みとして今日に至るまで伝えられていることだと云う。講の名前も、政所などの由緒正しい名称を継承している由である。
 
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 同じ糸島に属する千如寺の方は、最近は紅葉で有名になったが、既に四十年ほど前から参詣を続けている。何かお願い事がある時は寺で護摩を焚いてもらう事にしている。ここはいかにも山寺らしい静寂で厳しい環境と、巨大な十一面観世音菩薩の立像が有名である。護摩焚きの行事は、観音様を仰ぎ見るような角度で、もうもうたる煙とチロチロと燃えたり時にぱっと燃え上がる炎の中で施行される。
 以前からこの寺との関係が気になっていたのだが、やはり往古は「怡土七ヶ寺」として一群の真言系の山岳寺院を形成していたらしい。
 夷巍寺もこの七ヶ寺の中の有力な寺院の一つであったらしい。
 
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 怡土七ヶ寺として寺でらの遺品が展示されていると云うので、今日は糸島 に同歴史博物館を訪れることとした。入ると一部屋がそれに当てられているのだが、千如寺を除いて殆どが見る影もない草生す墓石を残すのみか、一宇の村はずれの御堂に仏像の二三を残すだけと云うのはよい方で、字に縁を残すのみと云うのが現状であるようだ。
 
 
 
 仏像は、殆どが平安期に属するものばかりの様である。特に、当日は展示されていなかったが、浮嶽神社に伝わる旧久安寺の諸仏は、破損も深刻な状態でありながら、それゆえにこそ却ってトルソーとしての質感が、平安期の仏像のたおやかさ、優しさと溶け合いながら、透明な美しさを放っている。一度浮嶽を訪れてみたいものだが、なにしろ同社は脊振山系が玄海に迫る海抜八百メートルを超える山頂に鎮座する社のようなので、容易に近づくことを拒んでいるかのごとくである。
 
 同博物館は、他にも常設展示として、平原王墓等の伊都国関係の展示があるので、銅鏡類や甕棺を参観者がいないのを幸い、ゆっくり見ていたら二時間近くが経ってしまった。
 
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 長閑な日本の村落風景を見ていると、時間と自我が次第に不鮮明になり、奇妙な既視感にとらわれる。何時か経験した時間であるようでもあり、これから幾度か経験する未来の時間のようでもある。このような一時をこの後何度くらい経験できるのだろうか。人生の与時間はいかほどか。現在は過去と未来に溶解する。
 
 
 
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