アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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J・M・シング『アラン島』のこと アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 名前のみ知っていて読んでいない本はごまんとある、その中の一冊、シングの『アラン島』、読んでみました。
 なぜかシングの書物よりも有名な映画の『アラン』、こちらもきちんとして観たことはないのに、有名な作品だから、所々の映像が何の脈絡も欠いて、断片ごとに記憶に残っている。わが国の映画監督に新藤兼人があるが、彼の『裸の島』、こちらも有名で、一度も観たことはないのに、様々な方面で賛辞や賛嘆の記事が目の前を素通りしていて、それでいて完全に忘れることはなくて、現在に至っている。何時かは正座して向かい合わなくてはならないが、さてそういう時は訪れるだろうか。
 シングの名前は、ずいぶん昔に、ジョイスの本を読んでいた頃から目にしていた。――曰く、アイルランド文芸復興運動、日本の国学のようなもので、ジョイスの『ダブリナーズ』の掉尾を飾る『死者たち』は名編である。この小説に出てくる、ゴールウェイの語感とともに、アランを、そういうものだと理解していた。アランに限らず、スコットランドの荒涼とした荒れ地のイメージは何かで手に入れていて、島に限らず大地は岩ばかりなので、石垣で低い垣根を造って微小の土壌を囲い込むのである。土地で植物を育成する苦労話は聴いたが、土そのものを花壇のように育成する農民と云うイメージには、少々驚いた。シングの同書には、そうしたみじめったらしい事が書いてある訳ではない。厳しい自然環境のなかで、骨組みに革を張っただけのボートを操り、英雄的に生き、巧みなオールさばきで奇跡の生還を遂げた者たちの話しや、不運にも荒波に飲み込まれてもの言わぬ遺体となって流木のように岸辺に打ち上げられるもの達の話し、そして妖精や幽霊たちと共存するもの達の話などである。妖精や幽霊を信じるためには言葉に耳を傾け、文化文明の使用人である言語を捨てなければならない。
 今回シングの本を初めて読んで分かったことは、シングがジョイスなどとは正反対の、プロテスタント教徒で、イギリス人とともにアイルランドを支配した裕福な階級に属していたことだろう。彼らを裏切り者の如く忌み嫌う多数派アイルランド人?の方に、かのジェイムズ・ジョイスは属していたようである。民族とアイデンティティを求める気持ちは一緒でも、『死者たち』に描かれているように、両者の気持ちはすれ違う。ジョイスの共感とともに共存していた違和感の如きものが、背景に宗派の違いにもあったことを今回は読み取ることができた。またシングの鬱屈した祖国愛も、かかるアイルランドの宗教と愛国を巡る複雑な事情も関係していることを、暗示として受け取ることができた。
 面白いものである。島の支配階級に属して、何一つ不自由のない裕福な暮らしをしたシングが、イギリスからの独立と文化の伝統的なものへの回帰に生涯を奉げ、彼らに理想と理念を奉げられたはずの民衆を象徴的に代表するジョイスが祖国を見捨て、ヨーロッパ諸国を遍歴したはてに『若き日の芸術家の肖像』や『ユリシーズ』のような作品を書いて、汎ヨーロッパ主義とでも云える普遍主義的な作品を書く!彼が見捨て去ったと思ったものを生涯引き摺って歩くことになろうとは。
 シングの『アラン島』は良い本である。ジョイスの諸著作のように、構えなくてよいから。この書のなかにもあるように、冬の霧雨が垂れこめて漁などに出掛けられない日々、暖炉の廻りを囲むように村人たちが自然に集まり荒唐無稽な話に講ずる。本書にあるように、彼らは法と云うものを知らず、言語以前の言葉の世界に生きる住民であり、現実と幻想的な出来事を区分する明確な指標を持たない。村には殆ど犯罪と云うものがなくて、犯罪者は居ても自分で行政府のある本署迄自分で出向かなければならない。犯罪者が自分の脚で司法の場に行って報告し、所定の裁きを受けて刑期を終えたのちは、これまた自分の脚で故郷まで帰ってくる、という俄かには信じられないような暮らしがあったらしいのである。またその村の貧しさと云ったら、年貢や税金を納められないので、不定期に官警や司法の代理人が島に取り立てに出向くのだが、差し押さえた家具やその他の品々が、あるいは家畜類が本土の競売では商品の価値が認められないと云う理由で、取り立ても完全にはその法的効力を発しないと云う、笑えるようでいて哀しい現実がある。ジョイスが『ダブリナーズ』などで描いた、言語を知った後の文明の人びとの、卑屈さや自暴自棄の暗さなどの描写とは雲泥の差があると云うべきか。また、村に病人が出ると、医者と司祭様がペアで村を訪ねると云う習慣もまた、泣いていいのか笑っていいのか。病人を前に両者は譲り合うのだろうか。むろん、他人ごとだと云って、笑い事ではない。医師や牧師もまた、島から島へと、危険を顧みずに過酷な自然環境のなかに身を投ずるのである。
 この書のなかで一番印象的なのは何処かと云えば、わたくしには妖精や幽霊の話しや、荒れ狂う大洋の操舵の技術を描く英雄主義的な場面よりも、死者の荘厳を描いた死者の祀りを描いた場面が印象に残った。
 書物は四つの部分に分かれていて、それぞれがシングが通った四度の旅に対応している。四度の旅の間にも時間は流れていくもので、幾人かが思い出だけを残して時の淘汰と腐食作用のなかで帰らぬ人となる。狭隘な島には墓地の用地すら乏しくて、新たに死者が出れば古い墓所を掘り起こさなければならない。土に入り混じって風化した白い石灰石様の破片や切片、それでも頭蓋骨だけはどうにか原型を保っていて、老婆は海で失った息子の亡骸を埋めながら、もう一方の手に彼女の母親であったものの”しゃれこうべ”を手に持つ。埋葬の儀式は彼女が歌うともなくつぶやく哀悼歌を、風が、ある時は唱和し、応答し、ある時は虚しく潮風のなかに奪い去っていく。・・・・・ 
 
 
(付録) 言葉と言語、あるいは、シングとジョイス
 
 言葉と言語、どう違うのだろうか。言語は文化や文明と関係がある。マルキシズムの用語を援用すれば、上部構造と関係がある。他方、言葉とは、もちろん文化や文明の範疇と切っても切れない関係にありながら、それだけのものではない。その視野は言語の裾野にも広がり、背景にもかかわりを持つ。言葉の霊性であるとか、古代日本人が言霊と云う場合は、こちらの方に関係がある。
 つまり、言葉とは文化や文明に関わるだけでなく、かかる実定性、既成性に逆らうものとして、自然に豊かな源泉を持つ神秘な伏流泉なのである。そうして、アイルランドの歴史に、ヨーロッパの文化・文明に失望したシングが詩人として、アランの島々に見出した伝説と伝承の言葉こそ、言語の裏側にあるものとしての言葉だったのだろうと思う。シングの文学者としての貢献は、人間とは文化や文明に尽きるものではないと云う認識である。 
 他方、ジェイムズ・ジョイスは、言葉の原型性への郷愁だけに己を賭けるわけにはいかなかった(つまり『死者たち』の優柔不断な知識人、ゲイブリエル・コンロイのように生きることはできなかった。)。中世初期の、全欧州が民族大移動の激変に揺れ動いていた文化文明の黎明期、ヨーロッパ大陸の西端の小島、アイルランドに辛うじて保たれていたキリスト教的な法灯を守り抜く普遍人の誇りとして、その遺産相続人として、言葉の顕在化であると同時に、言語の人工性の極致としてのスコラ的体系としての普遍的言語観がそのまま現代小説として書かれる必要があった、世界文学と云う名前の文学を。