アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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漱石『三四郎』と鷗外『青年』と アリアドネ・アーカイブスより

 
 
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 本郷の三四郎池に行って驚くのは深山幽谷の感じである。大東京の中心部と云ってもよいその真ん中に、皇居とともに野趣を帯びた武蔵野の面影が無造作で、朽木は倒れるがままに、老木は水面(みおも)に大きく傾(かし)いだまま、半ばなげやりな無関心のまま放置されているのが、如何にも豪奢である、と云う感じがする。皇居と云い、一個の国立大学の存在といい、その扱い方、扱われ方は対照的なところもあるけれども、国家権力の権威を見せつけられているようで、接する側の心情としてはなかなかに複雑である。
 三四郎池は命名の由来である漱石の『三四郎』の冒頭において重要な役割を果たしているのであるが、小説を地方出身の人間が読書と云う限られた経験を通して想像し得たものとは違っている。小説では、病院の彼方からヒロインの美禰子さんが近づいてくるのを、小高いところにあった主人公が望見するところから始まっているので、現在の鬱蒼としたジャングル様の設定では不可能である。あるいは三四郎が書かれた時代では、樹木の数がもっと少なく、林間にこれを望むと云うことが可能だったのだろうか。
 いずれにせよ小説『三四郎』と舞台設定となった東大の北側に広がる駒込から早稲田に広がる地域は、三四郎を取り巻く観念論的なトリアーデ――恋愛、学問と故郷の三元構造ほど本質的な関連を有していない。
 
 漱石と対比される鷗外の『青年』となると実に詳細に実名の町名を出して主人公小泉純一はよく歩きまわる。小泉純一は学生ではなく谷中に瀟洒な一軒家を構え、そこを中心に東の上野や北の弥生、根津、千駄木、そして謎めいた美貌の未亡人・坂井夫人が住んでいる根岸のあたりまで脚を伸ばす。坂井夫人の性格設定には、明らかに『三四郎』のヒロインの性格を踏まえた鷗外流の言及があると考えてよいのだが、この二人のヒロインの設定については、年齢の設定以上の違いがある。この違いは、主人公の設定に於いてもいえることであって、意外とこの二人の文豪には共通点が少ないゆえに、両作を比較させることを躊躇させるのである。
 
 『青年』の観念論的構図を、先の『三四郎』に倣って考えてみるとどうなるだろうか。恋愛、学問、郷里、このトリアーデについて、恋愛から論じると、鷗外の主人公は恋愛の価値を毫も信じてはいない。恋愛の価値を認めてはいるのだが、人生にある様々な諸価値の中のひとつであると云うぐらいの位置づけである。他方、恋愛を描く漱石は意識的であって、恋愛がいつの世も一等価値があるものとは考えないけれども、日本の近代と云う時代が近代である由縁と固有を語ろうとする場合に、恋愛と云う行為にこそその象徴性が典型的に表れていると考えているのである。恋愛至上主義であるのではなく、恋愛と云う行為の中に明治の青年たちは近代の生ける象徴を見出したと云うこと、そこに死んでも悔いることのない価値があると信じた一群の青年たちがいたこと,そういう歴史的事情を踏まえ、それを引き受け引き留めて生きようとしたのが漱石であった、と云うことである。
 
 漱石の熱情的な姿勢に比べれば、鷗外のヒーロー小泉純一は随分と醒めている。鴎外が理解した近代とは自然であり、夏目漱石が踏まえた青年たちの生き方や思想は「不自然」なのである。小説『青年』は、漱石の主人公・三四郎がヒロイン美禰子の奥深さ、近代の懐の深さをついには理解できないまま終わるのに対して、坂井夫人の幻想を「自然」の立場から断罪するところで終わっている。
 
 本来、恋愛と云う行為にどれほどの価値が備わっているものなのか、もしそれを純客観的に評価するならば、鷗外の方がたぶん正しいのであろう。恋愛に近代的諸価値の価値として筆頭的位置を認めるに吝かではないにしても、それのみに生死を超えた絶対的な価値を与えるわけにはいかない、鷗外が登場人物大村をして純一に語らしめた通りであろうと思う。
 また明治期の自然主義についての考え方に於いても、両文豪には合い交わらない点がある。自然主義とは姑息因循な伝統的なものの観方や考え方を去って、自由に、生のありのままを描くことである、少なくとも漱石もまた同時代の青年たちと同様に、かかる明治の血潮が滾るような思潮を踏まえている。他方、鷗外の自然主義とは、『それから』以降に描かれた人間群像を不自然とみなす、人生の的を過つことのない局外者の視点であり、そこから得られた帰結とは人間の自然主義、人間的自然主義に他ならなかった。むしろ、中期以降の鷗外は、かかる人間的自然の観点から、歴史もの、伝説伝承ものへと敷衍し、晩年の史伝へと己が観点を拡張していくのである。
 鷗外と、『青年』の主人公小泉純一と彼の庇護者・大村はこのようには考えない。人生をありのままに写すと云うけれども、結果的に露悪的な悪趣味に傾いた青年の傾向性は不自然であると考えるのである。小泉純一は郷里で独学で諸学を勉学したことになっていて、人生を白紙に譬え、青年の純朴さでもって東京大学に入学してきた三四郎とは随分に異なっているのである。異なっていると云うよりも、ヒーローの設定にや条件に於いて、学識、教養において二人の間には天地の差があるようだ。文学・学問の役割とは、平板化された人生をあくまで拒否することなく受け入れ乍ら、同時並行的に観念論的な砦を構築して、時代に流しも流されもすることなく、独自で複雑怪奇な人生の巧者として、人生の達人として生き残ることだ、と云わんばかりである。
 
 最後に、故郷や郷里と云うものを二人の文豪はいかに考えたか。故郷を持たない江戸っ子である漱石は、それを自らではない他人から伝聞として聴くがままに、懐かしい場所として理解した。つまり幼少期を人間以下の扱われ方をされてきた人間は、自分にないもの、人生が自分に与えることが出来なかったものを全てここに投影したのである。かかるステロタイプ化された郷土理解は、ある面で漱石に限界をあたえるものでもあっただろう。
 他方、郷里を持つものとしての地方人・森鷗外は、徹底的に冷淡に考えた。そこは、ものを自然に感じたり述懐したりする習慣のない朴念仁が、中身を欠いた形式、田舎者の素朴さがそのまま形式主義的な権威や権力と結びついた奇怪なミニタリズム的ヒエラルキーを理想的な基本様式とする明治の精神、後世如何に持ち上げようとも所詮は底の浅い和魂洋才の知恵、下品で下劣で下等な魂なき欧化の俗社会の風俗に過ぎなかった。ちょうど仮普請の店舗のように外見だけ欧風でも看板の裏側には何もない、永遠に『普請中』であるほかはないような日本の近代の様であった。『青年』では、教育者・高畠詠子の描き方に典型的に表現されている。
 
 以上、『三四郎』と『青年』を素材にして、明治期の青春群像を描いたものとして、恋愛、学問、故郷の三つの項目について考えてきたのである。それではこれらの三つの項目が焦点を結ぶ、近代と呼ばれた大項目についてはどうなのだろうか。
 『三四郎』と『青年』では小説としての完成度において相当の違いがあるので、この二作のみを持って二人の文豪のポテンシャルをを比較すると云うのは公平ではないだろう。しかし、一作のみをもってしても、近代を如何に考えたかについては明瞭にものを言い得るのである。近代を如何に考えたか、一人の人間が人間として近代とどう向き合ったかは、作品の偶然的な出来不出来の問題を遥かに超えている問題であるからだ。
 
 『三四郎』の美禰子vs『青年』の坂井夫人、比較するまでもなく、一方は「近代」を通過して来った人物である。「人物」と云うよりも一幅の「名画」である。他方は、近代以前の人間像に過ぎない。むしろ鷗外は、近代を経験する以前の「自然」をこそ尊重した。『青年』で肯定的に描かれているのは、自己犠牲型の人間であり、社会的な王道的な生き方からは疎外されていく、歴史や社会の片隅で、か弱くも気高く健気に生きる人間群像の方であった。
 他方、漱石が描こうとしたのは、近代と呼ばれる時代経験が根源的な蹉跌であり、深刻な挫折の経験そのものであること、蹉跌や挫折の経験は何事かのために後世生かすことが出来るような諸経験のひとつではなく、そのような生易しいものではなく、そこから翻って諦念と人生の哀惜を教えるものであったのである。つまり人間とは人生の諸経験に還元できるようなものではなく、人間の諸価値とは概念としては漱石の場合、人生よりも広かったのである。