アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

鹿島茂『文学的パリガイド』と海野弘『パリの手帳』 アリアドネ・アーカイブスより

 
 
 鹿島茂の『文学的パリガイド』(2004)と海野弘『パリの手帳』(1996)はそれぞれに興味深く読んだ。まあ、早く言えば、パリに行きたいとこの処思いつつも行けないので慰みとして手に取ったというわけである。
 前者はアポリネールを皮切りに24名のパリに所縁の文学者の名を連ねてのパリの案内書である。例えばアポリネールエッフェル塔の関係に始まり、ルーブル宮とネルヴァル、シャンゼリゼプルーストノートルダム大聖堂ユゴーオペラ座とガストン・シャル―、パレ・ロワイヤルとバルザック、カルチェ・ラタンとミユッセ、ブールヴァ―ル・デ・ジタリアンとデュマ・フィス、レ・アールとゾラ、セーヌ川アナトール・フランス、モンパルナスとボーヴォワール、モンマルトルとカルゴ、シテ島ブルトン、パサージュとセリーヌ、マドレーヌ寺院とフロベールリュクサンブール公園とジッド、リヨン駅とドーデ、フォーブール・サン=ジェルマンとスタンダール凱旋門モーパッサンアンヴァリッドジャン・コクトーヴァンドーム広場ロートレアモンバスティーユとシティフ、サンマルタン運河とウジェーヌ・ダビ、マレ地区とアレクサンドル・デュマ、である。各章ごとにパリ案内の記事がコラムとして付いているので、この本を持ってパリをそぞろ歩きしたら愉しいだろう。この中で印象に残ったのはダビの『北ホテル』を書いたサンマルタン運河の郷愁溢れる記述である。まだ行こうとしていけていないので憧れもいや増さるばかりである。
 後者は近世から現代に至るパリの、特に「パリの日本人」とも云える特異な人種たちにも光を当てた独特のエッセイである。いまとなっては歴史の黄昏のなかに消えつつあるパリの日本人の記憶を留めようとする海野の情熱は無私で感動的ですらある。それと、これは別にしても、この本を通して近代のパリが1900年代、10年代、20年代、30年代と驚くほ色彩を違えた時代だったという指摘は示唆的だった、例えば1910年代の第一次世界大戦は欧州の歴史と文化を一変させ、それ以前はベル・エポックと云われた世紀末の最後を飾る時代。20年代はアメリカ経済の好況を背景にアメリカ人が大挙パリに押し寄せた時代で、ある意味で異人種がパリの文化の形成に寄与した時代である。30年代は世界恐慌を境に次第に第二次世界大戦の暗雲が垂れこめ、「パリのアメリカ人」が大挙してパリを去り、フランス文化圏の無気力と後の抵抗運動の魁が少しずつ浸透していった時代である。そして第二次世界大戦終結を境にサンジェルマン・デ・プレを中心に戦後のアプレブールと実存主義が花開く時代へと移行する。
 個人的には、ココ・シャネルとヴィスコンティの奇妙な友情と云うか、奇妙な愛の形が興味深かった。ファッション界と映画界を代表する二人の長い長い友情と愛の歴史を読みながら、まるで上質のフランス映画を見たあとのような甘い感傷に浸りながらひたすらにフランスの文化を羨む私ではありました。
 
 ローマは奥深くきりがない一方である程度は歩き尽くしたと云う気がしているので、今度はパリを歩いてみたいと考えている。
 パリもローマと一緒で日中であればエッフェル塔などのモニュメンタルな記念物を視野に入れておれば大体の方位は分かるので歩いても知れていると思っている。パリには二度行っていて、一度目はオペラ座とマレ地区近くに宿を取ってホテルの近在とカルチェ・ラタンとサンジェルマン・デ・プレなどを重点的に歩いた。二度目はフランスのパックツァーの最終日の自由行動日にモンマルトルからブーローニュの森まで歩きパッシー地区で買い物をして町歩きを経験したことがある。歩きが主体であるのと地区の堂々巡りが趣味なのだからなかなかにパリを全体的にかつ網羅的に観光すると云う段階にはほど遠く、なかなか行きたいと思うところも行けていない。さらに散歩の途中でカフェの長休止も含めて機能的に、能率的に観光すると云うことも叶わず、こうした傾向を温存する限りなかなかにパリを知り尽くすと云うことは何時まで経ってもないのであろうと達観している。