アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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市川昆の映画「細雪」再見 アリアドネ・アーカイブスより

 
ビデオでは何回も見ていたが劇場で見るのは26年ぶりになる。家で小さな画面で生活音のさなかで見るのと映画館で見るのとでは、まるで別の映画という程の違いがあると改めて痛感する。それに26年近くもたっていると、こんな映画だったのかと妙に感心したり、溜息をついたりしてスクリーンの前で2時間20分をすごすことになった。

市川昆の映画における改編は、細雪を一年の季節の推移の中に描いたことであろう。春霞のけぶる渡月橋と背後の嵐山の淡色の風景は最後のお見合いの相手である東谷子爵の嵯峨野の別邸を訪問する部分に再現される。途中四度の――尤も最初のは間接的に幸子達の日常会話の中で語られるだけである――不首尾に終わる見合いの席の描写があるが、市川らしいユーモアがあって原作以上の効果を上げている。とりわけ二番目の県の水産技士の実直だが生真面目一辺倒の好人物ぶりはカリカチュアライズが見事で、さもありなんと思わせる。反対に三番目の箕面紅葉狩りにかこつけた自然の中での見合いは、これも自信たっぷりの実業家像を描いて秀逸である。このお見合いが半ば成功したようにみえながら、結局は破局を迎えるのは電話口ではっきりとものを言うことのできない雪子の不断の生活態度や性質に起因するもので、伏線として雪子の性向は事前に何度か語られている。そうして最後の大団円、小倉山を望む茶席での子爵のボンボンの拘らない手酌による歓待を受けて、はじめて自然な笑みを返す吉永小百合のアップは実に美しい。

最後に長女の鶴子と幸子がこの一年を語る部分が挿入されている。この一年を語るとは、そのまま京の花見の一期一会を語ることであり、雪子の縁談を語ることであった。ほんに、ようねばりはったなぁ。それ雪子ちゃんのこと?粘っただけのことはあったなぁ。そして、場面は一転して大阪は安治川のほとりの寒々とした妙子の侘び住まいを幸子が訪れるところ。お茶をもてなそうとして急須にかがみこんだ後ろ姿に、結局なにも変わらへんかったなぁと声をかける幸子。しかし何もかもが変わってしまったのだった。昭和13年の戦時色を次第に濃くしていくあの暗い時代を背景に語られる細雪の稀有の美しさはそれゆえにこそ美的なものの心意気を雄弁に語りえたのである。

わたしは細雪を王朝文学の再現だなどとは信じない。あえかなる美というものがある種の形式美を帯びることによって、ありふれた日常生活に永遠的なものの観点を付け加えることがあり得ることをこそ語るべきなのである。美的機能はあらゆる世俗性を相対化する観点を与える。そして他方では同時に四女妙子の自由で奔放だが、生活を荒廃させ社会的基盤を次第に失っていく過程を同時進行的に語る。一方に王朝的な語りと形式美の伝統があり、他方に自然主義的な自我の目覚めが語られる。そしてこの両者が破局の暗雲のなかに突き進む戦時色の過程で語られるとき、これはもう一つの桜の園のお話であったことが明瞭に理解できるのである。

従来わたしは吉永小百合という女優をあまりかってこなかった。発声がモノローグじみていて不自然なのと日本映画界を背負ってたつ自負心が演技から自然性を奪っていると思われたからである。それでも今回の物事の意思表示を明確にしえない「いとやんごと」めいた雰囲気は白痴美めいて、「ろうたけた」感じがよく出ていた。この「いとやんごとない」雰囲気は妙子の駆け落ち事件で見せた感情の爆発と対比されて一層の効果を上げていた。石坂浩二演じる義兄の雪子に見せる思いは市川の観客へのサービスと思われるのだが、これはこれで良いとしても、雪子に見とれる義兄の視線は本来は男女の性愛の感情などではなく、抗いつつある時勢への谷崎の様式美に対する愛と惜別の念なのである。これを誤解してはならない。市川はこの点観客の感性にいま一つ自信が持てなかったのか、つい描きすぎるという失敗を犯している。最後の堀端の料亭で一人手酌で飲む小津ばりのシーンは蛇足である。ラストシーンをどこに持ってくるかというならば、降りしきる雪の中での鶴子の家族を見送る大阪駅の構内でそのまま、雪が嵯峨野の桜吹雪とラップさせるところで終わらせるのが、余韻を曳いて一番良かったのでは、と思う。

この映画の魅力を語る場合忘れてはならないのは、昭和初期を再現した和服の数々であろう。谷崎夫人松子さんの指導・監修を仰ぎ、呉服店・三松屋が全面協力した一種絢爛とした美しさは、私達が過去見失ったものの大きさに思わず嘆息させる。こんな装いが何処にもないように、かって日本の四季と伝統行事を経めぐった女たちの系譜も絶えたのである。こんな風に妙に感傷的になるのも、あるいは先日みた白洲正子展の印象が尾をひているのかも知れない。


<データ>
監督:市川昆
制作:田中友幸 市川昆
原作:谷崎潤一郎
脚本:市川昆 日高真也
撮影:長谷川清
音楽:大川新之助 渡辺俊幸
美術:材木忍
出演:岸恵子
   佐久間良子
   吉永小百合
   小手川祐子
   伊丹十三
   石坂浩二
   岸辺一徳

私としては、次の事項を記載漏れとして指摘し、特記したい。
衣装監修:谷崎松子
衣装協力:三松屋

1983年 35ミリ カラー 140分 東宝

本企画は、毎年5月のGWを含む時期に、福岡市総合図書館が併設する映像ホール「シネラ」が行う特別企画「市川昆 監督 特殊」によるものである。
会場:福岡市総合図書館 映像ホール「シネラ」
協力:東京国立近代美術館フィルムセンター
期間:2009年5月1日(金)~30日(土)
上映映画:「三百六十五夜」1949年、「人間模様」1949年、「果てしなき情熱」1949年、「ブンガワンソロ」1951年、「ビルマの竪琴」1956年、「日本橋」1956年、「満員電車」1957年、「炎上」1958年、「野火」1959年、「おとうと」1960年、「ぼんち」1960年、「黒い十人の女」1961年、「私は二歳」1962年、
「破戒」1961年、「東京オリンピック」1965年、「細雪」1983年、「市川昆物語」2006年