アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

アリアドネ会修道院附属図書館・アネックス一号館 本館はこちら→ https://ameblo.jp/03200516-0813  検索はhttps://www.yahoo.co.jp/が良好です。

死の倫理――久野昭に抗して アリアドネ・アーカイブスより

死の倫理――久野昭に抗して

2011-09-10 11:07:00

テーマ:宗教と哲学

 平野昭の“葬送の倫理”を踏まえれば、わたしたちの死と向き合う態度には三つの立場が考えられると云う。

 

 一つ目は、死を自然事象として考える立場である。極限化すれば死を対象化して考える論理と云っても良い。死を対象的・限定的に考えることで、隔たりなく考えることが出来ると云う意味で、わたしたちの常識的な見方にも近いし、それを精密化すれば自然主義的な認識論となる。

 

 二つ目は、死を追い抜くことのできない可能性として考えるハイデガーの立場である。この世的事象の限界概念として現れる死と云う事象は、もともと対象的・限定的に精密化する自然科学的な認識の対象としては不向きなものなのである。だが、ハイデガーの場合特徴的なのは、ここから、――とはつまり、限界事象から反転して死の決意を説くところに彼の特徴がある。

 

 平野が第三の道として紹介している田辺哲学の立場は、ハイデガーからそう遠くはない。死を選び捉えた現前として実存的選択の主体的意志性において捉えるのではなく、対象と自己の一致を通して対象の持つ運命性を自らの運命性に合一させる道、絶対的な自己の無化を通じて対象的な世界との主客以前の涅槃的溶融を帰還する立場とも言い換えても良い。多くの場合は国家や村落共同体が運命共同体として選ばれることになるのだが、対象的にものを考えることよりもそのプロセスを絶対視するあり方である。極限化された形態としてはものごとを客観的に考えることの放棄となって現れることもある。

 

 かく考えると久野の立場は、60年代における絶対的孤立性においてよりも、今日からみればテロリズムとの親和性が極めて近いのである。

 

 一方に政治的利用の対象として英霊として祀る思想がある。その対極に久野の云うあくまで個人的な弔いのモチーフを重視する立場がある。テロリズムの問題は、一方では集団的ヒステリーの問題として、他方では田辺や久野のように考え抜かれた個人主義の帰結としてもありえることを考えると、そこから導き出される結論は極めて深刻である。

 

 人間の死とは、久野の云うように自然主義的な事象のみでは語りえないし、かと云って個人的な動機が全て、とも云えないだろう。死を、肉親の死別と云う事象に限定するならば、久野は西田幾多郎や名著“日本の橋”における保田輿重郎を例に引いて、親に先立つものとしての幼子の死を哀切に語る。幼子の死とは、未然の死であるから個人性が最も高まる領域であるからである。ここから死を普遍化することに“葬送の倫理”としての久野の場合多少の無理がありはすまいか。

 

 死とは、人間の生物学的な死であるとともにプライヴェートで個人的な秘められた死でもありえる。60年代の久野が死の実存的なモチーフの欠如を嘆いたとき、実は靖国問題や国民の集団的忘却等の社会事象を通じて公共的な死もまた失われていたのである。国家のために無意味に犬死をさせられた、自分たちは騙されていたのだと云う経験が、ここではあらゆる共同的なものへの反撥と反感とにおいて現れたことも理由の一半ではあっただろう。

 戦没した日本人は、実存としての死と、公共的なものとしての死との、二重の意味での死を死んだのである。戦後の日本人は集団的忘却を自ら演じる過程の中で自らの可能性としての死を二重の意味で忘却したのである。

 

 死は、肉親にとっては個人的な死である。しかし一方では死者が営んだ社会と取り結んだ諸関係の死でもあった。追悼と愛惜とは、そこでそこで個人の生死が分岐する絶対的な通過点ではなく、死とはそこで個人の行跡や思い出が絶対無に帰する段階ではなく、忘却と想起を通じて交互に語られ問われ問い返される中において生じるのは故人の生前の思いであり、未成形としての故人の死なのである。生が未確定であったように死もまた未完成なのである。

 

 故人の思い出の中で死者は自らの死を生きる。死を生きると云う意味で死者はもう一つの段階を主体的に生き直す、とも云えるのである。故人に訪れる死は絶対無ではなく、個人の思い出の中でもう一度再現されたあり方の中で自らの死を演じながら死者は死を二度生きる。一個の死を死者の側から見た場合はこのようになる。

 

 他方、見送る現世の方からみればこうなる。歳月の彼方に未成形としての故人の死が語り終えたとき初めて時の形を得、忘却の彼方に安んじて沈む。それがお能の舞い終りともいうべきものなのである。追悼と愛惜とは古来そのような意味であった。人間、墓石の蓋を閉じて見て初めて評価が確定するという考え方は日本人にはなじまない。