アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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ルター宗教改革五百年とベルリンの壁崩壊、それから映画『菩提樹』とシューベルト歌曲のことなど アリアドネ・アーカイブスより

 
 
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 福岡大学にルターの宗教改革五百年記念講演に出掛けました。
 このところ冬めいた木枯らしが吹いていますが、天気も良く、日向でパソコンをいじっていると、少々汗ばみました。
 記念講演は、ドイツ文学の専門家による、ルターによるドイツ語の確立と云うお話でした。言われて見れば当然のことですが、当時のドイツには”標準語”のようなものはなく――ラテン語と古典ギリシア語、ヘブライ語は教養としてあったかもしれませんが――ある種の方言があるばかりでした。ルターの聖書の独訳とは、彼が最初に行ったと云う順番の話ではなく、聖書の翻訳と云う作業を通して、ルターの中にドイツ語と云う統一的な理念が形づくられて行ったことこそ重要である、というわけです。ちょうど我が国において、鷗外らに至る言文一致体
の運動が持っていた国民史的意味のように。 
 宗教改革を、言語の機能的な問題として見る視点は考えても見なかったことです。さらに重要なのは、かかるドイツ語文法の確立とグーテンベルグの印刷術が結び付いて、キリスト教における、言葉の優位と云う考え方もまた成立していったと云うのです。
 突然ここで出てきた”言葉の優位”・”精神の優位”という考え方について解説を加えると、”言葉の優位”の考え方の前提にあるのは、善行による魂の救済というカトリック的な理念があったと云うのです。具体的にルターが生きた時代に即して解説しますと、”善行による魂の救済”こそ、免罪符の販売と云うカソリック既得権益と結びついていたと云うのです。
 なかなか分かり難いのかもしれませんが、”言葉の優位”の前提には、”行為の優位”という考え方があったと云うことなのです。
 しかしその場合の”言葉の優位”とは何でしょう。ルターは言葉の優位を宣言することで、聖書による読解の優位、魂の救済を教会組織から解放したのでした。しかしこの場合言葉とは何でしょうか。ルターは、この点、反って言葉と精神の中に魂の救済という問題を閉じ込めてしまう、と云うことはなかったのでしょうか。
 
 この講義を聴きながら、わたくしはまたベルリンの壁が崩壊した日のこと、昨日十一月九日のことを思い出していました。
 人類の前途に希望が射しているように見える時代でした。いまそのことを懐かしく思い出します。
 昨日は、同じ大学の会場で1957年のドイツ映画『菩提樹』を見たのですが、現代は「トラップ一家」と云うほどの簡素な意味の題名だったと講師から説明が入りました。
 日本人の邦画の題名付けには独特のものがあって、これを日本人の独りよがりのようにいう自虐の癖がありますが、わたくしは常々日本人の翻訳能力は誇ってよいものではないかと思います。
 根拠があるわで云うのではないのですが、菩提樹――シューベルトと云うと、何かセンチメンタルな印象で紹介されていますが、歌曲集『冬の旅』の呼称にも響きあうものが感じられる、政治的季節における冬の時代を彷彿とさせるものが感じとられるとしたら、その人は感情移入過多の誹りをまぬがええないでしょうか。典型的には「楽に寄す」があります。この歌には、ウィーン会議後の欧州における政治的反動期、つまり政治的冬の時代の日々を詠った、懐古と哀惜の調べであるという説もあります。
 かく考えるならば、菩提樹、と根付けた我が国の翻訳者のセンスは優れたものがあった、と云わなければならないでしょう。わが国の翻訳者がその映画を菩提樹と名付けたころ、戦後の日本は混乱期を過ぎてそれなりの安定期に向かいつつありました。観方を変えれば、安定化に向かうと云う方向こそ、これを精神の不自由と感じたものもいた筈なのです。戦後日本における民主化が絶望的な状況になり、他方ハンガリーの動乱は孤立無援のなかで終息に向かいます。日本は安保の核の中で経済のみの追及に邁進する経済大国の道筋を選び、エネルギー革命を迎える中でやがては三井三池の闘争なども事件として生起してくるのです。