アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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石原問題と『太陽の季節』――あるロマン的保守主義者の軌跡 アリアドネ・アーカイブスより

 
革命がおこなわれているかぎり
政治的ロマン主義は革命的であり、
革命の終焉とともに保守化する。
 
 
  背徳の匂いと不明朗さの尾鰭背鰭を曳き摺ってきた感がある元都知事石原慎太郎の百条委員会による証人喚問ですが、多くのことはマスコミやそれに関連する訳知り顔の専門家や評論家たちに任せることとして、大変印象的に思ったのは、質疑応答に先立ってある本人聴取の確認の件で、自分現在におけるアイディンティティの定義を、「作家」であるとしたことだった。作家であることは間違いないにしても、どのような意味で「作家」であるのか。
 政治家であるより前に人間としての品性がどうであるか、並びに統治における最高責任者としてのあり方としてのこと終わりて後の去就の在り方のダンディズムが、普段から主張していた彼の武士道論やもののふの論理とどう整合するか、などと云う意地の悪い議論は他の方に任せよう。現下、これだけの情報があればだれもがそれは言えることなのである。むしろ作家‐政治家・石原慎太郎氏の長い生涯の軌跡が彼の最も良質であると評価できる、初期の『太陽の季節』に現れた文学観なり人生観とどう関係があるか、つまり彼の人生の軌跡の最低事項と慎太郎氏の現在を比較するのではなく、最良の成果に於いて石原慎太郎氏の資質を現状に於いて評価する、人間として最大限の評価としてフェアに評価する、この点、いままで誰も触れてこなかったし書てもこられなかったし、誰もが言えることではないので、わたくしがこの段で書いておく。
 
 翻って見て初期の石原作品と云うものを二三冊通覧するときに、『太陽の季節』だけが際立った完成度を示していることに気づく。むしろ、今日においてすら『太陽の季節』が読むにたえる作品であると云うことは、彼の人間としての才能の質の凡庸さを考えると、異様な現象なのである。
 それでは『太陽の季節』という作品はどのような作品なのであろうか。素材は現実の日本であると云うよりは、当時石原氏が愛読したフランス文学に出てくるコートダジュールプロヴァンスの方が相応しいだろう(だから太陽の季節的環境が当時あったかどうかなどと云う議論は馬鹿馬鹿しいのである)。また、この小説を読むに枝葉は重要ではなくて、一組の気概溢れる青年男女がいて、一人がもう一人を心理的に追い詰めて死に至らしめる、というお話である。こので興味深いのは、二人の性愛観と云うよりも、人生観なり世界観である。日本戦後史黎明期の固有さが現れていると思うからである。
 
 『太陽の季節』を魅力ある小説として賞味するためには小説が発表された1955年頃と云う時代設定を考えておかなければならない。当初、時代の先端を肩で切って生きている風の二人にとって対抗すべき価値観とは、大人の社会であり、普遍化し言語化してそれを言うならば、心とか愛とか目に見えないもの、超越的なものへの拒否反応なのである。限定すれば二人の性愛観の中にセックスへの言及が多く出てくるのであるが、単なる時代への迎合ではないことはそのことだけでもわかる(逆に言えばこの時期以降の性愛描写に満ちた文学作品の多くが固有な政治観を欠いていると云うことも、やがては特殊日本的な現象になっていくのである。作家個人の政治的意識の在りようには無関係に、性愛描写は何らかの政治的意識を無意識のうちに表現する。この点作家たるべきものはもう少し自覚的であるべきであろう)。
 しかし二人の間の感情的なドラマが進行するにつれて価値観を廻る距離感が激しい断絶を生む。ヒロインである英子は、凪いだ湘南の蒼き海の底に身を預けると云う神秘的な経験を経て愛と云うものの真相と触れ合う。愛とは、今まで自分たちが生きてきて経験してきた価値観や指標とは如何なる意味でも異なった未知との遭遇体験だったのである。その価値が如何に凄まじいものであったかを、やがてヒーローの竜哉は思い知ることになる。
 ここに云う凄まじい経験とは、英子と一心同体と思っていた同士的な経験を破壊し隔てるものとして登場してきた、眼に見えないものとしての愛の経験を廻って、それを金銭的にどの程度の重量を掛ければ釣り合うことが出来るかと云うゲームとして表現される。その時このゲームに利用されて出てくるのがドラマの端役、竜哉の兄道久の存在である。竜哉は英子の価値観を知っていて、あえて彼女を兄である道久に金銭的代償として譲り渡すのである。それを知った英子は道久に渡された金額の嵩を訪ねて同額で「買い戻す」、つまり結果的に英子の純潔は保たれるのである。ゲームであるからこの愛を廻る買い付け買戻しの過程は無限に続くように思える。そしてある段階から竜哉にとっても自分たちが遭遇している経験がなまじっかなものではないことを理解するようになる。同時に端役である道久は何か自分の理解しえない途方もない怖ろしい出来事がこの世界に起きているように感じてしり込みして退場してしまう。竜哉を石原裕次郎あるいは彼の背後にある時期確実に生きていたある一人の友人の存在が、道久を石原慎太郎と考えれば見事に符合するところが嗅ぎ当てられる仕組みになっている。
 
 『太陽の季節』が誕生する機縁の一つとして、慎太郎が裕次郎から聞いた、ある印象に残こる話があったと云う。それはシンパ的な環境下にあった若者たちの間で不幸な死に方をした少女がいたと云う話の程度であった。よくある若者に固有の痴情沙汰の話のようであるが、ここで1955年当時の、ある種の先鋭的な青年たちの意識を時代背景と云うものに重ねて考えておかなければならない。
 つまり、心とか愛とか、眼に見えないものの価値に信用を置かないと云う、当時の青年たちを捕えていた価値観とは、その当時であれば誰しもが思い当たる、戦前的な価値観の中でもとりわけ民族を未曽有の悲劇に巻き込んだ天皇制と軍国主義との神権的な結び付き、ならびに、それに同型、相似的に類似する戦前的な価値観のことだったと思われるのである。もちろん、天皇陛下万歳!だけではなく、清く貧しく美しく!と云う価値観もこの中には含まれていたと思われる。
 日本国民は敗戦の体験を経て、――つまり竜哉青年のように再生した!ここには、眼に見えない精神的な価値観など信用しまいと云う意思表示がかかる時代背景に置いてみると云う限りにおいて、先駆的な意味を持つ。そして、この時、戦後の日本人が過剰ともいえる自省と反省力の果てに否定せざるを得なかった目に見えぬものとしての不可視の価値観に目覚めた時、それを裏切りとも見た竜哉なりの価値観がそれと鮮やかな対立を生んだのである。
 竜哉の方からすれば、不意の病魔に命を奪われた英子は死することによって永遠の存在と化した。死によって彼女はある意味での絶対になり終えた。その彼女の遺影に対して焼香の壺を投げつけると云う行為によって彼が言いたかったこと、主張したかったことも明らかなのである。この日を境に、青年・竜哉にとって、勝ち目のない闘いが、永遠とも云える戦後的時間経験としての時が永劫の時計の針のようにめぐり始めるのである。
 竜哉青年と亡き英子が共有しえたであろう時間経験の固有さと、功成り名を遂げた石原慎太郎の時間経験が余りにも鮮やかすぎる背反の双曲線模様を描いたことは明らかだろう。英子の葬儀の場で慎太郎は黒紋付の縁者側の方に座っていたのである。
 つまり『太陽の季節』とは、産声を挙げて間もない戦後派の精神が破綻する前後の一時期の過渡を、劇的に捉えて描いた小説だったのである。
 
 わたくしは、今日の石原慎太郎と云う作家に単に二言三言コメントするために、彼の代表作『太陽の季節』に多く言及しすぎたのかもしれない。
 この作品には古川卓己と云う監督による同名の映画がある。そしてしばしばあり得ることだが映画の方が出来栄えが勝れている。つまり素材の質が良い場合は映画監督の方が適切に本質を表現しうると云うことは起こりえるのである。同様に若き日の長門裕之南田洋子の入魂の演技もまた素晴らしいものとして映画に資するものがあった。
 概略において小説の忠実な映画化である古川作品と小説としての慎太郎作品との違いは何であろうか。第一には古川が映画化するに当たって、いわゆる太陽族の象徴であった裕次郎に物語の仔細について問い合わせそれを映画に生かしたことである。裕次郎もまた請われるままに友情出演をしているが、眼の涼やかさが印象に残る。つまり物語を伝ええたものとしての同士としての使命観がその涼やかさに現れている、ような気がする。
 第二に古川監督は兄の道久の厭らしさをこの上ない誇張として、ユーモラスに描いた。つまり太陽の季節の物語は慎太郎にとっては、裕次郎から聞いただけのフランス文学風類似のロマン、自分とは隔てられてある裕次郎的な若者たちの世代とは別の価値観であると云うことを、作家と世界の断絶感を巧みに描き出しているのである。作家自身の自画像を作家自身が意識もしないような形で映画の中に描き残すと云う破天荒の技法が施されているのである。技巧が巧みであるがゆえに、今日においてもなお慎太郎は映画作品のイロニーに気ずいていないかの如く太陽の如く能天気である。品降るユーモアとでも云うべきものだろう。
 
 『太陽の季節』の有名なラストシーン、英子の遺影に対して焼香の壺を灰ごと投げつけると云う、訳の分からない、論理化できない、怒りの形でしか表現しえないもの、これは石原小説の長所にも短所にもなっている。
 荒々しい、怒りに満ちた言語化できない行為は、第一には太陽族と呼ばれた第一次戦後派の意思に対する裏切り行為への怒りに満ちている。第二に、戦後派として生きた自分たちの時代への秘められた葬送として、葬儀場に居並ぶもの達への、つまり大人たちの世界や価値観への、さらには次第に揺らぐことなき日常的不動性を獲得していくかに見える戦前的価値観の復興とその疑似永遠性にもにた日常的連続性への苛立ち、憎悪に満ちている。そして第三には他ならぬその自分が、死することによって今は絶対となった不可視の存在者から見下されてあると云う、竜哉が戦後人として耐えて行かなければならない戦後の長い時間を暗示して、戦後史の雄篇・「太陽の季節」と云う物語世界は終わっている。
 なにゆえに戦後史の雄篇とまで評価するのであるか。とりわけ英子と云う南田裕子に寄って演じられた女性、敗戦と云う根源的事態における反省と、眼に見えないものの超越的価値などは信じずこれからは金銭で評価できるものだけが信頼を置くに値するものであり、そうした考え方が今後の戦後高度成長の時代を代表する価値観になり得ることを、その先兵にさせられていることを露ほども疑わない青年の純粋さを一方に於いて、湘南の海の於ける神秘的な啓示的経験を通して、頑固に金銭は所詮金銭でしかないことを頑固に主張し、態現的にも語る表現者としてのヒロイン英子の殉教者にもにた姿勢の真柏は感動的である。態現的に語るとは有‐言語的、有‐意味的に語る、あるいは己を生きると云う意味である。己の行為を自覚的な振る舞いとして生きられた時間として見直す行為とは、意識や自意識と云うようなレベルを遥かに超えている。それは人の生き方が偶然性を去って言葉や論理の自律性の立場から担保を受けると云うい意味でもある。たかが無益な一回限りの行為とは言いながらかかる事態が一度でもこの世に生じたと云う事態はもはや否定することが出来なくなるのである。同時に、かかる彼女の心情的な確信の甦りが同時に戦没者の記憶と重ねられて描かれたことの意義は大変に大きいと云わなければならない。なぜなら戦没者の意思を奉ると称しながら、その記憶を忘却の淵に鎮めると云う行為においてこそ、亡国の徒としての戦後日本の繁栄はあり得たからである。英子に天降ってきた愛の霊感とは、自分自身の戦後人としての意思表示としては、滅びていく弱者の側に身を置くと云う、果敢な決意表明とも読み取れるのである。しかも彼女は愛の霊感の只中に於いて死んだ。愛の霊感の象徴的時間が死することによってそのまま彼女の現存在と化した。彼女の霊感は死することによって絶対的なものに変じるのである。彼女の死は死することによって永遠の戦後史に対する反措定となる。それゆえにこそ、竜哉が担わなければならなかった戦後的時間の意味は重かったと云わねばならぬ。
 『太陽の季節』のヒロイン・英子が提起した問題は、この時代にこのような女性がいたと云うことが問題なのではない。むしろ押しなべて一億の民のどこを腑分けし探しあぐねてもいなかった、と云う点にこそ意義を有するのである。現実に存在しなかったからと云って意義がないわけでも無意味であった訳でもない。此の世で有りうべくもない事象が絵空事ではない言語のレベルで起きたと云うことが尊いと思うのである。
 さて、いったい、「作家」石原慎太郎は、自らの作品に於いてすら、かかる読者としての読みを実現できているのであるか。言い換えれば自らの作品に於いてすら最良の読者であり得たのか。最終的に彼の感性の資質と人生の値段はどの程度であるのか。
 
 ある種の状況なり局面に於いて、行動なり行為なり思想があって、その場合それをどの程度自覚的に言語化できているか、と云うのがその人にとっての人生のメルクマールになる。自意識が自らの行為を論理化できない、単なる行動主義的な論理は必然的に後年、著しく保守化し陳腐化すると云う現象は、既に今まででも多くの論者によって、怒れる若者たちの末路と云う事行に於いて語られてきている。「作家」石原慎太郎が、ある時は太陽族の疑似シンパとして、ある時は右翼の疑似「大物」政治家像として、太陽の季節の時代に於いては超越的価値への跪拝拒否を語り、保守主義の政治家としての時代に於いては軟弱な平和主義的理念に抗して、武士道の論理を、果断なき「もののふ」の論理と倫理を語り、結果としては虚像と実像の間で、理念と現実像の整合に失敗し続けていることを、多数派の論者に唱和して、無様だ!とは、わたくしは云わないけれども、ある種の自然現象にも似た軌跡を描く社会思想史上の普遍則の範囲内にあることは、特に今ごろ自慢げに自負して語りうるべきことでもないのである。