アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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田中優子『江戸の想像力――18世紀のメディアと表徴』を読んで アリアドネ・アーカイブスより

 
江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴 (ちくま学芸文庫)

 田中の書物で面白かったのは、近世と云う時代に奉げられた、卓越した評価と評言、価値の相対化、多元化、それを、日本古典江戸文化文芸の言葉を使って、連、俳諧化、羅列と相対化と云う手法に於いて語っていることである。逆な言い方をすれば、近代とは、その正反対のものの定義と言うことになる。
 こうした文化史観に於ける価値の逆転現象は、有名なところではヨハン・ホイジンガの『中世の秋』などで既にお馴染みのもので、いちいち賛同したり、感心したりはできない。近代社会の一面性を相対化するために、連、俳諧化、羅列と相対化、と云ったところで、それ自体はなにごとかを語っているわけではない。ひとつ云えるのは、伝統や習慣や慣習として語られるものの多くが、実際にはそれほど古いものではなく、近世が近代化と云う時代のなかに、吸収される過程で生じた、昨今?の現象に過ぎないと云うこと。この点は、日本の旧華族、貴族階級と云うものが、薩長土肥と一部の中下級宮廷貴族の成り上がり現象が生じた、底の浅いもの、とても欧州の王政や貴族性に比肩しうるようなものではなかったことを、思い出す時だけで十分であろう。日本でもし伝統や貴族性と云うものを語るのであれば、神社庁管轄の神道ヒエラルキーは論外として、能や茶道の家元程度だろうか。それにしても、これだって、相当怪しい。
 
 こういうわけだから、わたくしの田中優子評は、彼女の江戸文化文明史観と云うほどのものには、触れない。むしろバロック文明としての後期江戸文化の爛熟を、ルネサンス型の巨大な人物像としての、平賀源内と上田秋成の二人に代表させて語るところが面白かった。
 まず平賀源内、日本人離れしたパフォーマンスの限りは田中の本を読んでいただきたい。ここから理解できるのは、士農工商と呼ばれた社会システムが宿命的な万能性のシステムではなく、階級離脱の方向が、蘭学古楽国学の方向に於いて、模索され始めていた点だろう。まず、田中の本を読んで教えられるのは、江戸が思っているよりも閉鎖的ではなかったこと、それは同時代史的世界史の中に置かれた祖国日本が、立て廻した屏風の隙間や築地塀の破れを通してほの見え隠れした外の風景から影響を受けざるをえなかったように、東アジアからヨーロッパ世界に繋がる世界史的過程のなかに置かれ、無視しえぬ影響下に置かれ続けていた点だろう。そうした近世日本と江戸後期文明の立ち位置を、内容なき空疎の典型、張りぼて的人格、平賀源内に代表させて描いている。この場面は眼から鱗であるから、是非原著を読まれたい。
 第二の上田秋成に関する場面だが、『春雨』はともかく、『雨月』には感心させられた。とりわけ、源氏との連関、さらには古き日本の神々の背景に繋がるような時間の歴史的重層性の喚起は、魅力ある書き物語であると思う。
 『春雨』については、感心すると云うよりも教えられることが多かった。実を言うと、田中の叙述を通して、春雨とはこのような物語であったかと、得心がいった。何をすることも出来ぬまま、悠々と大らかに生きて悲劇の人物として終わる平城上皇の晩年の一齣を、田中の筆致は限りない懐かしさに於いて描いている。平城の無為無策、傍観性は、時代からは卓越した知識人としての彼が必然的にとらざるを得ない彼のスタイルであった、と云わんばかりなのである。しかし、実際にこの手の人物は前例がないわけではなく、日本史をひも解くと、蘇我石川麻呂聖徳太子、山背大兄皇子、長屋王と、乱世の世に決まって登場する人物群像であるからだ。もっと例を挙げろと言われるならば、中宮定子と清少納言源実朝足利義政大内義隆、あるいは少し違う視角からではあるけれども、忠臣蔵の時代を生きた荻生徂徠、最後の隠れキリシタン系神父、シドッチの裁判に関わった新井白石なども、現象面では決定的な影響と役割を演じたにも関わらず、時代の主導的な思潮との関係から云えば、「無為無策」?に近い立場にあったと云えようか。
 あるいはもっと極論を主張することをお許しいただくなら、昭和、平成の二代の天皇家の人びともまた、この系譜に属されるのではないかと思っている。とりわけ、代表格は昭和天皇その人で、戦争への不加担を云々されながらも2・26事件に対してこの人がとった果敢な行動は記憶されてよい。戦後この人を巡る歴史的環境は一変し、自らに仮託された「象徴」の意味解釈に苦慮し、それを言説の形式ではなく、地方行脚と慰霊地訪問と云う形式で国民の前に、再解釈として顕かにした点は天才的ともいえる工夫と才能である。またその陰に目立たぬような立ち位置を選ばれた平成天皇は、国事や国政行為とは異なった「公務」と云う使い古された概念を、生き生きとした行為として自らが生きることの形式をもって示され、戦後最大の思想家としての隠された意味合いと隠然とした批判的影響力を現政権に対して行使されるのである。なぜ「隠然たる批判的影響力」に留まるのかと云えば、国政や国事行為は現行化の平和憲法に於いて禁止されるか、制限を受けるためである。しかし象徴としてあるとともに、国民の一人としての陛下に表現や思想の自由が制限されるかと云えば、そんなことは書かれてはいないだろう。祭祀を司るものとして高みから、あるいは公務を司る公人として水平・平等の観点から、行為に於いて自ずからなるものを表現することを咎めだてすることはできないのである。 
 また別の意味で、和服を粋に召します田中優子法政大学総長もまた、女性は美的あることを最低マナーとして堅持すると云う日本古来の「すきもの」の意気の伝統に於いて、戦後史を、――ユーモアを欠きつつある戦後史の趨勢に対して果敢なる近世史観を標榜し、対地してみせるのである。
 なぜ、わたくしたちは、日本の伝統であるとか愛国心と云うものを、ユーモアもセンスも欠いた一部の日本人たちから学ばなければならないのだろうか。なぜ嘴の黄色いもの達が歌う靖国君が代を我慢して聴かなければならないのだろうか。あの無知なるもの達はどこから民を教化し導きうると云う品性なき自信を引き出して来たのか。選挙民から負託されたのは番頭の役割であって、伝統や文化の概念ではなかったはずである。君が代愛国心も結構、核武装憲法改正も大いに首肯する、ただ、それを遣って欲しいのは日本人の一部である君たちではない!